楊枝薬師堂
【ようじやくしどう】 熊野川河口から約20kmほど上流にあり、周辺には民家もなく、ちょっとしたお堂が一つ建って
数年が経ち、この地に後白河法皇の使者がやって来て、法王の病気平癒のため例の柳の大木を京の大寺建造の棟木にするので伐る、とのお達しがあった。その頃から急にお柳は塞ぎ込むようになり、いよいよ木を伐る当日の明け方、平太郎の枕元に居住まいを正して全てを打ち明けた。 「私は柳の大木の精で、鷹が絡まった時に伐られようとしたところを救ってもらったお礼に人の姿となって妻となり、一子をもうけた。しかしこのたび法王の病気平癒のため伐られることとなり、今日までの命となる。後は子の緑丸と平穏に暮らして欲しい。」 そう言い終えるとお柳の姿はかき消えてしまった。
<用語解説> ◆後白河法皇 1127-1192。第77代天皇。上の伝説では“法王”とされているが、実際には嘉応元年(1169年)に出家しているため、この時期は実際には“上皇”である。
◆後白河院と頭痛平癒 後白河院が酷い頭痛持ちであったことは事実とされており、その平癒を願って仏にすがったという伝説が複数残されている。 ・因幡薬師堂で祈願→三十三間堂建立→楊枝薬師堂建立(柳の精) ・熊野で祈願→岩田川で前世の髑髏発見→三十三間堂建立 ・新熊野観音寺で祈願→観音降臨・平癒 主な話はこの3つであるが、逸話がさまざまに組み合わさってさらに多くのパターンで語られているようである。 ちなみに岩田川の伝説は、後白河院の前世は蓮華坊という名僧であったが、亡くなった後髑髏が岩田川の底に長年放置され、その目から柳が生え、風が吹くと髑髏が揺れて院の頭痛が起こるとのお告げがあったとされる。
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