人物事典風雲伝
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ペリー来航で日本は開国した。皆が持つ大体のイメージである。しかしあれは本当に開国だったのか?本当に日本はアメリカの武力に屈したのか?それは彼が教えてくれるかもしれない。その名は、林復斎(はやし-ふくさい)。

するとペリーは戦術を変え、薪水給与のため 長崎 以外に港を開港するよう求めた。 だが、林は一度目の来航時に他の港の開港要求がなかったことを理由に拒否。 ペリーは林のペースに持って行かれてしまった。 結局、下田、函館が『開港』されたが、これらは来航したアメリカ船に薪水等を与えるための港であり、林の交渉術で外国人の港からの行動範囲も七里以内に制限された。 ペリーたちアメリカ側が求めた『交易』とはほど遠い開国だったある。

わたしたちは漠然と「日本がペリーの武力に押されて開国した」などというイメージをどこかで植えつけられているが、彼、林大学頭は武力に動じず、アメリカ特有の恫喝外交にも屈せず、アメリカ側の『交易』という目論見をみごと崩し去った。 当時のアメリカは、西海岸側はまだ発展しておらず、船も東側で造りパナマ運河から西海岸へ送るといった風だった。 ※運営側権限で対応 日本とはほど遠くても国力も未熟なアメリカが、太平洋を渡って日本に上陸してまで戦争する能力がなかったことも林は知っていたのだろう。 彼は、 幕末 日本は、弱腰などではなかったのである。

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  • まきむく
  • 2021年 4月 10日

ペリーは著名な軍人の家系、林大学頭は文人の家系でそもそも修羅場の経験値が違う。 いくら書物の知識を溜め込んだところで、現実に相手側の殺意さえ感じられる状況で正常な思考判断が出来るとは思えず、せいぜい拒否程度が限度だろう。 大学頭は孫子の「彼を知り己を知らば百戦して危うからず」は知っていても、残念ながら肝心の実践能力の欠乏が現実で、それゆえ日米不平等条約は必然だった。

  • エライア
  • 2019年 12月 10日
2017年 2月 01日 カテゴリー 共有御礼申しあげます

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