窒素が世界を救う
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窒素が世界を救う

窒素が世界を救う 化学産業は、豊富な電気さえあれば、次々に事業を拡大していけます。たとえば、石炭→コークス→メタノール→ホルマリン→人造樹脂……といった具合です。 野口は、金属精錬、水銀製造、合成宝石にまで事業を拡大し、日本と朝鮮にまたがる巨大な「日窒コンツェルン」を完成させます。 その「何でも屋」ぶりを本人がこう語っています。

化学産業は、豊富な電気さえあれば、次々に事業を拡大していけます。たとえば、石炭→コークス→メタノール→ホルマリン→人造樹脂……といった具合です。 野口は、金属精錬、水銀製造、合成宝石にまで事業を拡大し、日本と朝鮮にまたがる巨大な「日窒コンツェルン」を完成させます。 その「何でも屋」ぶりを本人がこう語っています。 《アミノ酸・醤油等の調味料、窒素石鹸、バター、扇風機、筆箱等の学用品、ラジオ機械、不燃性フィルム、靴べらから下駄の鼻緒まで作っている。こんなふうであるから、「野口の通った跡には、ペンペン草も生えない」と悪口を云っていると聞くが、これは1つの木に沢山の枝が生ずる様に、1つの本(もと)からいろいろな工業が、つぎつぎに生れるのである。何(いず)れもそれぞれ有機的な関係をもち、甲の事業の生産の副産物は、乙の会社の原料となり、乙の事業は又(また)丙の事業と切っても切れぬ関係にあるといった工合(ぐあい)になっているのだ》(『今日を築くまで』) 野口は、コンツェルン確立後の1940年、ソウルで脳溢血に倒れます。1941年の正月には「三十年の夢からさめて初日の出」と詠み、1944年に死去しました。

制作:2015年11月9日

<おまけ> 昭和電工の元になった昭和肥料は、もともと調味料メーカー「味の素」傘下でした。 味の素は、当初、小麦粉に塩酸を作用させて(加水分解)グルタミン酸を生産していましたが、これはコストが高いのが難点でした。そこで、日本窒素は大豆から製造する技術を確立します。これが「旭味」「ミタス」という化学調味料です。 肥料のライバルは、調味料のライバル同士でもあったのです。 そして、皮肉にも戦後、野口遵のチッソは水俣病、森矗昶の昭和電工は第二水俣病という公害病を引き起こすのでした。 © 探検コム メール