雲林院の菩提講(序) 『大鏡』 現代語訳
『大鏡』より、「雲林院の菩提講(うりんゐんのぼだいかう)」の現代語訳です。大宅世継(190歳)と夏山繁樹(180歳)が話し始める場面です。
たれも、少しよろしき者どもは、見起こせ、居寄りなどしけり。年 三十 みそぢ ばかりなる 侍 さぶらひ めきたる者の、せちに近く寄りて、「いで、いと興あること言ふ 老者 らうさ たちかな。さらにこそ信ぜられね。」と言へば、 翁 おきな 二人見かはしてあざ笑ふ。 繁樹 しげき と名のるがかたざまに見やりて、「『いくつといふこと覚えず。』と言ふめり。この翁どもは覚えたぶや。」と問へば、「さらにもあらず。一百九十歳にぞ、今年はなりはべりぬる。されば、繁樹は百八十に及びてこそさぶらふらめど、やさしく申すなり。おのれは 水尾 みずのを の 帝 みかど のおりおはします年の、正月の 望 もち の日生まれてはべれば、十三代にあひ奉りてはべるなり。けしうはさぶらはぬ年なりな。まことと人おぼさじ。されど、父が 生学生 なまがくしやう に使はれたいまつりて、『 下﨟 げらふ なれども都ほとり』といふことなれば、目を見たまへて、 産衣 うぶぎぬ に書き置きてはべりける、いまだはべり。 丙申 ひのえさる の年にはべり。」と言ふも、げにと聞こゆ。
いま一人に、~
いま一人に、侍「なほ、わ翁の年こそ聞かまほしけれ。生まれけむ年は知りたりや。それにていとやすく 数 かず へてむ」と言ふめれば、「これはまことの親にも添ひ侍らず、 他人 ことひと のもとに養はれて、十二三まではべりしかば、はかばかしくも申さず。ただ、『われは子生むわきも知らざりしに、 主 しゆう の御使ひに市へまかりしに、また、私にも銭 十貫 とつら を持ちてはべりけるに、憎げもなき児を抱きたる女の、「これ人に放たむとなむ思ふ。子を 十人 とたり まで生みて、これは 四十 よそ たりの子にて、いとど五月にさへ生まれてむつかしきなり」と言ひはべりければ、この持ちたる銭にかへて来にしなり。「姓は何とか言ふ」と問ひはべりければ、「夏山」とは 申 ま しける』。さて、十三にてぞ、大き大殿には参りはべりし。」など言ひて、
「さても、うれしく対面したるかな。~
「さても、うれしく対面したるかな。仏の御しるしなめり。年ごろ、ここかしこの 説経 せきやう とののしれど、何かはとて参らずはべり。かしこく思ひ立ちて、参りはべりにけるが、うれしきこと。」とて、「そこにおはするは、その折の女人にやみでますらむ。」と言ふめれば、繁樹がいらへ、「いで、さもはべらず。それは早や失せはべりにしかば、これは、その 後 のち 相添ひてはべるわらべなり。さて 閤下 かふか はいかが。」と言ふめれば、世継がいらへ、「それははべりし時のなり。今日もろともに参らむと出で立ちはべりつれど、わらはやみをして、あたり日にはべりつれば、口惜しくえ参りはべらずなりぬる。」と、あはれに言ひ語らひて泣くめれど、涙落つとも見えず。
かくて講師待つほどに、~
かくて 講師 かうじ 待つほどに、われも人も久しくつれづれなるに、この翁どもの言ふやう、「いで、さうざうしきに、いざたまへ。昔物語して、このおはさふ人々に、『さは、いにしへは、世はかくこそはべりけれ』と、聞かせ奉らむ。」と言ふめれば、いま一人、「しかしか、いと興あることなり。いで覚えたまへ。時々さるべきことのさしいらへ、繁樹もうち覚えはべらむかし。」と言ひて、言はむ言はむと思へるけしきども、いつしか聞かまほしく、おくゆかしき心地するに、そこらの人多かりしかど、ものはかばかしく耳とどむるもあらめど、人目にあらはれて、この 侍 さぶらひ ぞ、よく聞かむと、あど打つめりし。
世継が言ふやう。~
世継が言ふやう。「世はいかに興あるものぞや。さりとも、翁こそ、少々のことは覚えはべらめ。昔さかしき帝の 御政 おほんまつりごと のをりは、『国のうちに年老いたる翁・嫗やある』と召し尋ねて、古の掟のありさまを問はせたまひてこそ、奏することを聞こし召し合はせて、世の政は行はせたまひけれ。されば、老いたるは、いとかしこきものにはべり。若き人たち、なあなづりそ。」とて、黒柿の骨九つあるに、黄なる紙張りたる扇をさし隠して、気色だち笑ふほども、さすがにをかし。
「まめやかに世継が申さむと思ふことは、
「まめやかに世継が申さむと思ふことは、ことごとかは。ただいまの 入道殿下 にふだうでんか の御ありさまの、世にすぐれておはしますことを、道俗男女の御前にて申さむと思ふが、いとこと多くなりて、あまたの 帝王 みかど ・ 后 きさき 、また 大臣 だいじん ・ 公卿 くぎやう の御 上 うへ を続くべきなり。そのなかに、 幸 さいは ひ人におはします、この御ありさま申さむと思ふほどに、世の中のことの隠れなく現るべきなり。つてに 承 うけたまは れば、 法華経 ほけきやう 一部を説き奉らむとてこそ、まづ余教をば説きたまひけれ。それを名づけて五時教とはいふにこそはあなれ。しかのごとくに、入道殿の御栄えを申さむと思ふほどに、余教の説かるると言ひつべし。」など言ふも、わざわざしく、ことごとしく聞こゆれど、いでや、さりとも、何ばかりのことをかと思ふに、いみじうこそ言ひ続けはべりしか。
「世間の摂政・関白と申し、~
「 世間 よのなか の摂政・関白と申し、大臣・公卿と聞こゆる、 古今 いにしへいま の、皆、この入道殿の御ありさまのやうにこそはおはしますらめとぞ、 今様 いまやう の児どもは思ふらむかし。されども、それさもあらぬことなり。言ひもていけば、同じ種、一つ筋にぞおはしあれど、門別れぬれば、人々の御心もちゐも、また、それにしたがひてことごとになりぬ。
この世始まりて後、~
この世始まりて後、帝はまづ神の世 七代 ななよ をおき奉りて、 神武 じんむ 天皇をはじめ奉りて、当代まで六十八代にぞならせたまひにける。すべからくは、神武天皇をはじめ奉りて、次々の帝の御次第を覚え申すべきなり。しかりと言へども、それはいと聞き耳遠ければ、ただ近きほどより申さむと思ふにはべり。
文徳天皇と申す帝おはしましき。~
文徳天皇と申す帝おはしましき。その帝よりこなた、今の帝まで十四代にぞならせたまひにける。世を数へはべれば、その帝、位につかせたまふ 嘉祥 かしやう 三年 庚午 かのえうま の年より、今年までは一百七十六年ばかりにやなりぬらむ。かけまくもかしこき君の御名を申すは、かたじけなくさぶらへども。」とて、言ひ続けはべりし。