高尾山と中里介山
高尾山と中里介山 『大菩薩峠』が大成功し、介山は執筆に集中するために都新聞を退社、さらに、良い環境をもとめて、21年に高尾山麓に草庵をむすびます。 琵琶滝 に近い妙音谷をひどく気に入り、この妙音谷の千年樫のそばに草庵を結んだというここでの日々は、介山の生涯でもっとものびやかなものでした。 大菩薩峠の執筆中に住んだこの草庵跡の碑が、自然研究路6号路
『大菩薩峠』が大成功し、介山は執筆に集中するために都新聞を退社、さらに、良い環境をもとめて、21年に高尾山麓に草庵をむすびます。 琵琶滝 に近い妙音谷をひどく気に入り、この妙音谷の千年樫のそばに草庵を結んだというここでの日々は、介山の生涯でもっとものびやかなものでした。 大菩薩峠の執筆中に住んだこの草庵跡の碑が、自然研究路6号路 の途中の高尾保養院裏側にあります。大きな千年樫(残念ながら昭和57年の台風で倒れてしまった)に下に草庵を結び、ここで大菩薩峠の「無名の巻」を執筆したといいます。
「白骨の巻」や「小名路の巻」では薬王院や小仏峠の様子がでてきて、当 時の高尾山の様子を伺い知ることができます。また高尾では「隣人学園」という児童のための教育機関をつくり介山の思い描くユートピアを実現しようと試みます。しかし、この夢のような日々も、高尾山のケーブルカー建設工事 をきっかけに3年ほどで終わりを迎えます。
高尾山を去った介山は、故郷に近い御岳や奥多摩の地にいくつかの草庵を結びます。そして奥多摩でも「隣人道場」と名付けた図書室や武道場を開放します。 しかし、奥多摩移ってまもなく、またも介山は夢破られます。隣人道場の足下で、青梅鉄道(現在のJR青梅線)の延長工事がはじまったのです。 この工事のために道場下に崖崩れが生たことから、介山は抗議の意を込めて、空にむかって護身用ピストルを発砲します。そして、これをきっかけに奥多摩での理想郷づくりを捨て、故郷の羽村へ向かいはじめます。
介山と大菩薩峠の足跡をたどる清滝駅の左手から、自然研究路6号路 に沿って道を進んでいきます。途中、左に琵琶滝を経て高尾山山頂 に至る登山道の入口がありますが、真っ直ぐ進んでいきます。
程なく右手に高尾保養所が見えてきます。急坂 を登りつめると民家が1軒あります。まるでこの民家の庭に入り込むように進むと突き当たりに水場があります。ここから 「千年樫の下に庵を結んで満三ヶ年というもの、自分は可なり楽しい月日を 送った。」(千年樫の下で)大正14年、青梅の奥の沢井(「大峠」の冒頭の舞台)に移りすむまで住んだのですが、昭和2年に営業を開始 した高尾山ケーブルの工事が、草庵の直ぐ背後で始まり、騒音に耐えられず移転したのでした。
草庵での生活は、<高尾山における満三年間は、介山先生の生涯を通じて、 もっとも楽しい、自由な月日であった。>(松尾熊太「随筆『大菩薩峠』」)とい われています。 尚、草庵の前の山道を登れば高尾山参道の蛸杉の辺りに出ます。
琵琶滝 「滝を浴びること最初の中は、夏でも何だか気味のわるいような心持がしたが慣れてみる と寒中でも、滝を浴びることが苦にならないのみならず厳寒の時、はりつめた氷雪の 中からサラサラと走る白流を視ると、心が跳おどる ように思われ、厳冬の水に対して、 恋人のような懐かしさを覚えて、それを抱擁したくなる。」(「高尾の草庵」-「美 味」) と書いているように琵琶滝は、介山が度々打たれた滝です。 ここ琵琶滝 は修行の場であるため修行者以外は立ち入り禁止ですので、柵の手前から眺めることになります。
蛇滝 高尾山参道(自然研究路1号路 )の途中に 十一丁目茶屋があるが、 この北側に蛇滝へ下る道があります。蛇滝は、 目をわるくした「大菩薩峠」の主人公机龍之助が滝に打たれて目を養うところとして出てきます。
「さのみ大きな滝とは見えないが、懸崖けんがいを垂直に落ちて、見上ぐるばかりに真紅の色をした楓もみじ が生い重なって」「高尾の本山から右に落つる水が 妙音の琵琶の滝となって、左へ落るのが蛇滝となるのであります。琵琶の滝には天人が常住琵琶を弾じ、蛇瀑の上には倶利迦羅の剣を抱いた青銅の蛇じやが外道降伏の相を表している。」
薬王院奥の院 「ある晩--ちょうど、十六日の月が東から登って、満山ことごとく その月光を浴びた夜半のことであります。 この奥の院近くに人の足音を聴きました 」 「奥の院から大見晴らし へ通る木の根の高い細道へ、その人は早くも隠れ去って影だに残してはいません。そ こにはおもに樺木科かばのきか の植物が多いから、あるところは、ほとんど月の光りをも 漏らさぬ密林です。」
高尾山頂 「高尾の山の大見晴らしは、誇張することなくして関東一の大見晴らし ということが出来 るでしょう。」 「東を望むと、高尾の本山の頂をかすめて、遠 く武蔵野の平野から相模野の平野であります。 東に向かってやや右へ寄ると、武蔵野の平野から相模野がつづいて、相模川の岸から徐々として丹沢の山脈」「なおず っと右へ採って行けば甲州に連なる山また山で、その山々の上には富士の根が高くのぞいているのを、晴れたときは鮮やかに見ることが出来ます。」「元へ返して丹沢の山つづきを見ると、その尽くるところに突兀とつこつとして高き山が大山の阿夫利山です。」「左の方にながめていくと、筑波と日光の山を見ることができます。」 「西の涯に山があって、そこがすなわち秩父根であります。」「西へ向き返って見ると、高原の鼻の先にお内裏雛のお后にそっくりの衣紋正しい形をしたのが 小仏山」「小仏の背後に高いのが景信山で、小仏と景信の間に、遠くその額を現 しているのが大菩薩峠の嶺であります。転じて景信の背後には金刀羅山、大岳山、御岳山の山々が続きます」
羽村市郷土博物館羽村市郷土博物館 所在地 東京都羽村市羽741 電話 042-558-2561 開館時間 9:00 ~ 16:30 定期休館日 毎週月曜日、 年末年始は休みです(12月29日~1月3日)