天璽瑞宝
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天璽瑞宝 0 序 1 神代・陰陽本紀 2 神祇本紀 3 天神本紀 4 地祇本紀 5 天孫本紀 6 皇孫本紀 7 天皇本紀 8 神皇本紀 9 帝皇本紀 10 国造本紀 『先代旧事本紀』の全現代語訳のページです。 ※ 読みやすさを考慮したため、句読点や改行は、底本を反映していません。 ※ 割注は [半角大括弧] でくくってあります。 ※

0 序 1 神代・陰陽本紀 2 神祇本紀 3 天神本紀 4 地祇本紀 5 天孫本紀 6 皇孫本紀 7 天皇本紀 8 神皇本紀 9 帝皇本紀 10 国造本紀 『先代旧事本紀』の全現代語訳のページです。 ※ 読みやすさを考慮したため、句読点や改行は、底本を反映していません。 ※ 割注は [半角大括弧] でくくってあります。 ※ この目次にある節の題名は、概要の把握を容易にするため試みにつけたものです。当然、原文には無いものです。 ※ 無理のある日付も強引に訳しています。そこに主な関心を持ってらっしゃる方は、原文を確認されることをおすすめします。 ※ 原文に脱字と思われる部分がある場合でも、現代語として最低限通じる程度に補ったところがあります。 ■ 序 1.序文 ■ 巻第一 神代本紀 、 陰陽本紀 1.天地のはじめと神世七代 2.国産み 3.神産み 4.火神・迦具突智 5.黄泉の国 6.身禊(みそぎ) ■ 巻第二 神祇本紀 1.誓約(うけい) 2.天の岩戸 3.素神追放 ■ 巻第三 天神本紀 1.饒速日尊、葦原の中国に降臨す 2.天の稚彦 3.国譲り 4.大国主神を封じ祀る 5.天忍穂耳尊、天降る準備をする ■ 巻第四 地祇本紀 1.出雲の国の素戔烏尊 2.少彦名命と三輪山の神 3.大己貴神の試練 4.地祇の系譜 ■ 巻第五 天孫本紀 1.饒速日尊、葦原の中国に死す 2.天の香語山命 3.尾張氏の系譜 4.宇摩志麻治命 5.物部氏の系譜〈一世~七世孫〉尊称命 6.物部氏の系譜〈八世~十七世孫〉尊称連公 ■ 巻第六 皇孫本紀 1.瓊々杵尊降臨 2.木花開耶姫 3.山幸彦と海幸彦 4.ウガヤフキアエズノミコト誕生 5.東征の開始と草香の戦い 6.布都御魂剣の降臨と兄猾・弟猾 7.宇摩志麻治命の帰順 ■ 巻第七 天皇本紀 1.神武天皇 2.綏靖天皇~孝照天皇 3.孝安天皇~開化天皇 4.崇神天皇・垂仁天皇 5.景行天皇 6.成務天皇・仲哀天皇・神功皇后 ■ 巻第八 神皇本紀 1.応神天皇 2.仁徳天皇 3.履中天皇・反正天皇 4.允恭天皇 5.

【先代旧事本紀】巻第一・神代本紀 - 現代語訳

天璽瑞宝トップ > 先代旧事本紀 > 現代語訳 > 巻第一・神代本紀 神代本紀 昔、自然の気は混沌として、天と地とはいまだ分かれていなかった。鶏卵の中身のように固まっていなかった中には、ほのかにぼんやりと何かが芽生えを含んでいた。やがて、そのうちの澄んだ気は、立ち昇ってからたなびいて天となり、浮き濁ったものは、重く沈み滞って大地となった。いわゆる、国土が浮き漂い、開け別れたというのはこのことである。 たとえていえば、泳ぐ魚が水の上のほうに浮いているようなものである。そのため、天がまず出来上がって、大地はその後に出来た。 そしてその後に、高天原に生まれた一柱の神の名を、 天譲日天狭霧国禅日国狭霧尊 《 あめゆずるひあまのさぎりくにゆずるひくにのさぎりのみこと 》 と申しあげる。それより以降、ひとりでに生じられる神の他に、共に生じられる二代、二柱並んで生じられる五代の、あわせて「神世七代」とは、この神々である。 神代系紀 天祖・天譲日天狭霧国禅日国狭霧尊。 第一代の、ともにお生まれになった天つ神 天御中主尊 《 あめのみなかぬしのみこと 》 [または 天常立尊 《 あめのとこたちのみこと 》 という]。 可美葦牙彦舅尊 《 うましあしかびひこじのみこと 》 。 第二代の、ともにお生まれになった天つ神 国常立尊 《 くにのとこたちのみこと 》 [または 国狭立尊 《 くにのさだちのみこと 》 、または 国狭槌尊 《 くにのさつちのみこと 》 、または 葉木国尊 《 はこくにのみこと 》 という]。 豊国主尊 《 とよくにぬしのみこと 》 [または 豊斟渟尊 《 とよくむぬのみこと 》 、または 豊香節野尊 《 とよかふぬのみこと 》 、または 浮経野豊買尊 《 うきふぬとよかいのみこと 》 、または 豊齧尊 《 とよくいのみこと 》 という]。 天八下尊 《 あめのやくだりのみこと 》 [一柱で化生された天つ神の、第一世の神である]。 第三代の並んでお生まれになった天つ神 角杙尊 《 つのくいのみこと 》 [または 角龍魂尊 《 つのたつたまのみこと 》 という]。 妹、 活杙尊 《 いくくいの.

【先代旧事本紀】巻第十・国造本紀 - 現代語訳

天璽瑞宝トップ > 先代旧事本紀 > 現代語訳 > 国造本紀 天孫・ 天饒石国饒石天津彦火瓊々杵尊 《 あまにぎしくににぎしあまつひこほのににぎのみこと 》 の孫の 磐余彦尊 《 いわれひこのみこと 》 が、日向から出発され 倭国 《 やまとのくに 》 に向かわれて、東征されたとき、大倭国で 漁夫 《 あま 》 を見つけられた。側近の人たちに尋ねて仰せになった。 「海のなかに浮かんでいる者は何者だろうか」 そこで、粟の 忌部首 《 いみべのおびと 》 の祖の 天日鷲命 《 あめのひわしのみこと 》 を遣わして、これを調べさせた。天日鷲命が戻ってきて報告した。 「これは、 椎根津彦 《 しいねつひこ 》 という者です」 椎根津彦を呼んで連れてきて、天孫はお尋ねになった。 「お前は誰か」 椎根津彦は答えて申しあげた。 「私は、皇祖・ 彦火々出見尊 《 ひこほほでみのみこと 》 の孫で、椎根津彦です」 天孫は詔して仰せられた。 「私に従って、水先案内をするつもりはないか」 答えて申しあげた。 「私はよく海陸の道を知っていますので、道案内としてお仕えいたします」 天孫は、詔して椎根津彦を案内とし、ついに天下を平定された。 はじめて橿原に都を造り、天皇に即位された。 詔して、東征に功績のあった者を褒めて、国造に定められた。また、逆らう者は誅し、県主を定められた。 これが、国造・県主の由来である。 椎根津彦命を 大倭国造 《 やまとのくにのみやつこ 》 とした。すなわち、 大和直 《 やまとのあたい 》 の祖である。 剣根命 《 つるぎねのみこと 》 を 葛城国造 《 かずらきのくにのみやつこ 》 とした。すなわち、 葛城直 《 かずらきのあたい 》 の祖である。 彦己蘇根命 《 ひここそねのみこと 》 を 凡河内国造 《 おおしこうちのくにのみやつこ 》 とした。すなわち、 凡河内忌寸 《 おおしこうちのいみき 》 の祖である。 天一目命 《 あまのまひとつのみこと 》 を 山代国造 《 やましろのくにのみやつこ 》 とした。すなわち、 山代直 《 やましろのあたい 》 の祖である。 天日鷲命を伊勢国造とした。すなわち、伊賀・伊勢国.

【先代旧事本紀】巻第五・天孫本紀 - 現代語訳

天璽瑞宝トップ > 先代旧事本紀 > 現代語訳 > 巻第五・天孫本紀 天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊 《 あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと 》 。 またの名を天火明命、またの名を天照国照彦天火明尊、または饒速日命という。またの名を 胆杵磯丹杵穂命 《 いきいそにきほのみこと 》 。 天照孁貴 《 あまてらすひるめむち 》 の太子・ 正哉吾勝々速日天押穂耳尊 《 まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと 》 は、 高皇産霊尊 《 たかみむすひのみこと 》 の娘の 万幡豊秋津師姫栲幡千々姫命 《 よろずはたとよあきつしひめたくはたちぢひめのみこと 》 を妃として、天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊をお生みになった。 天照太神と高皇産霊尊の、両方のご子孫としてお生まれになった。そのため、天孫といい、また皇孫という。 天神の御祖神は、 天璽瑞宝 《 あまつしるしのみずたから 》 十種を饒速日尊にお授けになった。 そうしてこの尊は、天神の御祖先神のご命令で、天の磐船に乗り、河内国の川上の 哮峰 《 いかるがのみね 》 に天降った。さらに、 大倭 《 やまと 》 国の 鳥見 《 とみ 》 の白庭山へ遷った。 天降ったときの随従の装いについては、天神本紀に明らかにしてある。 いわゆる、天の磐船に乗り、 大虚空 《 おおぞら 》 をかけめぐり、この地をめぐり見て天降られ、“ 虚空 《 そら 》 見つ 日本 《 やまと 》 の国”といわれるのは、このことである。 饒速日尊は 長髓彦 《 ながすねひこ 》 の妹の 御炊屋姫 《 みかしきやひめ 》 を娶り妃として、 宇摩志麻治命 《 うましまちのみこと 》 をお生みになった。 これより以前、妊娠してまだ子が生まれていないときに、饒速日尊は妻へ仰せられた。 「お前がはらんでいる子が、もし男子であれば 味間見命 《 うましまみのみこと 》 と名づけなさい。もし女子であれば 色麻弥命 《 しこまみのみこと 》 と名づけなさい」 産まれたのは男子だったので、味間見命と名づけた。 饒速日尊が亡くなり、まだ遺体が天にのぼっていないとき、高皇産霊尊が 速飄神 《.

【先代旧事本紀】巻第七・天皇本紀 - 現代語訳

天璽瑞宝トップ > 先代旧事本紀 > 現代語訳 > 巻第七・天皇本紀 神武天皇 彦波瀲武鸕鷀草不葺合尊 《 ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと 》 の第四子である。 諱 《 いみな 》 は 神日本磐余彦天皇 《 かむやまといわれひこのすめらみこと 》 、または 彦火火出見尊 《 ひこほほでみのみこと 》 という。年少のときは、 狭野尊 《 さぬのみこと 》 と呼ばれた。 母は 玉依姫 《 たまよりひめ 》 といい、海神の下の娘である。 天皇は、生まれながらに賢い人で、気性がしっかりしておられた。十五歳で皇太子となられた。 成長されて、日向国吾田邑の 吾平津媛 《 あびらつひめ 》 を娶り妃とされ、 手研耳命 《 たぎしみみのみこと 》 をお生みになった。 太歳甲寅年の冬十二月五日、天皇はみずから諸皇子を率いて西の宮を立たれ、船軍で東征された。[くわしくは、天孫本紀に見える] 己未年の春二月五十日に、 道臣命 《 みちのおみのみこと 》 は、軍兵を率いて逆賊を討ち従えた様子を奏上した。 二十八日、 宇摩志麻治命 《 うましまちのみこと 》 は、天の物部を率いて逆賊を斬り平らげ、また、軍兵を率いて天下を平定した様子を奏上した。 三月七日、天皇は、命令をくだして仰せになった。 「私が東征についてから六年になった。天神の勢威のお陰で凶徒は殺された。しかし、周辺の地はいまだ静まらない。残りのわざわいはなお根強いが、内つ国の地は騒ぐものはない。皇都をひらきひろめて御殿を造ろう。 しかし、いま世の中はまだ開けていないが、民の心は素直である。人々は巣に棲んだり穴に住んだりして、未開の習俗が変わらずにある。そもそも聖人が制を立てて、道理は正しく行われる。民の利益となるならば、どんなことでも聖の行うわざとして間違いはない。まさに山林を開き払い、宮室を造って謹んで貴い位につき、民を安んじるべきである。上は天神が国をお授けくださった御徳に答え、下は皇孫の正義を育てられた心を広めよう。その後、国中をひとつにして都をひらき、天の下を覆ってひとつの家とすることは、また良いことではないか。 見れば、かの 畝傍山 《 うねびやま 》 .