ものの数え方一覧 | 助数詞一覧= か行 - く =
ものの数え方・助数詞の一覧です。このページは『か行−く』です。日本語(にほんご)には、数を表す語につけてその物の形や性質などを示す、助数詞と言われる接尾語がたくさんあります。「一棹(ひとさお)・二棹(ふたさお)」の「棹」、「一挺(いっちょう)、二挺(にちょう)」の「挺」などです。ここではその一部を紹介します。研究や学習にお使いの際は、辞典・専門書などでご確認ください。『みんなの知識 ちょっと便利帳』の一部です。
- 【参考】徳冨蘆花 「草とり」: そこでまた勇気を 振起 ( ふりおこ ) して草をとる。一本また一本。一本 除 ( と ) れば一本減るのだ。
- 【参考】与謝野晶子 「晶子詩篇全集 雲片片 秋の心より」: 我 ( わ ) れは今ひともとの草、 つつましく 濡 ( ぬ ) れて 項垂 ( うなだ ) る。 悲しみを喜びにして 爽 ( さわや ) かに大いなる秋。
- 【参考】ハンス・クリスチアン・アンデルセン 森鷗外訳 「即興詩人」: 処々には泥土の 島嶼 ( とうしょ ) の 状 ( さま ) をなして頭を 露 ( あらわ ) せるあり。その上には一鳥の足を留むるなく、一茎の草の萌え出ずるなし。
- 【参考】国枝史郎 「神州纐纈城」: そうして生命は「個」を足場とする。一人の人、一匹の獣、一尾の魚、一本の木、一茎の草、一個の虫……これらの物を足場とする。
- 【参考】ニコライ・ゴーゴリ 平井肇訳「ディカーニカ近郷夜話 後篇」: 肝木 ( カリーナ ) 一本、青草一筋なく、
- 【参考】泉鏡花 「薬草取」: 終局 ( しまい ) には草 一条 ( ひとすじ ) も生えません 焼山 ( やけやま ) になって、
- 【参考】泉鏡花 「婦系図」: 名もない草の一葉だけも、 蒼 ( あおあお ) と活かして頂きたい。
- 【参考】泉鏡花 「春昼」: その 囃子 ( はやし ) の音は、 草 ( くさ ) 一叢 ( ひとむら ) 、 樹立 ( こだち ) 一畝 ( ひとうね ) 出さえすれば、 直 ( じ ) き見えそうに聞えますので。
- 【参考】横光利一 「旅愁」: 溝を盛り起して道路の上まで這い繁っている夏草の一叢の所で、矢代は車を降りた。自宅の門がもうすぐそこだった。
- 【参考】与謝野晶子 「晶子詩篇全集 幻想と風景」: 屋根の草
- 【参考】宮沢賢治「車」: ハーシュは思ひながらとまってしづかにかぢをおろしだまって車をしらべて見ましたら車輪のくさびが一本ぬけてゐました。
- 【参考】高村光雲 「幕末維新懐古談 木彫の楠公を天覧に供えたはなし」:これは組み立ての時に、どうしたことか、 楔 ( くさび ) をはめることを忘れたので、根が締まっていないので風で動いたので、楔一本のため、どれ位心配をしたことか。
- 【参考】坂口安吾「二流の人」: 家康と黒田如水が会談した。この二人が顔を合せたのはこの日が始まり。いはゞ豊臣家滅亡の楔が一本打たれたのだが、石垣山で淀君と遊んでゐた秀吉はそんなことゝは知らなかつた。
- 【参考】梶井基次郎「ある心の風景」: 生活に打ち込まれた一本の 楔 ( くさび ) がどんなところにまで 歪 ( ひずみ ) を及ぼして行っているか、彼はそれに行き当るたびに、内面的に汚れている自分を 識 ( し ) ってゆくのだった。
- 【参考】北村透谷「三日幻境」: 老畸人も亦たむかしの豪遊の夢をや繰り返しけむ、くさめ一つして起き 上 ( あがり ) たれば、 冷水 ( ひやみづ ) に 喉 ( のんど ) を 湿 ( う ) るほし、眺めあかぬ玄境にいとま乞して山を降れり。
- 【参考】小熊秀雄 「小熊秀雄全集-14 童話集」: すると不意に、茂作の家の屋根のあたりでそれは/\大きな声で、つづけさまに、二つ三つ 嚏 ( くさめ ) をするものがありました。
- 【参考】高村光太郎「智恵子抄」:
暴風 ( しけ ) をくらった土砂ぶりの中を ぬれ鼠になって 買った米が一升 二十四銭五厘だ くさやの 干 ( ひ ) ものを五枚 沢庵 ( たくあん ) を一本 生姜 ( しょうが ) の 赤漬 ( あかづけ ) 玉子は 鳥屋 ( とや ) から 海苔 ( のり ) は鋼鉄をうちのべたような奴 薩摩 ( さつま ) あげ かつおの 塩辛 ( しおから ) 湯をたぎらして 餓鬼道のように 喰 ( くら ) う我等の晩餐
- 【参考】徳冨蘆花「小説 不如帰」:そらあ 急嶮 ( ひど ) い山だ、 鉄鎖 ( かなぐさり ) が十本もさがってるのを、つたって上るのだからね。
- 【参考】豊島与志雄「慾」: チョッキの胸に細い金鎖を一筋張り渡している。
- 【参考】ジョナサン・スイフト 原民喜訳「ガリバー旅行記」: 右の内側のポケットからは、一すじの銀の鎖が下がり、その下の方には一つの不思議な機械がついていました。
- 【参考】横光利一「頭ならびに腹」: 一条の金の鎖が腹の下から祭壇の幢幡のように光っていた。
- 【参考】海野十三「浮かぶ飛行島」: しかしそのままでは、風浪に流されてしまう心配があるから、約三十条の驚くほど太い鎖と錨とでもって海底に固定されている。
- 【参考】宮本百合子 「中條精一郎の「家信抄」まえがきおよび註」: その顎のまわりに父はペンをとって細い一連の鎖とロケットとを描き、
- 【参考】南方熊楠「十二支考 馬に関する民俗と伝説」: 平生この美童に愛着した寛憲という僧小猿を伴れて立ち退いたが、小猿ついに水死し、それより山の俗衆と薬師寺と闘争し、双方八十二人死す、 英賀 ( えが ) の城より和平を扱い武士を遣わす時持たせた武具の中に鎖鎌十本と載す。因っていよいよ分銅は、ボーラズと各別に出来たと知った。
- 【参考】泉鏡花 「七宝の柱」: 三十三枚の 櫛 ( くし ) 、 唐 ( とう ) の鏡、五尺のかつら、
- 【参考】岡本綺堂 「拷問の話」: 江戸馴れない旅人の風をして窃盗や辻強盗や万引の悪事を働いていたのであるが、そのなかで証拠の最も歴然たるのは、日本橋人形町の小間物屋忠蔵方で 鼈甲 ( べっこう ) の櫛四枚をぬすみ取ったことであった。
- 【参考】小酒井不木 「謎の咬傷」: 番頭が去ると、それまで金庫の中の品を検査して居た朝井刑事は、 金蒔絵 ( きんまきえ ) の手箱を取り出して警部の前で蓋をあけた。見るとその中には、小指の太さに束ねた長さ八 寸 ( すん ) ばかりの 髢 ( かもじ ) が一房と、よごれた女の革手袋がかたしと、セルロイドの櫛が一枚あった。
- 【参考】三澤勝衛 「自力更生より自然力更生へ」: 櫛の製造においては、なんとしてもあの細かい歯を一枚一枚挽くのでございますから、空気の湿っている方が悦ばれているのでございます。
- 【参考】大阪圭吉 「幽霊妻」: その前に 黄楊櫛 ( つげぐし ) が一本投げ出されているではございませんか。
- 【参考】泉鏡花 「婦系図」: 颯 ( さっ ) とお 化粧 ( つくり ) を直すと、お蔦がぐい、と櫛を 拭 ( ふ ) いて一歯入れる。
- 【参考】長塚節 「松蟲草」: 皿には三角な黄粉餅を三つ刺した串が一串置いてある。此が大寺餅というのかと聞くと今日はもう一串に成ってしまったといって
- 【参考】中里介山「大菩薩峠 山科の巻」: 一本抜き、二本抜き、とうとう十二本のこよりの籤が残らず、おのおのの舞子の手に渡りました。
- 【参考】夢野久作「霊感!」: 三人の生命を同時に救う 途 ( みち ) は、この以外に絶対にない事をレミヤに説き聞かせて、レミヤが承知をしたならば、二本の 籤 ( くじ ) を作らせて二人で引く事。
- 【参考】幸田露伴「蒲生氏郷」: 狼と番人とが四ツに組んで 捻合 ( ねじあ ) って居たら危気無しに背面から狼を 胴斬 ( どうぎ ) りにして終う分の事、という四本の 鬮 ( くじ ) の 何 ( ど ) れが出ても差支無しという涼しい料簡で、それで木村父子と氏郷とを鎖で縛って 膠 ( にかわ ) で 貼 ( つ ) けたようにしたのかも知れない。
- 【参考】織田作之助 「それでも私は行く」: その雑閙に揉まれながら、河原町の交叉点を横切り、疎開跡と広場まで来ると、人だかりがしていた。 「何だろう……?」 と、思いながら寄って行くと、スピード籤の屋台が出ているのだった。 「そうだ。今日一日のおれの行動をスピード籤に賭けてみよう」 と、鶴雄は咄嗟に呟いた。 十円で五枚買って、五枚とも全部一等に当ったところで、合計五百円の賞金が貰えるだけだ、たった五百円、賭けというには、余りにしみったれているが、しかし、あり金全部の十円を賭けてみることで、今日一日の行動が方向づけられないとは限らない。
- 【参考】宮沢賢治「祭の晩」: 「何だと。たった 二串 ( ふたくし ) だと。あたりまえさ。団子の二串やそこら、くれてやってもいいのだが、おれはどうもきさまの物言いが気に食わないのでな。やい。何つうつらだ。こら、貴さん」 男は汗を 拭 ( ふ ) きながら、やっと又言いました。 「薪をあとで百把持って来てやっから、許してくれろ」 すると若者が怒ってしまいました。 「うそをつけ、この野郎。どこの国に、団子二串に薪百把払うやづがあっか。全体きさんどこのやつだ」
- 【参考】泉鏡太郎 「松の葉」: 手際 ( てぎわ ) なもので、 煽 ( あう ) ぐ 内 ( うち ) に、じり/\と 団子 ( だんご ) の 色 ( いろ ) づくのを、 十四五本 ( じゅうしごほん ) 掬 ( すく ) い 取 ( ど ) りに、 一掴 ( ひとつか ) み、 小口 ( こぐち ) から 串 ( くし ) を 取 ( と ) って、 傍 ( かたわら ) に 醤油 ( したじ ) の 丼 ( どんぶり ) へ、どぶりと 浸 ( つ ) けて、 颯 ( さっ ) と 捌 ( さば ) いて、すらりと 七輪 ( しちりん ) へ 又 ( また ) 投 ( な ) げる。
- 【参考】牧野信一 「嘆きの孔雀」: 美智子の室に可成大きな二つ折りの金屏風があることなのです。それに恰で本物の様に美しい孔雀が一羽描いてあります。然し全く孔雀がたった一羽金泥の上に描いてあるというだけで、その他には花も木も草も何にも描いてないのです。
- 【参考】夢野久作「巡査辞職」: 暗い駐在所の板の間に立った一知は涙ながらも恐ろしそうに身震いした。そうして突然に大きな 嚏 ( くしゃみ ) を一つしたが、それは汗が乾きかけたせいであったろう。
- 【参考】林芙美子 「新版 放浪記」: 私はくしゃみを何度も何度もつづけると、ぷいと帰りたくなってきて、詩人の友達二三人と、暖かい戸外へ出ていった。
- 【参考】佐藤垢石 「海豚と河豚」: この第二京丸は、昨年の秋から南極へ鯨捕りに行って、この四月に帰国したのだが、南極では百五十頭の大鯨をとってきた。
- 【参考】中里介山 「弁信の巻」: みんなで九つであります、九頭の鯨が押寄せたのであります、素敵! 素敵! 田山先生に描かせたいものだなあ
- 【参考】寺田寅彦 「初旅」: 翌日は東寺に先祖の一海和尚の墓に参って、室戸岬の荒涼で雄大な風景を眺めたり、昔この港の人柱になって切腹した義人の碑を読んだりしたが、残念ながら鯨は滞在中遂に一匹もとれなくて、ただ珍しい恰好をして五色に彩色された鯨漁船を手帳にスケッチしたりしただけであった。
- 【参考】宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」: 鯨を食べるならば一 疋 ( ぴき ) を一万人でも食べられ、又その為に百万疋の鰯を助けることになるのだが 甘藍 ( キャベジ ) を一つたべるとその為に青虫を百疋も殺していることになる。
- 【参考】泉鏡花 「陽炎座」: ついでに言おう、人間を挟みそうに、籠と 竹箸 ( たけばし ) を構えた薄気味の悪い、 黙然 ( だんまり ) の 屑屋 ( くずや ) は、古女房が、そっち側の二人に、縁台を進めた時、ギロリと踏台の横穴を 覗 ( のぞ ) いたが、それ切りフイと居なくなった。…… いま、腰を掛けた踏台の中には、ト松崎が見ても一枚の屑も無い。
- 【参考】エドガー・アラン・ポー 佐々木直次郎訳 「盗まれた手紙」: 邸じゅうのあらゆる椅子の桟、それから実際あらゆる種類の家具の 接目 ( つぎめ ) を、非常に強度の拡大鏡を使って調べたんです。近ごろ手をつけたような跡が少しでもあれば、すぐに我々の眼につかないはずはない。たとえば、 錐 ( きり ) くずの一粒でも、 林檎 ( りんご ) みたいにはっきりしたでしょうよ。
- 【参考】泉鏡花 「河伯令嬢」: 四季の花はもとよりで、人形の着もの、守袋、 巾着 ( きんちゃく ) もありましょう、そんなものを 一条 ( ひとすじ ) の房につないで、柱、天井から掛けるので。祝って、 千成 ( せんなり ) 百成 ( ひゃくなり ) と言いました。 絢爛 ( けんらん ) な 薬玉 ( くすだま ) を幾 条 ( すじ ) も 聯 ( つら ) ねたようです。城主たちの夫人、姫、奥女中などのには金銀珠玉を 鏤 ( ちりば ) めたのも少くありません。
【知識】 「剤(ざい)は、『 延喜式 ( えんぎしき ) (延長5年〈927年〉[]成立)』に「呉茱萸丸・勺薬丸・温白丸各一剤、犀角丸三 分 剤之一、神明膏・万病膏各二剤、升麻膏・賊風膏各三剤、 神明白散五十二剤、度嶂散二剤、屠蘇二剤」などと見られる。
【知識】 「一裹(つつみ)は、『太平記』に見られる。『太平記』は、作者不詳。『日本国語大辞典』によれば、応安年間(1368〜75)の成立か。 『太平記』に見られる「一裹(つつみ)」 [国立国会図書館蔵] 【知識】 「貝(かい・ばい)」は、貝殻に入れた薬などの容器を数えるのに使われる。容器には主にハマグリの殻が使われる。 『 言継卿記 ( ときつぐきょうき ) (弘治二年〈1556年〉九月廿七日)』「并老母官女妙祐に帯一筋、雀、こまはりこ等一包、あちに帯二筋、薫物三貝遣之、又牟礼所へ隼人佐為使牛黄円二貝等遣之、」 *「薫物(たきもの)」は、香料を合わせてつくった練香(ねりこう)。 *「牛黄円(ごおうえん)」は、牛黄を用いて作った丸薬。 『言継卿記(弘治二年〈1556年〉十月二日)』「仍各留守之間午下刻老母見舞に罷向、牛黄円、麝香丸二貝宛進之、先雑煮にて一盞有之、」 『言継卿記(弘治三年〈1557年〉一月九日)』「以隼人佑昨日之樽之礼申遣、次中御門へ蓽撥円二貝遣之、次大沢に目薬一貝遣之」- 【参考】長谷川時雨 「古屋島七兵衛」: 半紙を四つ切りにしたのに包んだ、一服の薬について、いかにそれが 霊薬 ( れいやく ) であるかを話してきかせてくれた。
- 【参考】村井弦斎 「食道楽 秋の巻」: 吃逆は筋肉が 攣 ( ひ ) き 釣 ( つ ) るのだから反対に膨脹させるのが一番だ。早く持って行って飲ませ給え」と二包の薬を与えけるに大原は 有 ( あ ) り 難 ( がた ) しとて帰り去りぬ。
- 【参考】芥川竜之介 「歯車」: こう云う僕を救うものは唯眠りのあるだけだった。しかし催眠剤はいつの間にか一包みも残らずになくなっていた。
- 【参考】吉川英治「私本太平記 みなかみ帖」: ふところの深くに持っていた一包の毒薬が、すぐ意識となって、肌の毛穴に、人知れず、覚悟をそそけ立たせてくる。
- 【参考】泉鏡花 「高野聖」: それだっても 無銭 ( ただ ) じゃあいけねえよ、 憚 ( はばか ) りながら 神方 ( しんぽう ) 万金丹、一 貼 ( じょう ) 三百だ、欲しくば買いな、
- 【参考】小酒井不木 「死の接吻」: 招かれた医師は、患者のポケットに、一回一錠と書かれた薬剤の瓶を発見して、その卒倒の原因を確めることが出来た。
- 【参考】石川啄木 「鳥影」: 明日からタカヂヤスターゼの錠剤を差上げて置きますから、食後に五六粒宛召上って御覧なさい。え? 然うです。今までの水薬と散剤の外にです。
- 【参考】小酒井不木 「卑怯な毒殺」: 僕は、ここに、致死量のストリヒニンを含む丸薬を二粒持っている。これから、二粒の丸薬を二人でのもうと思うのだ。
- 【参考】夢野久作 「猟奇歌」: 一瓶の白き錠剤 かぞえおわり 窓の青空じっと見つむる
- 【参考】尾崎紅葉 「金色夜叉」: 宮は貫一に勧められて行きて医の診察を受けしに、胃病なりとて 一瓶 ( いちびん ) の 水薬 ( すいやく ) を与えられぬ。
- 【参考】海野十三 「地獄の使者」: これはたとえ一枚の紙片が掃きとばされても重大な結果となることがあったし、また薬品の一壜が壊されても非常に困ることがあったからである。
- 【参考】芥川龍之介 「河童」: チヤツクは僕を小綺麗なベツドの上へ寝かせました。それから何か透明な水薬を一杯飲ませました。
- 【参考】ハンス・クリスチアン・アンデルセン 森鷗外訳 「即興詩人」: ロオザの我に一匙の薬水を 薦 ( すゝ ) めつゝ熱は去れりと云う時、蹲れる人は 徐 ( しず ) かに起ちて室を出でんとす。
- 【参考】泉鏡花 「処方秘箋」: 別に、 風邪薬 ( かざぐすり ) を一 貼 ( ちょう ) 、 凍傷 ( しもやけ ) の 膏薬 ( こうやく ) 一貝 ( ひとかい ) 買いに行った話は聞かぬが、
- 【参考】太宰治 「お伽草紙」: ついでにその膏薬を一滴おれの手のひらに載せて見せてくれねえか。
- 【参考】三遊亭圓朝 鈴木行三校訂「粟田口霑笛竹(澤紫ゆかりの咲分)」: 丁度 宜 ( よ ) い薬が有る、 先達 ( せんだっ ) て美惠比丘尼が 負傷 ( けが ) をする事があろう、其の時に此の膏薬を貼れば 悪血 ( あくち ) が発して眼病が癒るといって、十二枚膏薬を貰って来たが、仏壇の引出へ入れて有るから出してくれ
- 【参考】太宰治 「秋風記」: 私は、ヴェロナアルを一服のんで、すぐに眠ったふりをした。しばらくして、Kは、そっと起きあがり、同じ薬を一服のんだ。
- 【参考】宮本百合子 「獄中への手紙 一九四二年(昭和十七年)」: この燐剤は、合っているらしくて、至って抵抗力の無い神経が疲れて、少しいらだって来たような時、スエコに素早く一服盛られて、案外の効果を示します。そう云っても、これは決して、眠り薬では有りませんから、御安心下さい。
- 【参考】北條民雄 「発病」: 医者に診て貰うと鼻カタルだと言われた。それで一日三回薬をさしたが、ちっとも効かないで日が過ぎた。
- 【参考】正岡子規 「病牀六尺」: 服薬は水薬三度、麻痺剤二度。
- 【参考】岡本綺堂 「当今の劇壇をこのままに」: 医師が薬を盛る時に、甚しく苦い薬であると、患者は「これは非常によく 利 ( き ) く」といわれても、飲むのを嫌がる、
- 【参考】徳冨蘆花 「小説 不如帰」: 医は手ずから 一匕 ( ひとさじ ) の赤酒を口中に注ぎぬ。
- 【参考】国木田独歩 「郊外」: 『ウフフフ』と笑った。この先生に不似合いなことを時々言ってそうして自分でこんなふうな笑いかたをするのがこの人の癖の一つである。
- 【参考】宮本百合子 「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」: 家康とその臣佐橋甚五郎という武芸に秀で笛の上手で剃刀のような男とが、一くせも二くせもある人物同士が互に互を嗅ぎ合い、警戒し合う刹那の心理の火花から、佐橋が家康の許を逐電する。
- 【参考】林不忘 「釘抜藤吉捕物覚書 無明の夜」: 三つ児の魂百までだ、それが抜けねえ。ええか、もっとも十人十色、形あ違う。が、なくて七癖あって四十八癖、ぼんやりしてる時あお互えによく為体の知れねえ図面や模様を塗たくるものよ。
- 【参考】森鷗外 「佐橋甚五郎」: 大御所のお使として出向いて来て、 上 ( かみ ) の三人に具足三領、 太刀三振 ( たちみふり ) 、白銀三百枚、次の三人 金僉知 ( きんせんち ) らに 刀三腰 ( とうみこし ) 、
- 【参考】菊池寛 「島原の乱」: ここに於て、軍議は二十五日総攻撃と 定 ( きま ) ったのである。当時城内の武備の有様を見るに石火矢八十挺、二三十目玉から五十目玉までの大筒百挺、十匁玉より二十目玉までの 矢風筒 ( やかぜづつ ) 三百挺、六匁玉筒千挺、弓百張、長柄五百本、槍三百本、具足二百領、其他とあるから、相当なものである。
- 【参考】寺田寅彦 「話の種」: 背嚢 ( はいのう ) のような箱から管が二本出て口と鼻とに連絡し、巧みに弁の作用で、一方から新しい空気を送り、他方に 呼気 ( いき ) を出すようになっている。
- 【参考】江見水蔭 「月世界跋渉記」: 各自 ( めいめい ) の家によくある赤く塗った消火器のような恰好をした円筒を背にかけ、その下端に続いている一条のゴム管を左の脇下から廻して、その端は、 仮面 ( めん ) になっていて鼻と口とを塞いで、一見すると 宛然 ( さながら ) 潜水夫の出来損いのような恰好だ。
【知識】 一果、一菓は「今昔物語集」(保安元年・1120年頃成立か)に見られる。 今昔物語集 一三・一八「大なる梨子・柿多く捜り〈略〉其の味極て甘して一二果を食つるに餓の心皆止て」 今昔物語集 二九・一一「夏此吉き瓜を得たりければ此れは有難き物なれば〈略〉十菓許(ばかり)を厨子に入れて納め置て」 今昔物語集 二九・一一「七八歳許なる男子の此の厨子を開て瓜一菓を取て食てけり〈略〉此の瓜一菓失にけり」
- 【参考】林芙美子 「シベリヤの三等列車」: 外に、紅茶、林檎を十個、梨五個、キャラメル、ソーセージ三種、牛鑵二個、レモン二個、バターに角砂糖一箱、パン二個
- 【参考】幸田露伴 「努力論」: 樹の実でも花でも、十二分に実らせ、十二分に花咲かす時は、收穫も多く美觀でもあるに相違無い。併しそれは福を惜まぬので、二十輪の花の蕾を、七八輪も十余輪も摘み去って終い、百顆の果実を未だ実らざるに先立って数十顆を摘み去るが如きは惜福である。
- 【参考】穂積陳重 「法窓夜話」: ドラコーの法では、野に 林檎 ( りんご ) の一二 顆 ( か ) を盗み、畑に野菜の二三株を抜いた者までも、死刑に処する。
- 【参考】小出楢重 「大切な雰囲気」: 柿の実は青葉の懐に護られつつふくらんでいる。栗、メロン、いちじく、葡萄、その他新秋の百果は夏の青葉の陰に隠されつつ成人し熟して行く。
- 【参考】細井和喜蔵 「モルモット」: あなた、よう、モルやは今日も儲け物したわ、バナナ一本もらったの。
- 【参考】中島敦「虎狩」: 鞄 ( かばん ) の中からバナナを一房取出して私にも分けてくれた。
- 【参考】山科言継「 言継卿記 ( ときつぐきょうき ) (弘治二年〈1556年〉十一月廿日)」:又餅一盆送之、次斎藤弾正礼に来、雁、一、干魚一折、蜜柑一折、樽一荷送之、対面一盞勧了、
- 【参考】種田山頭火 「行乞記 (三)」: 先日は周二さんが果実一籠をお土産として下さった、
- 【参考】林芙美子 「新版 放浪記」: 夜は御飯を炊くのがめんどうだったので、町の八百屋で一山十銭のバナナを買って来てたべた。
- 【参考】木内高音 「水菓子屋の要吉」: よりわけがすむと、 今度 ( こんど ) は、 一山 ( ひとやま ) 売りのもりわけです。いたみはじめたくだものの箱の中から、一山十 銭 ( せん ) だの二十銭だのというぐあいに、 西洋皿 ( せいようざら ) へもりわけるのです。そのあんばいが、それはむずかしいのでした。
- 【参考】芥川龍之介 「葱」: その茶箪笥の上の壁には、いずれも雑誌の口絵らしいのが、ピンで三四枚とめてある。一番まん中なのは、 鏑木清方 ( かぶらぎきよかた ) 君の 元禄女 ( げんろくおんな ) で、その下に小さくなっているのは、ラファエルのマドンナか何からしい。
- 【参考】太宰治 「人間失格」: 「お化けの絵だよ」 いつか竹一が、自分の二階へ遊びに来た時、ご持参の、一枚の原色版の口絵を得意そうに自分に見せて、そう説明しました。
- 【参考】泉鏡花 「縁結び」: 死んだ 阿母 ( おふくろ ) が大事にしていた、絵も、歌の文字も、 対 ( つい ) の 歌留多 ( かるた ) が別にあってね、 極彩色 ( ごくさいしき ) の口絵の八九枚入った、 綺麗 ( きれい ) な本の 小倉百人一首 ( おぐらひゃくにんいっしゅ ) というのが一冊あった。
- 【参考】梶井基次郎 「海 断片」: 港の入口の暗礁へ一隻の 駆逐艦 ( くちくかん ) が 打 ( ぶ ) つかって沈んでしまったのだ。
- 【参考】国枝史郎 「世界の裏」: 五千の大砲、三万の機関銃、三千の投擲弾、二千の飛行機、五千の機関車、十五万の客貨車、五千の自動車を、連合軍に引渡し、潜水艦の全部、装甲巡洋艦六隻、海防艦十隻、小巡洋艦八隻、新式駆逐艦五十隻の破壊。
- 【参考】折口信夫 「雪の島 熊本利平氏に寄す」: 駆逐艦が二艘かゝっている川尻の様な処から、長い水道を這入って行った。郷野浦である。
【知識】 「両」は 対 ( つい ) になった一組を数える場合に使われ、『 延喜式 ( えんぎしき ) (延長5年〈927年〉[]成立)』に「履二両、烏皮履二両、履廿四両、履卅両」などと見られる。また、松沢老泉著『品物名数抄』(文化七年・1810年)に見られ、明治24年(1891年)[今から ]に出版された「尋常高等小学校作文八千題」などにも見られる。
※ 文化財では一両という表現が見られる。 《靴の寸法》 “cm”での寸法 “文”での寸法 読み方の例 21cm 8文7分 はちもんしちぶ 21.5cm 9文 ここのもん 22cm 9文3分 ここのもんさんぶ・きゅうさん 22.5cm 9文半 ここのもんはん・きゅうはん 23cm 9文7分 ここのもんしちぶ・きゅうしち 23.5cm 9文8分 ここのもんはちぶ・きゅうはち 24cm 10文 ともん 24.5cm 10文3分 ともんさんぶ・とさん・とおさん 25cm 10文半 ともんはん・とはん・とおはん 25.5cm 10文7分 ともんしちぶ・としち・とおしち 26cm 11文 じゅういちもん 26.5cm 11文3分 じゅういちもんさんぶ 27cm 11文半 じゅういちもんはん 27.5cm 11文7分 じゅういちもんしちぶ 28cm 12文 じゅうにもん- 【参考】高村光太郎 「山の雪」: わたしの靴は十二文という大きさなので、これは村でもほかにないからすぐわかる。
- 【参考】夏目漱石 「門」: 「また靴の中が 濡 ( ぬ ) れる。どうしても二足持っていないと困る」と云って、底に小さい穴のあるのを仕方なしに 穿 ( は ) いて、 洋袴 ( ズボン ) の 裾 ( すそ ) を 一寸 ( いっすん ) ばかりまくり上げた。
- 【参考】夏目漱石 「三四郎」: 門をはいると、玄関に 靴 ( くつ ) が一足そろえてある。医者かもしれないと思った。
- 【参考】久生十蘭 「海豹島」: 何気なく数を読取ってしまったが、たしかに六足の沓があった。藁沓は丈夫なもので、どんな長い冬でも、一足で充分に間にあうから、焼死した人間が五人である以上、藁沓は五足でなければならぬはずである。
- 【参考】宮本百合子 「道標」: その廊下で、いたずらをされていない靴は一組もなかった。
- 【参考】渡辺温 「アンドロギュノスの裔」: アメリカの機械靴の左右を合わせるのに、ほんの寸法だけで左足の 堆積 ( やま ) と右足の堆積とから手当り次第に掴み取りして似合の一対とするように、人間が肢を八本もっていたアンドロギュノスの 往古 ( むかし ) に 復 ( かえ ) り度い本能からばかりならば、
- 【参考】小酒井不木 「猫と村正」: 「おい車掌さん、大変だ、僕の靴が片一方なくなった!」 私は通りかかった車掌に向って、大声でこう叫んだ。乗客は一斉に私の方をながめ中には立ち上る者さえあった。 車掌は顔を曇らせながら、近づいて来て、先ず私の腰掛の下を捜したが、もとより有ろうはずがない。それから私の前のあいている腰掛の下を捜しにかかり、暫くの後、立ち上ったときには、その右手に一個の靴がつかまれていた。 「ちゃんとここにあるじゃありませんか。あんなに大袈裟に仰しゃるものだから、びっくりしてしまった」 と、車掌は私を責めるようにいった。私は一寸恥かしい思いをしたが、ふと気がつくと、車掌のつかんでいるのは、私のとは少し格好がちがって、しかも不思議なことには左の靴であった。 「車掌さん、それは僕のではないよ、第一僕のなくなった靴は右だのに、それは左の靴じゃないか」
【知識】 流通での単位として、12足で1ダースと表示され、また、10足を1デカと表示されることもある。デカ(deca)は、国際単位系(SI)での接頭語の一つで、基礎となる単位の10 1 (=10)倍の量を示す。接頭語の記号は「da」であるが、靴下や手袋の場合の単位記号は、ローマ数字の10の「X」が使われる。
- 【参考】坂口安吾 「街はふるさと」: 兄さんのドタ靴とボロボロの靴下見たでしょう。姐御にたかられてしまうから、靴下一足買うことができないのよ。
- 【参考】宮本百合子 「婦人大会にお集りの皆様へ」: 都民税というものは二三年前は一円から五六円どまりのものでした。ところが、今度発表された率によると、平均一戸五百円以上ぐらいに計算されています。その税を、どういう懐の中から捻出してゆかなければならないかといえば、千八百円ベースあるいは二千四百円ベースの家計の中からです。通勤・通学のための交通費のおそろしいはね上り、またこの夏から一段とひどくなった諸物価のはねあがり。婦人靴下一足千何百円という暮しのなかで、大やみ屋や利権屋以外のすべての勤労人民の苦しみは言語に絶してきました。
- 【参考】ルイザ・メイ・オルコット 水谷まさる訳 「若草物語」: ジョウは、インキのつぼをひっくり返し、靴のひもを二本とも切ったので、とうとうかんしゃくを起して、じぶんの帽子の上にどさりとすわり、大声でそうさけびました。
- 【参考】与謝野晶子 「晶子詩篇全集 雲片片」: 冬のたそがれ
- 【参考】海野十三 「暗号の役割 烏啼天駆シリーズ・4」: それを句読点とする。すると始めの文字から拾っていって、四字・二字・五字・一字・二字・七字・二字・一字・……待てよ、これは駄目だ。こうして勘定していくと、内容文字は七十五字となる。句読点が二十五だから、これを百字から引いて七十五字だ。
- 【参考】横光利一「日輪」: やがて、彼女は不弥と奴国と耶馬台の国の三国に君臨するであろう。そうして、もしその時が来たならば、彼女は更に三つの力を以て、久しく攻伐し合った暴虐な諸国の王をその足下に 蹂躙 ( じゅうりん ) するときが来るであろう。
- 【参考】喜田貞吉 「国号の由来」: この他に倭の面土国王交通の事も、また後漢書に見えているが、漢滅びて三国の時代となり、これら倭人諸国の中、魏に交通したもの三十国の多きに及んだとある。
- 【参考】横光利一 「厨房日記」: 千九百二十五年のあるとき、ハンガリアとユーゴスラビア、ルーマニアの三カ国がアメリカから金を借りねばならぬ事情にさしせまられたことがあった。
【知識】 5世紀に成立した中国の『 後漢書 ( ごかんじょ ) 』に、『斬首数十級』『斬首数百千級』などとあり、この注釈に『秦法斬首一賜爵一級故因謂斬首為級』と記され、秦代の法律で、敵の首を一つ取れば爵位が一級上がったことから討ち取った首を「級」と呼んだとされる。また、江戸時代の『和漢音釈書言字考節用集(元禄11年・1698年)』にもこのことが紹介されている。
「後漢書」に見られる「斬首数」の『級』の表記- 【参考】芥川龍之 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」: ○同廿八日 重衡、兵数千を率ゐて興福寺東大寺を火き、一宇の僧房を止めず、梟首三十余級。
《編集注》「 梟首 ( きょうしゅ ) 」とは、斬首刑にした人の首を木にかけてさらすこと。また、その首のことで、「さらしくび」とルビを振る作品も見られる。 島崎藤村 夜明け前 第二部上「野尻宿の方から来た一つの 首桶 ( くびおけ ) がそこへ着いた。木曾路行軍の途中、東山道軍の軍規を犯した同藩の侍が野尻宿で打ち首になり、さらに馬籠の宿はずれで三日間 梟首 ( さらしくび ) の刑に処せらるるというものの首級なのだ。」
※ 文化財では一合という表現が見られる。- 【参考】島崎藤村「夜明け前 第二部上」: 野尻宿の方から来た一つの 首桶 ( くびおけ ) がそこへ着いた。木曾路行軍の途中、東山道軍の軍規を犯した同藩の侍が野尻宿で打ち首になり、さらに馬籠の宿はずれで三日間 梟首 ( さらしくび ) の刑に処せらるるというものの首級なのだ。
- 【参考】中里介山 「大菩薩峠 不破の関の巻」: その洗濯というのは余の物ではない、彼は、今、泉水堀の前に引据えた 檻車 ( おりぐるま ) の中から一頭の熊を引き出して、それの五体をしきりに洗ってやっているのであります。
- 【参考】中里介山 「大菩薩峠 不破の関の巻」: 熊はお前、稼ぎをしねえから、飼ったところで食いつぶしだけのもんだぜ。だからお前、やにっこい 身上 ( しんじょう ) じゃあ、熊あ一匹飼いきれねえよ
- 【参考】夏目漱石 「草枕」: 二株三株 ( ふたかぶみかぶ ) の 熊笹 ( くまざさ ) が岩の角を 彩 ( いろ ) どる、
- 【参考】豊島与志雄 「崖下の池 ――近代説話――」: 楓、桜、梅、檜葉、 梔子 ( くちなし ) 、 無花果 ( いちぢく ) 、沈丁花、椿など、雑多な樹木で、熊笹の数株まで添えてありました。
- 【参考】宮本百合子 「胚胎(二幕四場)」: 第三の女、第一の女と同じ色に縦に五本ほど太い組紐で飾りのついたのを着て頭巾は後の方のパッと開いたのをつける。
【知識】 「一村(むら)」は、江戸時代の明暦2年〈1656年〉刊の『平家物語』に「 黒雲 ( こくうん ) 一 村 ( むら ) たち来て」と、また、『慶長見聞集』に「古歌に、うしほ吹鯨の息と見ゆる哉沖に一村夕立の雲、是はつのゝ浦によめり」と見られる。 *『平家物語』は鎌倉時代の軍記物語。鎌倉初期の1221年以前に3巻本が成立したとされるが未詳。 *『慶長見聞集』は慶長19年〈1614年〉刊。明治39年〈1906年〉刊の『袖珍名著文庫』に収載された『慶長見聞集』では、「村(むら)」と振り仮名が振られている。
国立国会図書館での所蔵が確認された江戸時代に刊行された 7 冊の平家物語のうち、「一村」と表記するものが 4 冊、「一むら」と平仮名で表示するものが 3 冊であった。そのうち、ここに引用した明暦2年〈1656年〉の版のみが、「村」に「むら」と振り仮名が振られている。
『平家物語』に見られる「雲一村」 明暦2年〈1656年〉刊- 【参考】甲賀三郎 「蜘蛛」: あまりに不意の出来ごとで私にはなんのことやらわからなかったが、私はなんでも床の上をはっている珍らしい一匹の蜘蛛を見たように思った。その蜘蛛はたぶん潮見博士の足もとへはって行ったのだろう。
- 【参考】宮沢賢治「蜘蛛となめくじと狸」: 「ここへおいで。」と手長の蜘蛛が云って糸を一本すうっとさげてやりました。
- 【参考】豊島与志雄「囚われ」: とある並木道に出て、葉の散りかかった樹の下を歩いていると、すっと一筋の蜘蛛の糸が彼の眉のあたりに懸った。
- 【参考】夢野久作「けむりを吐かぬ煙突」: 細かい蜘蛛の糸が二すじ三筋付いていたから、特に注意して 摘 ( つま ) み 除 ( の ) けた。
- 【参考】梶井基次郎「冬の蠅」: 白く輝いた蜘蛛の糸が弓形に膨らんで幾条も幾条も流れてゆく。
- 【参考】久生十蘭 「顎十郎捕物帳 遠島船」: 深川 千歳町 ( ちとせちょう ) の水戸さまの 石置場 ( いしおきば ) から始まって 新大橋 ( しんおおはし ) のたもとまで、三丁の川岸っぷちにそって大小十四棟の 御船蔵 ( おふなぐら ) が建ちならんでいる。
- 【参考】吉川英治「私本太平記 八荒帖」: 「 十棟 ( とむね ) の 籾倉 ( もみぐら ) から物ノ具倉、 母屋 ( おもや ) もはや炎でございまする」
- 【参考】長谷川時雨 「西洋の唐茄子」: かなりの広さの地所へ隅の方に焼け蔵が 一戸前 ( ひととまえ ) あるだけで、
- 【参考】三遊亭圓朝 鈴木行三校訂・編纂 「西洋人情話英国孝子ジョージスミス之伝」: 霊岸島川口町 ( れいがんじまかわぐちちょう ) へ転居して、はや四ヶ年の間に前の 河岸 ( かし ) にずうっと 貸蔵 ( かしぐら ) を七つも建て、 奥蔵 ( おくぐら ) が 三戸前 ( みとまえ ) あって、 角見世 ( かどみせ ) で六間間口の 土蔵造 ( どぞうづくり ) 、
- 【参考】吉川英治 「鳴門秘帖 船路の巻」: 川には 艀舟 ( はしけ ) がこみ合っている。四国屋の五ツ戸前の蔵からは、まだドンドンと艀舟へ荷が吐かれている盛りだった。
- 【参考】喜田川守貞「守貞謾稿 巻之五(生業上)」: かくのごとき土蔵は一宇五、六戸あるいは十余ありて数宇を並べ造り、その辺に家居一戸を造りて蔵法師を住わしめ、
- 【参考】海野十三 「電気鳩」: この村のうんと上空を一だいの大きな飛行機が、あとに三だいのグライダーをひいてとんでいました。
- 【参考】豊島与志雄 「南さんの恋人 ――「小悪魔の記録」――」: 中央の円卓には、ビール瓶が二本、一本はからで、一本は栓もぬいてなく、コップ二つ、リキュールのグラスが二つ。
- 【参考】宮沢賢治 「狼森と笊森、盗森」: ある霜の一面に置いた朝納屋のなかの粟が、みんな無くなっていました。みんなはまるで気が気でなく、一生けん命、その辺をかけまわりましたが、どこにも粟は、 一粒 ( ひとつぶ ) もこぼれていませんでした。
- 【参考】幸田露伴 「風流仏」: 長き夜の 徒然 ( つれづれ ) を慰めて囲い 栗 ( ぐり ) の、皮 剥 ( むい ) てやる 一顆 ( いっか ) のなさけ、 嬉気 ( うれしげ ) に 賞翫 ( しょうがん ) しながら彼も 剥 ( む ) きたるを我に 呉 ( く ) るゝおかしさ。
- 【参考】牧野富太郎 「植物一日一題」: このハコグリが今東京都練馬区東大泉町五百五十七番地なる私宅の庭に育っている。これは藪を切り開いてこの宅地を設けるとき、偶然その樹を藪中に発見したので、これは珍らしいと保存したものである。その 毬彙 ( イガ ) はシバクリ式で小さく、まだ熟せぬ前からそれが開裂してまだ緑色の堅果を露出している。堅果は小形で中央に三顆一列に相並び、その左側に二顆、右側に二顆、都合七顆が相接して箱の中、いや毬彙内に詰っている。まれに八顆あることもある。
- 【参考】小出楢重 「油絵新技法」: デッサンの準備
木炭(西洋木炭) 木炭紙 カルトン(紙 挟 ( ばさ ) みであり 画板 ( がばん ) であるもの) クリップ 二個(紙を 抑 ( おさ ) える) フィキザチーフ Fixatif(仕上った画を定着する液) 吹き器(フィキザチーフを画面へ吹きつける) 食パン(食パンの 軟 ( やわらか ) きを指で練り固めてゴムの代用とする) 画架
【知識】 「クルー」は、一つの作業を共同で行うチームのことで、例えばテレビなどでは撮影や取材の際に編成されるカメラ・音声・照明などのひとまとまりとして使われる。 【知識】 「車」と言えば「人力車」などを指した時代があり、また、「乗り物」と言った場合「輿」「駕籠」を指した時代があった。【参考】島崎藤村 「新生」: 暗い門の外には 母衣 ( ほろ ) の掛った一台の俥が岸本を待っていた。…(中略)… 時々車夫の鳴らす鈴の音や、橋の上へさしかかる 度 ( たび ) に特に響ける車輪の音を母衣の内で聞いて行った
- 【参考】島崎藤村 「桜の実の熟する時」: 日蔭に成った坂に添うて、岸本捨吉は品川の停車場手前から 高輪 ( たかなわ ) へ通う抜け道を上って行った。客を載せた一台の 俥 ( くるま ) が坂の下の方から同じように上って来る 気勢 ( けはい ) がした。 石塊 ( いしころ ) に触れる車輪の音をさせて。
- 【参考】豊島与志雄「生と死との記録」: 看護婦は起きて行って、電話室へはいった。私も後からついて行った。もう一時になっていた。俥屋は中々起きなかった。それでも漸く起き上った。至急俥を二台頼んだ。
- 【参考】若杉鳥子「棄てる金」: その時、彼女の背後に、「お帰りいッ」と勢のいい車夫の声がして、一台の俥が梶棒を下ろした。
- 【参考】夏目漱石「虞美人草」: 雨を 衝 ( つ ) く一 輛 ( りょう ) の車は輪を鳴らして、 格子 ( こうし ) の前で留った。
- 【参考】芥川龍之介 「邪宗門」: 炎々と火の燃えしきる車が一輛、 人面 ( じんめん ) の 獣 ( けもの ) に曳かれながら、
- 【参考】徳冨蘆花 「小説 不如帰」: 三人 ( みたり ) の 出 ( い ) で来たるとともに、門前に待ち居し三 輛 ( りょう ) の車がらがらと引き来るを、老紳士は 洋傘 ( パラソル ) の淑女を顧みて
- 【参考】夏目漱石「虞美人草」: 突然電車に乗った浅井君は約一時間 余 ( よ ) の 後 ( のち ) 、ぶらりと 宗近 ( むねちか ) 家の門からあらわれた。つづいて車が二挺出る。一挺は小野の下宿へ向う。一挺は孤堂先生の家に去る。五十分ほど 後 ( おく ) れて、玄関の松の根際に 梶棒 ( かじぼう ) を上げた一挺は、黒い 幌 ( ほろ ) を 卸 ( おろ ) したまま、 甲野 ( こうの ) の屋敷を指して 馳 ( か ) ける。小説はこの三挺の使命を順次に述べなければならぬ。
- 【参考】三遊亭圓朝 鈴木行三校訂・編纂 「霧陰伊香保湯煙」: 此方 ( こちら ) は遅れて渋川まで私の車で往って、渋川で車を一挺雇って貴方が乗って追っかけりゃア 直 ( じき ) で、
- 【参考】徳冨蘆花 「小説 不如帰」: その時おそく「お帰りい」の呼び声勇ましく二 挺 ( ちょう ) の車がらがらと門に入りぬ。
- 【参考】徳冨蘆花 「小説 不如帰」: 四時ごろには用意成りて、三 挺 ( ちょう ) の車門に待ちぬ。浪子は 風通御召 ( ふうつうおめし ) の 単衣 ( ひとえ ) に、 御納戸色繻珍 ( おなんどいろしゅちん ) の丸帯して、髪は 揚巻 ( あげまき ) に 山梔 ( くちなし ) の花一輪、 革色 ( かわいろ ) の 洋傘 ( かさ ) 右手 ( めて ) につき、漏れ 出 ( い ) づるせきを 白綾 ( しろあや ) のハンカチにおさえながら、
- 【参考】牧野富太郎「植物一日一題」: 私の手許にこの会津産の権六グルミが二顆あって、かつて『植物研究雑誌』ならびに『実際園芸』へ写真入りで書いておいた。
- 【参考】幸田露伴 「五重塔」: 今しも台所にては 下婢 ( おさん ) が 器物 ( もの ) 洗う音ばかりして家内静かに、ほかには人ある様子もなく、何心なくいたずらに黒文字を 舌端 ( したさき ) で 嬲 ( なぶ ) り 躍 ( おど ) らせなどしていし女、ぷつりとそれを 噛 ( か ) み切ってぷいと吹き飛ばし、火鉢の灰かきならし炭火 体 ( てい ) よく 埋 ( い ) け、 芋籠 ( いもかご ) より 小巾 ( こぎれ ) とり 出 ( いだ ) し、銀ほど光れる 長五徳 ( ながごとく ) を 磨 ( みが ) きおとしを 拭 ( ふ ) き 銅壺 ( どうこ ) の 蓋 ( ふた ) まで奇麗にして、さて 南部霰地 ( なんぶあられ ) の 大鉄瓶 ( おおてつびん ) をちゃんとかけし後、
- 【参考】石川啄木 「漂泊」:『オイ君、函館にも 芸妓 ( げいしや ) が居るか。』 『居るとも。』 『 矢張 ( やつぱり ) 黒文字ツて云ふだらうか。』 『黒文字とは何だい。』 『ハハア、君は黒文字の趣味を知らんのだね。』 『何だ、其黒文字とは?』 『小楊枝のこツた。』 『小楊枝が怎したと云ふンだ。』 『黒文字ツて出すんださうだ。』 『小楊枝をか?』 『然さ、クドイ男だ喃。』 『だツて解らんぢやないか。』 『解ツてるよ、芸妓が黒文字ツて小楊枝を客の前に出すんだ。』 『だからさ、それに何処に趣味があるんだ。』 『楊枝入は錦かなんかの、素的に綺麗なものなさうだ。それを帯の間から引張り出して、二本指で、 一寸 ( ちよい ) と隅の所を拈ると、楊枝入の口へ楊枝が扇形に頭を並べて出すんださうだ。其楊枝が君、 普通 ( あたりまへ ) の奴より二倍位長いさうだぜ。』 『出す時黒文字ツて云ふんだね。』 『さうだ。』 『面白いことを云ふね。』 『面白いだらう。』
- 【参考】久生十蘭 「顎十郎捕物帳 小鰭の鮨」:「まア、ひょろ松、割り箸の中からいったいなにが飛びだす」 「 黒文字 ( くろもじ ) が出ます」 「それから?」 「恋の辻占。……あッ、なるほど、それだッ」
- 【参考】林不忘 「巷説享保図絵」: 祭るところの神は、 加賀 ( かが ) の 白山 ( はくさん ) に同じ、九月の二十一日がおまつりで、諸人群集、さかんなものである。黒文字の 楊枝 ( ようじ ) と、紙でつくった弓矢をお 土産 ( みやげ ) に出した。
- 【参考】蘭郁二郎 「歪んだ夢」: 私は早速ガーゼを持って来て小田君の鼻と口を覆い、クロロフォルムを一滴一滴と垂らしかけたのです。クロロフォルムのある非常によい甘いにおいが部屋の中にほんのり拡がりました。 始め二三回彼は頭を振ったようですが、それっきりクロロフォルムの甘いにおいをむさぼっているようでした、やがて発揚状態になって顔が少し赤くなって来ましたが私は構わず垂らし続けました。
- 【参考】夢野久作 「S岬西洋婦人絞殺事件」: 中学生の話の通りに岩山を越えてロスコー家に忍び寄り、先ず電話線と 呼鈴 ( よびりん ) 線を切断し、 酔臥 ( よいふ ) している東作を麻酔にかけ初めたが、案外麻酔が利かないのに驚いた。持って来たエーテルとクロロフォルムを最後の一滴まで使用してヤット目的を達したように思った。そこでアトはマカリ間違っても高の知れた女一匹という了簡で、勇敢に玄関の扉の鍵をコジ開けたものであった。
- 【参考】林芙美子 「 新版 放浪記」: 線路の上まで白いしぶきのかかるあの 蒼茫 ( そうぼう ) たる町、崩れた 崖 ( がけ ) の上にとげとげと咲いていたあざみの花、皆、何年か前のなつかしい思い出である。私は磯臭い蒲団にもぐり込むと、バスケットから、コロロホルムのびんを出して一二滴ハンカチに落した。このまま消えてなくなりたい今の心に、じっと色々な思いにむせている事がたまらなくなって、私は厭なコロロホルムの匂いを押し花のように鼻におし当てていた。
- 【参考】夢野久作 「ドグラ・マグラ」: その様子を見ていた正木博士は、小使に命じて 鍬 ( くわ ) 一 挺 ( ちょう ) 持って来さして呉一郎に与えた。
- 【参考】宮沢賢治 「イギリス海岸」: 私たちは新らしい 鋼鉄 ( こうてつ ) の三本 鍬 ( ぐわ ) 一本と、ものさしや新聞紙などを 持 ( も ) って出て行きました。
- 【参考】「日本書紀 巻第二十五 孝徳天皇紀」: 復有百姓臨向京日、恐所乘馬疲痩不行、以布二尋・麻二束送參河・尾張兩國之人、雇令養飼、乃入于京。於還鄕日、送鍬一口。
- 【参考】島崎藤村 「夜明け前 第二部下」: この戦争に参加した陸軍軍人およそ五万二百余人、 屯田兵 ( とんでんへい ) 六百余、巡査隊一万千余人、軍艦十四隻、海軍兵員およそ二千百余人と想像して見るがいい。
- 【参考】島崎藤村 「夜明け前 第二部下」: ついでながら当時の日本の蒸汽船というのは全部で三艘、すべて幕府の軍艦になっていて、内二隻はオランダから買入れた咸臨丸と 朝陽 ( ちょうよう ) 丸、他の一隻は英国女王から贈られた「エムペラア」改め 蟠龍 ( はんりょう ) 丸。
- 【参考】徳冨蘆花 「小説 不如帰」: 第二回の戦いは今や始まりぬ。わが本隊は西京丸が掲げし「赤城比叡危険」の信号を見るより、速力大なる先鋒隊の四艦を 遣 ( つか ) わして、赤城比叡を 尾 ( び ) する敵の三艦を追い払わせつつ、一隊五艦依然単縦陣をとって、同じく縦陣をとれる敵艦を中心に大なる 蛇 ( じゃ ) の目をえがきもてかつ 駛 ( はし ) りかつ撃ち、二時すでに半ばならんとする時、敵艦隊を一周し終わって敵のこなたに達しつ。
- 【参考】永井荷風「深川の唄」: 車は 八重 ( やえ ) に 重 ( かさな ) る線路の上をガタガタと行悩んで、定めの停留場に着くと、 其処 ( そこ ) に待っている一団の群集。中には大きな荷物を脊負った商人も二、三人 交 ( まじ ) っていた。
- 【参考】横光利一「上海」: 人々は波の上に半身を浮べた無言の群集となって、同じ速度で辷っていった。参木にはその群集の下に、さらに車を動かす一団の群集が潜んでいるようには見えなかった。
- 【参考】林不忘 「釘抜藤吉捕物覚書 怨霊首人形」: 桔梗屋の店頭、一団の 群集 ( ひとだかり ) が円陣を描いて申し合せたように軒の 端 ( はし ) を見上げている。
- 【参考】原民喜 「火の唇」: 恰度 ( ちょうど ) 電車から吐き出された群衆が、改札口から広場へ散って行くのだった。彼は何気なく一 塊 ( かたま ) りの動く群に眼を振向けてみた。
- 【参考】吉川英治「私本太平記 八荒帖」: 「――初春には、なお第三陣、四陣のご軍勢をも、 徴 ( ちょう ) することになりましょう」
- 【参考】菊池寛 「島原の乱」: 十一月十九日、寄手の軍は富岡城を攻めた。総軍一万二千分って五軍となす。
- 【参考】中里介山 「大菩薩峠 不破の関の巻」: かくて大谷の一行が街道の並木の中を上に向って行くと、ハタと行会ったところの一隊の軍勢がありました。
『都会節用百家通』(寛政8年・1796年) 一隊 ( いったい ) : 100人 一旅 ( いちりょ ) : 500人 一 師 ( いっし ) : 2,500人 一軍 ( いちぐん ) : 12,500人
文献での例:『一軍 一万二千五百人の兵士から成る一隊』(『邦訳 日葡辞書(岩波書店)』より。『日葡辞書』は、1603年・慶長8年 [ ] に発行された、日本イエズス会宣教師の編による日本語・ポルトガル語辞典)
『都会節用百家通』(寛政8年・1796年)より、「い」の項の『数量』の項。『一』の左ページに軍卒の人数が見られる。- 【参考】林不忘「若き日の成吉思汗 ――市川猿之助氏のために――」: 避難民の群れへ弓をさし向けて、威嚇のために 空弦 ( からつる ) を放つ。城中から軍卒一人走り出て叫ぶ。
- 【参考】菊池寛 「川中島合戦」: 越軍は先鋒柿崎和泉守が 大蕪菁 ( おおかぶら ) の旗を先頭に一隊千五百人が猛進をはじめ、午前七時半頃水沢の西端に陣取っていた武田左馬之介 典厩 ( てんきゅう ) 信繁の隊(七百)に向って突撃してきた。
- 【参考】菊池寛 「四条畷の戦」: その第二隊は生駒山の南嶺に 屯 ( たむろ ) し、大和にある官軍に備えて居る。師泰の遊軍二万は和泉堺を占領し、楠軍出動の要地である東条を、側面から衝かんとして集結中である。要するに賊軍の配備は消極的で、東条を包囲して徐々に半円径を縮めんとするものらしい。 一方官軍は三軍を編成し、正行は弟の正時と共に第一軍を率い、次郎 正儀 ( まさのり ) は東条に留守軍となって居た。
- 【参考】菊池寛 「田原坂合戦」: 此役に於ける官軍の編成は、旅団が単位であるが、一個旅団は二個連隊、四個大隊であり、之に砲工兵各々一小隊が加って、総員三千余人だった。最初野津少将の第一旅団、三好少将の第二旅団、総兵四千ばかりに、熊本鎮圧、歩兵第十四運隊の凡そ二千余が加って居た。
- 【参考】石原莞爾「戦争史大観」: 漢口には一個大隊の日本軍が駐屯していたのである。
- 【参考】菊池寛「山崎合戦」: 秀吉の軍勢は、二万六千余で、先陣はわが戦国時代のクリスチャン・ゼネラル高山右近であった。第二陣は中川瀬兵衛、第三陣は池田 勝入斎 ( しょうにゅうさい ) だ。
- 【参考】吉川英治「三国志 五丈原の巻」: 斥候隊を放つと、その斥候隊の生死も知れず、ただ一陣、蜀の関興軍が猛進してきた。
- 【参考】石原莞爾「戦争史大観」: 国軍の編制は兵力の増加に従い逐次拡大せり。特に注目に値するは、ナポレオンの一八一二年役に於て、実質に於て三軍を有しながら、依然一軍としての指揮法をとり、非常なる不便を 嘗 ( な ) めたりしが、欧州大戦前のドイツ軍は既に思想的には方面軍を必要としありしも遂に、ここに着意する能わずして、第一・第二・第三軍を第二軍司令官に指揮せしめ、国境会戦にてフランス第五軍を逸する一大原因をなせり。
- 【参考】菊池寛 「川中島合戦」: 越軍は先鋒柿崎和泉守が 大蕪菁 ( おおかぶら ) の旗を先頭に一隊千五百人が猛進をはじめ、午前七時半頃水沢の西端に陣取っていた武田左馬之介 典厩 ( てんきゅう ) 信繁の隊(七百)に向って突撃してきた。
- 【参考】菊池寛 「四条畷の戦」: その第二隊は生駒山の南嶺に 屯 ( たむろ ) し、大和にある官軍に備えて居る。師泰の遊軍二万は和泉堺を占領し、楠軍出動の要地である東条を、側面から衝かんとして集結中である。要するに賊軍の配備は消極的で、東条を包囲して徐々に半円径を縮めんとするものらしい。 一方官軍は三軍を編成し、正行は弟の正時と共に第一軍を率い、次郎 正儀 ( まさのり ) は東条に留守軍となって居た。
- 【参考】菊池寛 「田原坂合戦」: 此役に於ける官軍の編成は、旅団が単位であるが、一個旅団は二個連隊、四個大隊であり、之に砲工兵各々一小隊が加って、総員三千余人だった。最初野津少将の第一旅団、三好少将の第二旅団、総兵四千ばかりに、熊本鎮圧、歩兵第十四運隊の凡そ二千余が加って居た。
- 【参考】石原莞爾「戦争史大観」: 漢口には一個大隊の日本軍が駐屯していたのである。
- 【参考】菊池寛「山崎合戦」: 秀吉の軍勢は、二万六千余で、先陣はわが戦国時代のクリスチャン・ゼネラル高山右近であった。第二陣は中川瀬兵衛、第三陣は池田 勝入斎 ( しょうにゅうさい ) だ。
- 【参考】吉川英治「三国志 五丈原の巻」: 斥候隊を放つと、その斥候隊の生死も知れず、ただ一陣、蜀の関興軍が猛進してきた。
- 【参考】吉川英治「三国志 草莽の巻」: 吝 ( しみ ) ッたれ 奴 ( め ) ! 二百匹ばかりの軍馬がなんだ。あの馬を奪りあげたのは、かくいう張飛だが、われをさして強盗とは聞き捨てならん。おれが強盗なら汝は 糞賊 ( ふんぞく ) だ
- 【参考】吉川英治「三国志 望蜀の巻」: ところが、その講義の終るか終らないうちに、たちまち左右の森林から一隊の軍馬が突出して来た。
- 【参考】吉川英治「三国志 草莽の巻」: 宮人たちは、逃げまどい、車の陰にひそみ、唯うろたえるのみだったが――時しもあれ一 彪 ( ぴょう ) の軍馬がまた、 忽然 ( こつぜん ) と、大地から湧きだしたように、彼方の疎林や丘の陰から、 鼓 ( こ ) を打鳴らして殺到した。
- 【参考】吉川英治「三国志 草莽の巻」:「うぬっ、その細首の 髻 ( もとどり ) を、この手につかまぬうちは、誓ってここを退かんぞ! 陳登、城を出て闘え」 喚 ( わめ ) いているところへ、後ろにある高順の陣をめがけて、突然、一 彪 ( ぴょう ) の軍馬が北方から猛襲して来た。
- 【参考】吉川英治「三国志 出師の巻」: すると全く予測していなかった方面から、一 彪 ( ぴょう ) の軍馬が旋風となって側面へかかって来た。
- 【参考】吉川英治「三国志 図南の巻」: するとたちまち、堂々の金鼓、颯々の旗、一彪の軍馬は、野を横ぎって、冷苞勢の横を打ってきた。