【瓜食めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲はゆ】徹底解説!!意味や表現技法・句切れなど
新元号「令和」の典拠として改めて注目されることとなった『万葉集』。 天皇や皇族だけでなく農民まで、あらゆる人々の心情や生活から生まれた歌は、今なお共感できる部分が数多く残されています。 今回は、
国語は苦手だけど「銀」「金」「玉」のならびをうっすら記憶している、という人もいるかもしれませんね。 こちらは、『万葉集』に収録された、山上憶良の歌です。 銀も金も玉も何せむに勝れる宝子に及かめやも(万葉集) pic.twitter.com/eZjEV2OQfP — ℛ (@_remili.
作品全体を通して読むと、単にほのぼのとした子どもへの愛情を詠んでいるのではなく、 仏教の戒めの一つである愛執(愛するものに執着すること)に近い心境 として捉えていることが分かります。
ですがそんな状態であっても、最後は「銀や銀、宝石よりも子どもは私にとって宝だ」と、主観的で揺るがしがたい 子どもの尊さ を強く訴えかけています。
こうした一連の流れがあってこそ、 子どもを思う親の気持ちの強さが反映された美しい歌 だといえます。
「瓜食めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲はゆ」の鑑賞
この歌は、家族愛や人生について多く詠んできた作者が、 子への愛情を、実感を込めて歌い上げた人間味のある歌 です。
まだ砂糖がなかった時代において、瓜や栗といった甘みのある食べ物は 子ども達の大好物 だったのでしょう。「これを子ども達にも食べさせてやったら喜ぶだろうに・・・」と思いを馳せています。
こうした子供への深い愛情は、時の隔たりを感じさせず現代の人々にも共感できるものではないでしょうか。この歌を読むと、 いつの時代も変わらない、子を思う親の普遍的な愛情が身に染みて心に迫ってきます。
作者「山上憶良」を簡単にご紹介!
山上 憶良(やまのうえ の おくら)は、奈良時代初期の歌人・貴族です。父母や出自など詳しいことははっきりとしていません。一説には百済系渡来氏族(朝鮮半島から渡ってきた者の子孫)とも言われています。
大宝元年 (701 年)第七次遣唐使の少録に任ぜられ、先進国であった唐にわたり儒教や仏教など最新の学問を学びました。聖武天皇の皇太子時代、侍講として教育係にも任命されており、当時としても優秀な人物であったとうかがえます。
神亀 3 年( 726 年)頃筑前守に任ぜられ九州へと下向した憶良は、大宰帥として大宰府に着任した大伴旅人と出会います。
「山上憶良」のそのほかの作品
- 「銀も 金も玉も 何せむに まされる宝 子にしかめやも」
- 「白波の 浜松が枝の 手向けぐさ 幾代までにか 年の経ぬらむ」
- 「家に行きて いかにか我がせむ 枕付く 妻屋寂しく 思ほゆべしも」
- 「常磐なす かくしもがもと 思へども 世の事なれば 留みかねつも」
- 「大伴の 御津の松原 かき掃きて 我れ立ち待たむ 早帰りませ」
- 「霞立つ 天の川原に 君待つと い行き帰るに 裳の裾濡れぬ」
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- 1 「瓜食めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲はゆ」の詳細を解説!
- 1.1 作者と出典
- 1.2 現代語訳と意味(解釈)
- 1.3 文法と語の解説
- 2.1 句切れ
- 2.2 対句法
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