寺尾日枝神社。川越市寺尾の神社
寺尾日枝神社。川越市寺尾にある寺尾日枝神社の由緒と所蔵の文化財等を、新編武蔵風土記稿等からの引用を交えて案内。
日枝神社<川越市寺尾六四一(寺尾字寺側)> 当社は寺尾で一番の高地に鎮まり、社域には樹々が生い茂る。 その創建は明らかではないが、現存する棟札に宝永二年のものがあり、「奉再興山王権現宮一宇 郷中繁昌悉地円満息災延命如意安全之所寺尾山勝福寺蓮乗院秀諶之」と見え、往時、当社に隣接する天台宗寺尾山蓮乗院勝福寺が別当を務めていたことが知られる。 『風土記稿』の寺尾村の項に「山王社 村の鎮守なり、神体、何れも束帯の像にて彩色を施せり、長三寸坐像なり、勝福寺持なり、末社天神社 稲荷社」と載せる。 江戸時代は山王社と呼ばれていたが、明治初めの神仏分離により寺の管理を離れ、明治五年に日枝神社と改称して村社となり、同四〇年には字原の稲荷神社、字東原の石神社の二社を合祀するが、社はそのまま残されている。このうち石神社は、お杓文字様とも呼ばれ、夜泣きに効く神様といわれ、杓文字を上げて祈願を行う信仰を持つ社である。現在は、氏子榎本家の屋敷神として祀られている。 主祭神は大山咋命である。境内末社は菅原神社・稲荷神社・厳島神社の三社で、先の二社は古くから祀られているものであるが、厳島神社は『風土記稿』に弁天社として勝福寺境内の鎮守と載ることから、神仏分離に伴い当社境内に移し、社名を変更したものと思われる。(「埼玉の神社」より)