助数詞一覧 = な行
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な コピーサイトが見受けられます。著作権侵害という犯罪 データの無断転載を禁じます。未经授权的复制是非法的 もの 数え方 な 菜 [→ 野菜、→ 菜っ葉] 一把(わ)、一束(たば)、一株、一個、一玉、一枚、一本- 【参考】室生犀星「津の国人」: 月のいい夜であった。一束の白い菜をかかえた夫は、簀(す)の子のうえに白い菜を置いたが、筒井(つつい)はそれがどうして手にはいったかを尋(たず)ねるには、あまりに解り切ったことだった。
- 【参考】芥川龍之介 「アグニの神」: 眼をつぶった妙子の顔の先へ、一挺のナイフを突きつけました。
- 【参考】海野十三 「地球発狂事件」: 小蒸気船からあがるとき、彼はポケットに手を入れて金をつかみ出した。と、金に変って、彼の持ち物ではない小さいナイフが一挺入っていた。
- 【参考】横光利一 「時間」: さて困ったことになったと思ったが私の傍のものはまア刃物がないのだから良いとして、馳けていったもの三人の間には一本ナイフがあるのだからそのまま捨てておくわけにもいかず、
- 【参考】菊池寛「真珠夫人」: 其処に、昨日と同じ内容証明の郵便物が、三通まで重ねられていたのである。
- 【参考】豊島与志雄「蓮」: 更に植木屋から、白蓮と紅蓮との苗根を一株ずつ取寄せ、
- 【参考】太宰治 「清貧譚」: 才之助は驚愕して、着物を抱き上げたら、その下の土に、水々しい菊の苗が一本生えていた。
- 【参考】リットン 岡本綺堂訳「世界怪談名作集 貸家」: おなじ型の家具——三脚の椅子、一脚の槲(かしわ)の木の長椅子、一脚のテーブル、それらはほとんど八十年前の形式の物であった。
- 【参考】宮本百合子 「図書館」: 皮ばりの大長椅子が二列、三かわほど置かれ、そこにすき間なく閲覧者がかけて待っている。
- 【参考】岡本綺堂 「思い出草」: 元園町一丁目だけでも長唄の師匠が二、三軒(げん)、常磐津(ときわづ)の師匠が三、四軒もあったように記憶しているが、今では殆ど一軒もない。湯帰りに師匠のところへ行って、一番唸(うな)ろうという若い衆(しゅ)も、今では五十銭均一か何かで新宿へ繰込む。
- 【参考】林不忘 「丹下左膳 こけ猿の巻」: 櫛まきにとりあげた髪を、合わせ鏡にうつして見ながら、立て膝のまま口のなかでうたいだしたのは、長唄末広(すえひろ)がりの一節——。
- 【参考】与謝野晶子 「遺書」: 二人の女中と一足の長靴と云うことで私は暫(しばら)く怖(おび)えさせられて居ると云うのです。
- 【参考】ディッケンス 森田草平訳 「クリスマス・カロル」: 上敷とタウェルの類、少し許りの衣裳、旧式の銀の茶匙二本、一挺の角砂糖挟み、それに長靴二三足。彼女の勘定も前と同じように壁の上に記された。
- 【参考】永井荷風 「濹東綺譚」: 其場の出来心からわたくしは古雑誌の勘定をするついでに胴抜の長襦袢一枚を買取り、坊主頭の亭主が芳譚雑誌の合本と共に紙包にしてくれるのを抱えて外へ出た。
- 【参考】与謝野晶子 「遺書」: 父は笑って、「なに、長襦袢(ながじゅばん)を一枚むだにしたのさ」といわれたばかりでした。
- 【参考】蘭郁二郎 「夢鬼」: カラカラに乾いた咽喉と血走った眼に、フト、――一寸一ぱい、千鳥(ちどり)食堂――と禿ちょろの看板をぶら下げた居酒屋が写った。 しみだらけの暖簾(のれん)を、ぐいと肩で押して、這入った。 中は土間に、三四脚の長床几(しょうぎ)を置いただけの、ひどく殺風景な、薄暗い店であった。
- 【参考】芥川龍之介 「きりしとほろ上人伝」: 三十人の力士もえ舁(か)くまじい長櫃(ながびつ)十棹(とさを)の宰領を承つて、ほど近い御所の門まで、鼻たかだかと御供仕つた。
- 【参考】作者不詳 「源平盛衰記(国民文庫)」: 長櫃一合、其中には宿物一領、小袖十領、直垂五具、絹十匹入べし、
- 【参考】芥川龍之介 「身のまわり」: 八畳二間(ふたま)、六畳一間(ひとま)、四畳半二間、それに湯殿(ゆどの)や台所があつても、家賃は十八円を越えたことはなかった。僕らはこういう四畳半の一間にこの小さい長火鉢を据え、太平無事(たいへいぶじ)に暮らしていた。あの借家(しゃくや)も今では震災のために跡かたちもなくなっていることであろう。
- 【参考】田山花袋 「朝」: 岸に繋(つな)がれた一艘の船には、長い間田舎家の茶の間に据えられた長火鉢だの、茶箪笥だのがそのまゝ積まれてあった。
- 【参考】相馬愛蔵、相馬黒光 「一商人として ――所信と体験――」: さて私たちはどうしていたかというと、昼なお暗い階下の三畳、そのまた一枚の畳は破れ箪笥と、先代から譲られた長火鉢が据っており、その前をすれすれに勝手兼工場と店との通路なので、
- 【参考】森鴎外 「渋江抽斎」: それから長持一棹(ひとさお)の錦絵を書画兼骨董商近竹(きんたけ)に売った。
- 【参考】島崎藤村 「夜明け前 第一部 下」: 京都から引き揚げる将軍家用の長持が五十棹(さお)も木曾街道を下って来るころは、
- 【参考】石川啄木 「赤痢」: 今の村長様の嬶様でせえ、箪笥が唯三竿−−、否(うんにゃ)全体(みんな)で三竿でその中の一竿はハア、古い長持だっけがなッす。
- 【参考】「義経記」: 鎌倉殿より、貝摺りたる長持三枝給はる。宇都宮三枝、小山左衛門三枝、 楽党三人して九枝、その他一枝二枝、舞台の廻りに枋を並べて搔据ゑたる。
- 【参考】佐々木味津三 「旗本退屈男 第十話幽霊を買った退屈男」: 駈けつけて見すかすと、なるほど八九名の影がある。しかも大きな長持を一挺(ちょう)担(にな)わせて、その黒い影の塊りが左右四方から厳重に守りつつ現れたのです。
- 【参考】森鴎外 「渋江抽斎」: 江戸を発する時、多く金を携えて行くのは危険だといって、金銭を長持(ながもち)五十荷(か)余りの底に布(し)かせて舟廻(ふなまわ)しにしたからである。
- 【参考】太宰治 「人間失格」: 主な収入は、なくなった主人が建てて残して行った五六棟の長屋の家賃のようでした。
- 【参考】国木田独歩 「空知川の岸辺」: 見れば山に沿ふて長屋建(ながやだち)の一棟あり、これに対して又一棟あり。絃歌は此長屋より起るのであつた。一棟は幾戸かに分れ、戸々皆な障子をとざし、其障子には火影花(はなや)かに映り、三絃の乱れて狂ふ調子放歌の激して叫ぶ声、笑ふ声は雑然として起つて居るのである、牛部屋に等しき此長屋は何ぞ知らん鉱夫どもが深山幽谷の一隅に求め得し歓楽境ならんとは。
- 【参考】梶井基次郎 「ある崖上の感情」: ことに彼にそういう気持を起こさせたのは、一棟(ひとむね)の長屋の窓であった。
- 【参考】正岡子規 「墓」: 何も墓地を広くしないからッて死者に対する礼を欠くという訳はない。華族が一人死ぬると長屋の十軒も建つほどの地面を塞(ふさ)げて、甚だけしからん、といって独り議論したッて始まらないや。
- 【参考】夏目漱石 「倫敦消息」: 向うに雑な煉瓦造(れんがづく)りの長屋が四五軒並んでいる。前には何にもない。砂利を掘った大きな穴がある。東京の小石川辺の景色だ。長屋の端の一軒だけ塞(ふさ)がっていてあとはみんな貸家の札が張ってある。
- 【参考】永井荷風 「深川の散歩」: 露地(ろじ)を入って右側の五軒長屋の二軒目、そこが阿久(おひさ)の家で、即ち私の寄寓する家である。
- 【参考】羽志主水 「越後獅子」: 三軒長屋を四棟焼いて、鎮火は仕たが、椿事(ちんじ)突発で、騒は深刻になって来た。
- 【参考】林不忘 「早耳三次捕物聞書 霙橋辻斬夜話」: 東仲町が大川橋にかかろうとするその袂(たもと)を突っ切ると材木町、それを小一町も行った右手茶屋町の裏側に、四軒長屋が二棟掘抜井戸を中にして面(むか)い合っている。それが甚右衛門店であった。
- 【参考】森田草平 「四十八人目」: 長屋の位置を見がてら、その家紋を読んでまいりましたが、だいたい表通りに向った一棟(ひとむね)と、南側に添うた一棟と、総長屋は二棟に別れておりまして、戸前の数は三十あまり四十戸前もございましょうか。そのほかに家老小林の住宅(すまい)は、別に一軒建ちになっておりました
- 【参考】有島武郎 「星座」: 白官舎はその市街の中央近いとある街路の曲り角にあった。開拓使時分に下級官吏の住居として建てられた四戸の棟割長屋ではあるが、亜米利加(アメリカ)風の規模と豊富だった木材とがその長屋を巌丈(がんじょう)な丈け高い南京下見(したみ)の二階家に仕立てあげた。
- 【参考】喜田川守貞 「守貞謾稿 巻之三(家宅)」: 長屋と号して一宇数戸の小民の借屋には、毎戸に厠を造らず、一、二戸を造りて数戸の兼用とするなり。これを京坂にては、惣雪隠と云う。江戸にては、惣ごうかと云う。【編集注】「守貞謾稿(もりさだまんこう)」は、天保8年(1837)から慶応3年(1867)まで、30年間にわたって書かれた江戸時代後期の風俗史。 []
- 【参考】岡本かの子 「川」: かの女の川への絶えざるあこがれ、思慕、追憶が、かの女の耳のほとりへ超現実の川の流れを絶えず一筋流している。
- 【参考】宮本百合子 「菊人形」: 田圃のなかへ来ると、名も知れない一筋の流れとなるその小川をたどって、くねくねと細い道を遠く町の中へ入って行くと、工場のようなところへ出て、
- 【参考】吉川英治 「鳴門秘帖 船路の巻」: この平地へ出てから、低く傾いた二日の月が、ほのかに照らしていることに気がついた。そして、駕の中から野末(のずえ)をすかしてみると、すぐそこに、一条の流れが、銀流のように見える。 源内は驚いたさまで、 「猫間川じゃないか、ここは?」
- 【参考】中井正一 「国立国会図書館」: アレクサンダーが戦を起して、多くの人々が印度とイラン地方の砂の中に骨をうずめたが、その間にも、文化のいとなみは、自然のそれの如く、その歩みを止めなかった。東西の文化はあの時一つの流れの中にとらえられ、高きものは低きものへと水圧のそれのように世界の文化の面の上に拡がった。
- 【参考】中谷宇吉郎「比較科学論」: 流星は案外たくさん始終地球上に降りそそいでいるもので、重さ一ミリグラム以上の流星は、一日に一億七千万個、〇・〇二五ミリグラムのものまでいれると、一日に八十億個ぐらいは地球の大気中にはいっていると、専門家は計算している。
- 【参考】大島亮吉「涸沢の岩小屋のある夜のこと」: ふと夜空に流星がひとつすっと尾をひきながら強く瞬間的にきらめいて、なにかひとつの啓示を与えたかのように流れ消えた。
- 【参考】岸田國士「遂に「知らん」文六(三場)」: どの星も、どの星も、ぢつとしたまゝ、普段の通りに輝いてゐます。普段よりも、しめやかに輝いてゐます。「どれだ、彗星は」誰かゞ叫びました。かうして空を見てゐるといつでも、一つや二つの流れ星が眼につくものです。
- 【参考】徳川実紀第一編 東照宮御実紀附録 [弘治二年(1556年)]: 江戶より伏見へ上らせらるゝに。鹵簿のさまもいと御質素にて鎗二本。長刀一振。弓一張。挾箱二。御先に馬ひかせ給ふ事もなく。
- 【参考】泉鏡花「神鷺之巻」: 第一可恐(おそろし)いのは、明神の拝殿の蔀(しとみ)うち、すぐの承塵(なげし)に、いつの昔に奉納したのか薙刀(なぎなた)が一振(ひとふり)かかっている。
- 【参考】国枝史郎「首頂戴」: 白木柄の薙刀一振を、紫の袱紗で捧げ持ち、前後に眼を配っている。
- 【参考】種田山頭火 「旅日記 昭和十四年」: 十一時、薮原に入った、一杯元気で福島へ急ぐ、途上、下げ髪モンペ姿の少女を見たとき、薙刀の一本をあげたいと思った。
- 【参考】「披沙揀金 - 徳川家康公逸話集」: 家康公は御持鑓などゝて無之。御長刀一枝と十文字一本なり。天正十七年、大和大納言殿より胴金の具足三百領、中卷有之野太刀百振被遣候。是を甲州武田どの家の中間被召抱候。右の具足を著せ、大野太刀をもたせたまふ。
- 【参考】芥川龍之介 「きりしとほろ上人伝」: なれどもこなたはものともせいで、大薙刀をとりのべながら、二太刀三太刀あしらうたが、やがて得物をからりと捨てて、猿臂(ゑんぴ)をのばいたと見るほどに、早くも敵の大将を鞍壺(くらつぼ)からひきぬいて、目もはるかな大空へ、礫(つぶて)の如く投げ飛ばいた。
- 【参考】細井和喜蔵「モルモット」: そして、その明る日も梨を一個もらって来た。と、彼女は何時しか此のこつを覚えてその八百屋でばかり青物を買うようになった。
- 【参考】薄田泣菫 「艸木虫魚」: 今日久しぶりに岡山にいる友人G氏が訪ねて来た。そして手土産だといって梨を一籠くれた。梨は一つずつ丁寧に二重の薄紙に包まれていたが、その紙をめくってみるとなかからは黄熟した肌の滑っこい、みずみずしい大粒の実が現われた。
- 【参考】「今昔物語集 一三・一八」: 大なる梨子・柿多く捜り〈略〉其の味極て甘して一二果を食つるに餓の心皆止て
- 【参考】泉鏡花「寸情風土記」: 春雨(はるさめ)のしめやかに、謎(なぞ)を一(ひと)つ。……何枚(なんまい)衣(き)ものを重(かさ)ねても、お役(やく)に立(た)つは膚(はだ)ばかり、何(なに)?……筍(たけのこ)。
- 【参考】宮本百合子 「新しい躾」: 世界の人が、日本の謎の一つとする「日本人の笑い」というものがあります。本当に嬉しいこと、おかしいこと、楽しいことが一つもないのに、日本人はいつもぼんやりした微笑を、顔の上に漂べている、と、不思議に気味わるく思うのです。
- 【参考】佐々木味津三 「旗本退屈男 第三話 後の旗本退屈男」: いかな退屈男も、これにはしたたかぎょっとなりました。無理もない。ぎょっとなったのも、またおよそ無理のないことでした。事実は計らずもここに至って、二つの奇怪な謎を生じたわけだからです。
- 【参考】宮本百合子 「一太と母」: 一太の竹籠にはたった二三本の納豆の藁づとと辛子壺が転っているばかりだ。
- 【参考】種田山頭火 「其中日記(八)」: 菜葉一把三銭也、新漬として毎朝の食膳をゆたかにしてくれる。
- 【参考】種田山頭火 「松山日記」: 途上、菜葉一株拾うた、煮て食べる。
- 【参考】小熊秀雄 「小熊秀雄全集-19- 美術論・画論」: 夏蜜柑は酸っぱいものをクーといって嫌う人があるとすれば、それは夏蜜柑を一個、五銭か十銭のものより買ったことがないからである、一個十五銭も、十六銭ものいちばん高いものを買えば、夏蜜柑もなかなか甘いものである、
- 【参考】小熊秀雄 「殴る」: 幸彼女は飢えたようにがつがつと歯を鳴らして、夏蜜柑に砂糖をかけたのを、一日に七ツも八ツも貪り喰い無性にうれしがっていた。
- 【参考】夏目漱石 「京に着ける夕」: その時子規はどこからか夏蜜柑(なつみかん)を買うて来て、これを一つ食えと云って余に渡した。余は夏蜜柑(なつみかん)の皮を剥(む)いて、一房(ひとふさ)ごとに裂いては噛(か)み、裂いては噛んで、あてどもなくさまようていると、
- 【参考】佐藤垢石「酒徒漂泊」: 浪花節はわしも好きならこの村の人たちは誰でもみんな好きだ。ところで、今夜お前さんたちがわしの店で一席やれば、村の人を大勢集めてきてお鳥目(ちょうもく)を貰ってやる。
- 【参考】小島烏水「槍ヶ岳第三回登山」: 小舎の中は未だ雪が多くて、泊まることは出来そうもない、鍋が一枚蔵してあった、
- 【参考】井上円了 「迷信解」: わが国にて豚を養えるものなきときに、「ブタ」の見せ物の看板を掲げておいた。これを見るものその内部に入れば、鍋蓋(なべぶた)一枚を置いてあったという話も同じことじゃ。
- 【参考】徳田秋声 「縮図」: 朝の味噌汁の冷え残りか、生揚げの一ひらで済ますという切り詰め方であった。
- 【参考】徳冨健次郎 「みみずのたはこと」: 若者が二人威勢(いせい)よく盤台を担(かつ)いで来たので、珍らしい事だと出て見ると、大きな盤台の中は鉛節(なまりぶし)が五六本に鮪(まぐろ)の切身が少々、
- 【参考】泉鏡花 「雪柳」: 旅費のつかい残りで、すぐに石油を買う体裁(ていたらく)、なけなしの内金で、その夜は珍らしく肴(さかな)を見せた、というのが、苦渋いなまり節、一欠片(ひとかけら)。大根おろしも薄黒い。
- 【参考】泉鏡花 「海異記」: すぽりと離れて、海へ落ちた、ぐるぐると廻っただがな、大のしに颯(さっ)とのして、一浪(ひとなみ)で遠くまで持って行った、どこかで魚(うお)の目が光るようによ。
- 【参考】宮本百合子 「獄中への手紙一九四三年(昭和十八年)」: 一つ一つよせてはかえす波にばかり目をとられず、潮を見られる人が船のりでありましょう。
- 【参考】泉鏡花 「海異記」: 浪打際といったって、一畝(ひとうね)り乗って見ねえな、のたりと天上まで高くなって、嶽(たけ)の堂は目の下だ。
- 【参考】横光利一 「旅愁」: 大きな波が一うねりどっと来ればたちまち姿を没しそうな小さな島が、当時の偉人を幽閉するに恰好な島だとは、
- 【参考】横光利一「日輪」: 兵士たちの嘲笑とともに鞺(ど)ッと浜藻の上へ投げ出された。一連の波が襲って来た。
- 【参考】夏目漱石「虞美人草」: 隙間(すきま)なく渋(しぶ)の洩(も)れた劈痕焼(ひびやき)に、二筋三筋藍(あい)を流す波を描(えが)いて、真白(ましろ)な桜を気ままに散らした、薩摩(さつま)の急須(きゅうす)の中には、
- 【参考】中里介山 「大菩薩峠 安房の国の巻」: 試みに風凪(な)ぎたる日、巌(いわ)の上に佇(たたず)んで遠く外洋(そとうみ)の方をながむる人は、物凄き一条の潮(うしお)が渦巻き流れて、伊豆の方へ向って走るのを見ることができましょう。その潮は伊豆まで行って消えるものだそうだが、果してどこまで行って消えるのやら、漁師はその一条の波を「潮(しお)の路」といって怖れます。
- 【参考】木下杢太郎「海郷風物記」: 一條の微かなる浪の高まりがあるかなきかのように、その銅城のほとりから離れて來て、段々と色は濃く、形は明かになって
- 【参考】木下杢太郎「海郷風物記」: その引いてゆく波の一すじ、泡の一つ一つにまで、折しも西山に近いたる夕日の影が斜めに当って、かくてシヤボン玉(だま)の色のような美しい夢の模様を現わすのである。
- 【参考】海野十三「怪塔王」: 海上は油を流したように穏やかで、ただ艦艇のあとには、数条の浪がながくつづいていました。
- 【参考】吉川英治 「鳴門秘帖 船路の巻」: 真っ青な川面(かわづら)を、まぐれ波が一条(ひとすじ)白くよれてゆく。そして、後に風の音があった。
- 【参考】坂口安吾 「夜長姫と耳男」: ヒメが立ち去ろうとするとき、オレの目に一粒ずつの大粒の涙がたまっているのに気がついた。
- 【参考】魯迅 井上紅梅訳 「不周山」: 長方形の板の下の小さい眼は、芥子粒(けしつぶ)より小さい二粒の涙を漾(たた)えているのが見える。
- 【参考】中里介山 「大菩薩峠 めいろの巻」: もし、彼の見えないところの眼底に、この時、一点の涙があるならば、それは春秋の筆法で慶応三年秋八月、近松門左衛門、机竜之助を泣かしむ
- 【参考】芥川龍之介 「尼提」: その青紺色(せいこんしょく)の目の中にも一滴(いってき)の涙さえ浮べさせたのである。
- 【参考】夏目漱石 「趣味の遺伝」: 万歳がとまると共に胸の中(うち)に名状しがたい波動が込み上げて来て、両眼から二雫(ふたしずく)ばかり涙が落ちた。
- 【参考】石川啄木 「鳥影」: 清子の顔を見るその静子の眼から、美しい涙が一雫二雫頬に伝(った)った。
- 【参考】坂口安吾 「二十七歳」: 私は死亡通知の一枚のハガキを握って、二三分間、一筋か二筋の涙というものを、ながした。
- 【参考】外村繁 「日を愛しむ」: 「母さん、もうそろそろ疼痛時にしないかね」 見ると、素子の顔に一筋の涙が伝い落ちている。素子は沈痛な口調で言う。
- 【参考】菊池寛 「真珠夫人」: 最愛の娘の涙に誘われたのであろう。老いた政治家の頬にも、一条の涙の痕が印せられた。
- 【参考】坂口安吾 「明治開化 安吾捕物 その十 冷笑鬼」: 彼はまた、たまりかねて忍び笑い、それを噛み殺すために幾条もの涙の流れをアゴの下まで長くたらした。
- 【参考】夏目漱石 「吾輩は猫である」:潸然(さんぜん)として一掬(いっきく)の涙(なんだ)を紫の袴(はかま)の上に落した。
- 【参考】神西清 「雪の宿り」: 旧(ふる)き代の富貴(ふうき)、栄耀(えよう)の日ごとに毀(こぼ)たれ焼かれて参るのを見るにつけ、一掬(いっきく)哀惜の涙を禁(とど)めえぬそのひまには、
- 【参考】甲賀三郎 「支倉事件」: 筆者は薄幸なりし彼女の半生に一掬(いっきく)の涙を濺(そゝ)ぐに止(とゞ)まって、敢て彼女を責めようとはせぬ。
- 【参考】吉川英治 「新書太閤記 第四分冊」: 屍(かばね)、屍、屍。 敵味方の無数の死骸も、踏みこえ、躍りこえ、突撃してゆく彼の眼には、一掬(きく)の涙もなかった。 死のうは一定――生身(いきみ)の我も、路傍の死者も、彼は差別を思わないのである。
- 【参考】織田作之助 「勧善懲悪」: 銀主を見つけて、採取するのもよし、転売しても十倍の値にはなるとの話に、丹造の眼はみるみる光り泪一つこぼさず、三味線の心得あるを倖い、お千鶴をしかるべきところへ働きに出した。そして砂金の鉱区を買ったが……。
- 【参考】芥川龍之介「悠々荘」: 僕等は芒(すすき)の穂を出した中を「悠々荘」の後(うし)ろへ廻(まわ)って見た。そこにはもう赤錆(あかさび)のふいた亜鉛葺(とたんぶき)の納屋(なや)が一棟(ひとむね)あった。納屋の中にはストオヴが一つ、西洋風の机が一つ、それから頭や腕のない石膏(せっこう)の女人像(にょにんぞう)が一つあった。
- 【参考】津村信夫「挿頭花」:昔、寺侍が住んでいた長屋、そして一棟の長細い渡り廊下のような納屋の壁にそって、鶏頭の花が咲いて、もう気の早い冬支度か、うづ高く薪が積まれていた。
- 【参考】「宣経久世方文書送進状」 渡進久世文書事 杉箱一合内 一 引付廿二帖 新古在之、 一 田地名寄帳七通 元亨四年 延文二年 五通 暦応三年 建武三年 帳一帖 以上 七通一帖 一 散用状九通 新古在之、 (板) 一 真坂并寒河沙汰 支証案文以下一結 一 放生会廻請 数通在之、 一 雑々請取以下案文在之、 以上慥悉渡候了、 応永廿二年卯月九日 宣経(花押) (奥書) 「久世方手文送状 但以往分 文明十一年己亥七月日注之、」 〔編集注:応永廿二年は西暦1415年で、室町時代〕
- 【参考】泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」:雀の一家族は、おなじ場所では余り沢山(たくさん)には殖えないものなのであろうか知ら? 御存じの通り、稲塚(いなづか)、稲田(いなだ)、粟黍(あわきび)の実る時は、平家(へいけ)の大軍を走らした水鳥(みずどり)ほどの羽音(はおと)を立てて、畷行(なわてゆ)き、畔行(あぜゆ)くものを驚かす、夥多(おびただ)しい群団(むれ)をなす。鳴子(なるこ)も引板(ひた)も、半ば――これがための備(そなえ)だと思う。
- 【参考】有島武郎「星座」: 機械室から暗窖(グランド・セラー)のように暗みわたった下の方へ向けて、太い二本の麻縄が垂れ下り、その一本は下の方に、一本は上の方に静かに動いていた。
- 【参考】与謝野寛「蓬生」: 左の手に蝋燭(ろうそく)を持って兄の背後(うしろ)に廻(まわ)ったが、三筋(みすじ)の麻縄(あさなわ)で後手に縛(しば)って柱(はしら)に括(くヽ)り附けた手首(てくび)は血が滲(にじ)んで居る。
- 【参考】中里介山「大菩薩峠 めいろの巻」:「いる、いる、たしかにこん中に、人がいるに違えねえだ」と与八が声を立てた時、後ろから与八の首へ、すっと一筋の縄が巻きつきました。
- 【参考】泉鏡花 「女仙前記」: 丁度(ちょうど)、天秤(てんびん)の端(はし)に吊(つる)してある二條(ふたすじ)の細縄(ほそなわ)に、雪(ゆき)を包(つゝ)むのと同一(おなじ)、熊笹(くまざさ)を一束(ひとたば)結(ゆい) つけ、日覆(ひおおい)のようにして、兎(うさぎ)の肌(はだ)を庇(かぼ)うてあった。
- 【参考】ビクトル・ユーゴー 豊島与志雄訳「レ・ミゼラブル」: 確かに彼はそれをも一条の繩のために惜しみはしなかったろう。
- 【参考】中里介山「大菩薩峠 小名路の巻」: 神尾はついに金剛力を出しました。その力で、わずかに取縋(とりすが)っていた一条の井戸縄の手が離れました。
- 【参考】三鳥山人 「豚吉とヒョロ子」: 大きな鋸(のこぎり)を一梃と、縄の束を一把と取って、
- 【参考】海野十三 「少年探偵長」:ヘリコプターからバラリとおりてきたのは一条の縄梯子(なわばしご)。
- 【参考】大杉栄 「獄中消息」:毎日毎日南京虫に苦しめられるから、どうしたら善かろうかと、運動の時に相棒の強盗殺人犯先生に聞いて見た。先生の言うには、それは殺すに限る、朝起きたら四方の壁を三十分ぐらいにらんで居るのだ、きっと一疋や二疋は這って居る、と。果然、のっそりのっそりとやっている。すぐに捕えてギロチンに掛けた。人の血を吸う奴はみなこうしてやるに限る。
- 【参考】斎藤茂吉 「南京虫日記」:私は維也納(ウインナ)以来の屡(しばしば)の経験で直ぐ南京(ナンキン)虫だといふことを知つた。困つた困つたと思つたが、辛抱して三十分余りかかつて大小二匹の南京虫を捉へ、それを紙に包んで置いて、日用品だけ大急ぎで調へ、日本媼の処に逃げて来た。
- 【参考】宮本百合子 「ソヴェトの芝居」:まして、ソヴェトの勤労人民の誰が、五ヵ年計画を十度やったあとの社会には、一匹の南京虫と一人官僚主義的俗人が、博物学の標本としてのこるような世の中に成ると思っているだろう!
- 【参考】牧野富太郎「植物一日一題」: 上の南天巨幹はその根元から七本に分かれ、その中の最大の主幹は株元から曲尺(かねじゃく)二尺一寸五分ばかりの辺に最下の一枝があり、根元から五寸ばかりのところは周り八寸あって、そして幹の全長は一丈四尺五寸あった。 今日右とは別に私宅にも一本の巨大な南天の材が保存せられてある。長さは上述近江のものには及ばないが、太さは根元から八寸ばかりのところで周囲まさに九寸を算するから、右近江のそれよりも一寸多い(しかし最下の方はやや小さくなっている)。
- 【参考】牧野富太郎「植物一日一題」: 私は大正十二年(1923)八月にこれを備後三原町南方の在で得たが、当時一漁民の家の庭に一叢の南天が繁っていて、その叢中にこの一本の巨幹が交っていた。そこで早速その持主に乞うてこれを伐り東京の我が家に携へ帰って、今日なお秘蔵しているものである。これぞすなわち、今私の知り得る範囲では最大な南天の巨材である。
- 【参考】鈴木三重吉 「女の子」: そのとなりの庭には、開き戸の側に、南天の木の柔(やはらか)い葉の茂つた一と株があつて、白い粒々の花がいくつも附いてゐる。その先にはナスタシヤムの朱黄色の花が半坪ばかりに植ゑ寄せられて、ぱつと目に立つてゐる。
- 【参考】小熊秀雄「小熊秀雄全集-19- 美術論・画論」: そこでは桂月氏の写実力よりも、写実的態度が問題になる。小さな赤い南天のたった一粒の実が語る、この自然物の運命というものは、なかなかに興味の深いものがある。
- 【参考】岡本かの子「雜煮」:その年の元日の朝陽はさはやかであつた。障子を隈なく明け放した座敷に悠々と流れ入つた朝陽の色が疊一ぱいに擴がつて床の大花瓶に插されてあつた眞赤な南天の實が冴え冴えと一粒一粒ひかつた。
- 【参考】徳冨蘆花 「小説 不如帰」: 四時ごろには用意成りて、三挺(ちょう)の車門に待ちぬ。浪子は風通御召(ふうつうおめし)の単衣(ひとえ)に、御納戸色繻珍(おなんどいろしゅちん)の丸帯して、髪は揚巻(あげまき)に山梔(くちなし)の花一輪、革色(かわいろ)の洋傘(かさ)右手(めて)につき、漏れ出(い)づるせきを白綾(しろあや)のハンカチにおさえながら、
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