【前編】94歳、辰巳芳子さんからの伝言。生ハム作りを通して学んだ、生きること、考えること。
「120本仕込むのも苦じゃない。 考えて考え抜くのも面白かった。」
辰巳芳子(たつみ・よしこ)さん●「良い食材を伝える会」会長、「大豆100粒運動を支える会」会長。料理家であり、随筆家としても名高い。独自のスープ料理をまとめた『あなたのために』はロングセラー。『野菜に習う』『さ、召し上がれ。』(共に小社刊)など著書多数。大正13年生まれ、94歳。「いのちのスープ」で有名な料理家・辰巳芳子さんはまた、「生ハムを日本で初めて成功させた人」でもある。
「風味といい、熟成の味わいといい、(生ハムは)豚肉料理の中で、最もおいしいと思っています。不思議ですね、多くの業者がイタリア人を招聘してトライしたが完成できなかったのに、日本人で、女の私が、初めて成功させた。スペインから訪れた人たちも、日本人がこんな生ハムを作れるのかと、賞賛半分、畏れ半分でしたね」
イタリアで初めて生ハムを口にしたのが43歳。15年かけて製法を完成させ、請われて大分・久住の業者に伝承していたが、その後、廃業。誰も「ハモン・クルード・ア・ラ・タツミ」を口にすることができなくなっていた。「もう一度食べたい」「あの製法を伝承すべき」と、惜しむ声があちこちから上がり、東京大学、早稲田大学の研究者とシェフを巻き込んでのプロジェクトが3年前から再開されたというのである。
自邸にある生ハム小屋は、2016年から再度フル活動だ。現在、数種の豚もも肉、100本近くが熟成を待っている。2018年11月にも仕込み、今後も続いてゆく。1969年、もう半世紀も前になる。
「イタリアへ料理修業をしに行って知った生ハムの味。何とか日本でできないかと思ったのがすべての始まりです」
帰国後、3〜4年は、2〜3kgの小さな肉の塊で試行錯誤を繰り返したものの、思うようにはいかない。
「あの衝撃的な味を再現したい。そんな思いが冷めやらず、1975年スペインに行きました。ピレネーからアンダルシアまで、生ハムを作っている場所を調べ、訪ね歩いた。でも千とか万とかの単位で作るから、私が目指すものとは違う。参考にならない。最後に、日本と気候が似ているバスク地方ロヨラで、修道院で作り方を聞いたのです。規模も、作り方も、これなら鎌倉の谷戸の風仕事でできるはず、と」
帰国後、本格的な生ハム作り開始。当時の額で800万円かけて小屋を建設。
「母(料理家の故・辰巳浜子さん)からは、まるで家に追い剥ぎを飼っているようだと言われたわね(笑)」
ハンパな数ではない。120本仕込むこともあった。
「スペイン料理の本を調べても、生ハムの作り方など載っていなかった。スペイン人からも、日本で成功するはずがない、やめたほうがいい、と。だからって、諦めるなんてこれっぽっちも考えたことがなかったわね。楽しくて仕方なかった。掘り下げても掘り下げても終わりがない。その結果、いのちとは何かってことに行き着いてしまうのよ、どうしても。なぜ食べるのか。なぜ食べなければならないのか」
スペインでの料理修業中に撮影された一コマ。羊の群れを引き連れて、破顔一笑。「生ハム行脚に同行してくれたエルナンデスさん、ハム小屋の棚を設計し、自ら作ってくれたロサードさん。宣教師である2人のスペイン人は私の恩人。彼らなくしては、生ハムは完成しなかった」(辰巳さん) 諦めるなんて、考えたことがない。 何より、面白かったから。「いま思うと、なぜあんなにまっすぐに『作りたい』と思ったのかしらね。『作らなければならない』『根っこのところを見てみたい』という欲求としか考えられないわね」
のちに試食したホテルメトロポリタンエドモント名誉総料理長の中村勝宏さんは、「生ハムを作りたいと思うことに意味がある」と話したという。
いま、ハム小屋に整然と吊される豚もも肉は100本近い。黒いヒモは、鹿児島の南州農場(黒豚)。赤は、山形の庄内豚。緑は、鹿児島の宮田豚(どんぐり豚)。紺は、沖縄県のアグー豚。
「こっち2年目、あちらは1年。そうね、ここ鎌倉なら24カ月。36カ月置くことも。面白いわね。人の手をかけても、人の手が届かない時間というものが熟成させてくれるのだもの」
すべきことは絶対する。手を抜いてはできない味に仕上がる。
1.1本10〜15kgの豚もも肉。まずは大腿骨を抜く作業から始まる。ずっしりと重い骨は、あとでスープを引く。 2.臭みの原因となる血や水分などを、徹底的に抜く。 3.1本ごとに塩の分量を算出し、隅々まで塩をすり込む。右側がシェフの河野透さん、左手前が片倉忠直さん。 4.約2週間後。洗いをかけ、いよいよ吊す作業に入っていく。 5.辰巳さんオリジナルの手法の一つ、ピメントを塗りつけるのは、虫除けの意味もある。 6.温度や湿度がきちんと管理された生ハム小屋に吊され、これから熟成を待つことになる。『クロワッサン』1003号より
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