生きたまま胴体を切断された21歳宝塚女優のために…間近で血しぶきを浴びた親友がどうしても世間に伝えたかった「友の最期」
2025.09.10- #事件・犯罪
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穂積 昭雪
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1958年4月1日、宝塚歌劇団で歴史に残る痛ましい事故が起こった。
兵庫県宝塚市の宝塚大劇場ではこの日、月組の21歳の新人・香月弘美(芸名、かつきひろみ)が急遽代役として出演。しかし公演の途中、親友である花組の松島三那子(芸名、まつしまみなこ)とセリに飛び乗った際、悲劇が——。
前編記事〈親友の目の前で生きたまま右足を潰され、胴体も切断…21歳宝塚女優が味わった「13秒間の地獄」〉では詳しい状況を解説している。
血しぶきを浴びるほど間近で親友の死を経験した松島はショックで取り乱し、この日の公演も中止になった。しかし、残りの公演を中止するわけにはいかないと判断した宝塚歌劇団は、事故の原因となったセリの使用を控え、代役を立てる形で翌日4月2日から公演を再開している。
本稿では、事故が起きた宝塚歌劇団、そして親友の死を間近で目撃した松島三那子のその後を追う。
-AD-オーナーである小林一三の死
結果論ではあるが、1957年(昭和32年)から1958年(昭和33年)の2年間は宝塚歌劇団にとって大きな転換期だったといえる。
まず、1957年1月25日には阪急東宝グループ(現・阪急阪神東宝グループ)の創業者で宝塚歌劇団の設立者でもある小林一三が84歳で亡くなった。
小林は鉄道、百貨店、映画会社、プロ野球球団など数々の事業で成功を収めたビジネス界の巨人だが、その本質は文学や演劇をこよなく愛する文化人であった。
現在も使われている宝塚音楽学校のモットー「清く、正しく、美しく」は小林が発表した詩をもとにしており、宝塚歌劇団における彼の存在はまさにオーナーという枠を超えた大黒柱そのものであった。
宝塚音楽学校/筆者撮影この記事の全ての写真を見る(全5枚)偶然ではあるが、小林を失ってからの宝塚歌劇団は、公演中の死亡事故を2度も起こしている(前編で紹介した1958年発生の東京宝塚劇場の火災事故および関西の宝塚大劇場の死亡事故)。
ただし、オーナーを失った影響が全くなかったとは言い切れないのではないだろうか。
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