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は コピーサイトが見受けられます。著作権侵害という犯罪 データの無断転載を禁じます。未经授权的复制是非法的 もの 数え方 は 葉 [→ 病葉、→ 植物] 一枚(まい・ひら)、一葉(よう・は)、一片(ひら・へん)、一本(ほん・もと) [細いもの]、一筋 [細いもの]、一条(すじ・じょう)[細いもの]、一針(しん) [松の葉などで]- 【参考】宮本百合子 「獄中への手紙 一九四四年(昭和十九年)」: いつしか緑の枝にもつたわって、枝はおのずから一ひらの葉、二ひらの葉を泉の上におとします。
- 【参考】泉鏡花 「ピストルの使い方 ――(前題――楊弓)」: 一葉(ひとは)、二葉(ふたは)、紅(くれない)の葉も散るが、それに乗ったのは鶏ではない。
- 【参考】岡本かの子 「桜」: 松の葉の一葉(ひとは)一葉に濃(こま)やけく照る陽(ひ)のひかり桜にも照る
- 【参考】金田千鶴 「夏蚕時」: 志津はその膏切ったつやつやしい芽桑を見ると、わけもなくむっとした。まるで自分自身の食慾のやうにこんな滋養のある軟かい葉を思ふ存分寝起きの蚕に食べさせてやりたいと云ふ気持が切なく湧いた。 志津は一葉プツリと摘んで見た。ギスギスするほど厚ぼったい葉だった。切り口から白い乳がヂッと滲みだした。志津は努めて平気でをらうとした。そして大急ぎで三葉四葉摘み取ったのを、尾籠の中へ押し込んだ。
- 【参考】国木田独歩 「空知川の岸辺」: 霧は林を掠(かす)めて飛び、道を横(よこぎ)つて又た林に入り、真紅(しんく)に染つた木の葉は枝を離れて二片三片馬車を追ふて舞ふ。
- 【参考】石川啄木 「足跡」: 冬の長い国のことで、物蔭にはまだ雪が残って居り、村端(むらはずれ)の溝に芹(せり)の葉一片(ひとつ)青(あを)んではいないが、
- 【参考】与謝野晶子 「晶子詩篇全集 幻想と風景」: 草の葉 草の上に 更に高く、 唯(た)だ一(ひと)もと、 二尺ばかり伸びて出た草。 かよわい、薄い、 細長い四五片(へん)の葉が 朝涼(あさすゞ)の中に垂れて描(えが)く 女らしい曲線。
- 【参考】高浜虚子 「発行所の庭木」: それは半ば枯れて下っている一本の棕梠の葉に止まった烏が、自分の重みで其の葉を踏折った、
- 【参考】泉鏡花 「ピストルの使い方 ――(前題――楊弓)」: もとの処に、これ、細い葉を二筋と、五弁の小さな花が彫ってある。
- 【参考】牧野富太郎 「植物知識」: 花が済(す)むとまもなく数条の長い緑葉(りょくよう)が出(い)で、それが冬を越(こ)し翌年の三月ごろに枯死(こし)する。
- 【参考】岩野泡鳴 「耽溺」: 顔の厭に平べッたい、前歯の二、三本欠けた、ちょっと見ても、愛相が尽きる子だ。
- 【参考】吉川英治 「私本太平記 あしかが帖」: あの糸切歯の辺の一本だけが、歯並びからやや外れて、少し笑うと、珠を噛んでいるようにそれが見える。その唇もとが好ましいのか。
- 【参考】「俳諧武玉川・十二篇」- 宝暦八年・1758年: 前歯二枚に三分取らるる
- 【参考】夏目漱石 「門」: 宗助はこの朝歯を磨(みが)くために、わざと痛い所を避(よ)けて楊枝(ようじ)を使いながら、口の中を鏡に照らして見たら、広島で銀を埋(う)めた二枚の奥歯と、研(と)いだように磨(す)り減らした不揃(ぶそろ)の前歯とが、にわかに寒く光った。
- 【参考】夏目漱石 「吾輩は猫である」: 「御話は違いますが――この御正月に椎茸(しいたけ)を食べて前歯を二枚折ったそうじゃございませんか」
- 【参考】宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」: 見給え諸君の歯は何枚あります。三十二枚、そうです。でその中四枚が門歯四枚が犬歯それから残りが臼歯(きゅうし)と智歯です。
- 【参考】岡本綺堂 「綺堂むかし語り」: 年々に脱落して、現在あます所は上歯二枚と下歯六枚、他はことごとく入歯である。
- 【参考】種田山頭火 「其中日記(十二)」: 歯がぬけた、さっぱりした、その歯は残っている四枚の中の一枚で、歯として役立たないばかりでなく、
- 【参考】室生犀星 「巷の子」: 私が覗いた寶石商店の飾り窓で見た二十萬圓くらゐするダイヤを嵌めた貴婦人は、その何とかいふバーはどうやら客間の樣子ではお隣のバーらしい、この客間の前の廊下の奧にも一軒のバーがある、そこは女の子が二十人くらゐゐると彼女は言つた。
- 【参考】江戸川乱歩 「猟奇の果」: 夜更けの街燈の目立つ、ガランとした町を二三町歩くと、一軒のバーが、まだ営業していたので、そこへ這入って、洋酒と日本酒をチャンポンに、したたか飲んだ。
- 【参考】海野十三 「ヒルミ夫人の冷蔵鞄」: そんなわけで、モニカの千太郎は愛用のハーモニカ一挺(ちょう)とともに失踪人の仲間に入ってしまった。
- 【参考】海野十三 「麻雀殺人事件」: こう順序よく牌を並べてみて判ったわけですが、ごらんなさい此処(ここ)に九索(ちゅうそう)という牌が四枚並んでいます。ところでその内の一枚は、他の三枚にくらべて彫刻に塗りこんである絵具(えのぐ)が莫迦に色褪(いろあ)せています。
- 【参考】魯迅 井上紅梅訳 「阿Q正伝」: 早い話が未荘の田舎者は三十二枚の竹牌(ちくはい)(牌の目の二面を以て成立った牌)を打つだけのことで、
- 【参考】南部修太郎 「麻雀を語る」: 同(おな)じ不正(ふせい)を企(くわだて)るのならば、百三十六個(こ)の麻雀牌(マアジヤンパイ)の背中(せなか)の竹(たけ)の木目(もくめ)を暗記(あんき)するなどは、その努力感(どりよくかん)だけでも僕(ぼく)には寧(むし)ろ氣持(きもち)がいい。
- 【参考】夏目漱石 「吾輩は猫である」: ヴァイオリンが三挺(ちょう)とピヤノの伴奏でなかなか面白かったです。ヴァイオリンも三挺くらいになると下手でも聞かれるものですね。 おいヴァイオリンをくれと二度目に云うと、一番前にいて、私の顔を覗(のぞ)き込むようにしていた小僧がへえと覚束(おぼつか)ない返事をして、立ち上がって例の店先に吊(つ)るしてあったのを三四梃一度に卸(おろ)して来ました。いくらかと聞くと五円二十銭だと云います……
- 【参考】菊池寛 「貞操問答」: 美沢の家でも、よくレコードで聞いた馴染の曲だし、しかも渾然たる絃楽の、その中の一挺のヴァイオリンは、美沢の手で奏でられていると思うと、新子は、ジッと放心したように、聴き入っていた。
- 【参考】宮本百合子 「獄中への手紙 一九四〇年(昭和十五年)」: さて、私は一張のヴァイオリンのひき手のように、ここで絃の調子を変えようとします。
- 【参考】宮本百合子 「一九四六年の文壇 ――新日本文学会における一般報告――」: それはいくつもの響の調和された、幅のある音でなくただ一本のヴァイオリンの絃が綿々として身をよじっているんです。
- 【参考】正岡子規「俳人蕪村」: 蕪村は比較的多作の方なり。しかれども一生に十七字千句は文学者として珍とするに足らず。放翁は古体今体を混じて千以上の詩篇を作りしにあらずや。ただ驚くべきは蕪村の作が千句ことごとく佳句なることなり。
- 【参考】高浜虚子「漱石氏と私」: ゆっくり温泉にひたって二人は手拭を提げて野道を松山に帰ったのであったが、その帰り道に二人は神仙体の俳句を作ろうなどと言って彼れ一句、これ一句、春風駘蕩(たいとう)たる野道をとぼとぼと歩きながら句を拾うのであった。
- 【参考】中里介山「大菩薩峠 弁信の巻」: 蕪村のは一句一句がみんな絵になっていますが——宿かせと刀投げ出す吹雪かな——なぞは実景ですね、
- 【参考】濹上漁史「土用干ノ記」: 昔男ありけり。或友の許よりいとあざやかに粧ひし佩楯一領借りて久しく留め置けるに、
- 【参考】海野十三 「火星探険」: すると缶の中からにょろにょろと甘いおつゆが煙のように出てきた。そしてその下から、黄いろいパイナップルの一片がゆらゆらとせりあがってきた。
- 【参考】原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」: この郷からの収入は三条西家の青女の所得になるので、あまりに少ない時には青女憤慨して受け取らずに突き返そうといきまいたこともあるが、代官の方から守護の配符数通を添えて、公用減少の理由を証明されると、どうすることもできなかった。
- 【参考】海野十三 「蠅男」: 三十分ほどして、やっと一台のハイヤーが通りかかった。二人の老人の客が乗っていたけれど、無理に頼んでそれに乗せて貰い、
- 【参考】岸田國士 「新劇の始末」: 教養のある淑やかな娘、生活で磨かれた老人、飄々乎たる善良な労働者、目立たないがよく見ると帳簿の数字が顔に刻まれている中年の事務員、こんな人物になりきれる俳優が一人でも日本にいるかどうか? これがいなければ「現代劇」はおじゃんのじゃんである。
- 【参考】村井弦斎 「食道楽 秋の巻」: オヤあの隅に蠅が一匹とまっています。試しに取ってみましょうか
- 【参考】田中貢太郎 「蠅供養」: 今日蠅のおらざったところを見ると、やっぱり蠅は一つであったらしいな、それとも二疋おって、一つは昨日捨てておらんようになり、一つは今日捨てに往ったから、それでもう蠅がおらんと云うことになったかも知れんな
- 【参考】寺田寅彦 「窮理日記」: 動物教室の窓の下を通ると今洗ったらしい色々の骸骨がばらばらに笊(ざる)へ入れて干してある。秋の蠅(はえ)が二、三羽止ってやや寒そうに羽根を動かしている。
- 【参考】種田山頭火 「其中日記(一)」: 昨夜のお布施で買物をする、私がどんなにつゝましく買物をしたか、左の通りだ。―― 一、十銭 醤油二合 一、九銭 ハガキ六枚 一、七銭 味噌百目 一、十八銭 焼酎一合五勺 一、二銭 蠅取紙一枚 一、三銭 湯銭 一、八銭 上草履一足 一、十銭 玉葱代 一、五銭 辛子粉 一、五銭 豆腐二丁 合計金 七十七銭也(残存金二十三銭)
- 【参考】牧野信一 「露路の友」: 「夜が更けたせいか、こいつは仲々寒いぜ、君、寒くはないか、よかったら僕の羽織をもう一枚その上に羽おって行かないか。」
- 【参考】岡本綺堂 「ゆず湯」: 徳の野郎、あいつは不思議な奴ですよ。なんだか貧乏しているようでしたけれど、いよいよ死んでからその葛籠(つづら)をあらためると、小新しい双子(ふたこ)の綿入れが三枚と羽織が三枚、銘仙の着物と羽織の揃ったのが一組、帯が三本、
- 【参考】長谷川時雨 「お墓のすげかえ」: 放蕩児(ほうとうじ)が金を散じる時の所作(しょさ)はまず大同小異である、幇間(たいこもち)にきせる羽織が一枚か百枚の差である。
- 【参考】太宰治 「新釈諸国噺」: やがて隠居夫婦も寄る年波、紙小縒の羽織紐がまだ六本引出しの中に残ってあると言い遺(のこ)して老父まず往生すれば、老母はその引出しに羽織紐が四本しか無いのを気に病み、これも程なく後を追い、もはやこの家に気兼ねの者は無く、
- 【参考】太宰治 「新釈諸国噺」: おのれ、いま生きていたら、訴訟をしても、ただは置かぬ、と十三歳の息子の読みかけの徒然草(つれづれぐさ)を取り上げてばりばり破り、捨てずに紙の皺(しわ)をのばして細長く切り、紙小縒(かみこより)を作って五十組の羽織紐を素早く器用に編んで引出しに仕舞い、これは一家の者以後十年間の普段の羽織紐、
- 【参考】森鷗外 「渋江抽斎」: 抽斎の碑の西に渋江氏の墓が四基ある。その一には「性如院宗是日体信士、庚申(こうしん)元文(げんぶん)五年閏七月十七日」と、向って右の傍(かたわら)に彫(え)ってある。 後に聞けば墓は今一基あって、それには抽斎の六世(せい)の祖辰勝(しんしょう)が「寂而院宗貞日岸居士」とし、
- 【参考】森鷗外 「伊沢蘭軒」: 此大墓石の傍(かたはら)に小い墓が二基ある。戒名の院の下には殿(でん)の字を添へ、居士の上には大の字を添へた厳(いかめ)しさが、粗末な小さい石に調和せぬので、異様に感ぜられる。想ふに八幡某は旗本伊沢に旧誼のあるもので、維新後三十五年にしてこれを建てたのであらう。二基は即ち政義、政達二人の墓である。
- 【参考】夢野久作 「名娼満月」: 嵯峨野の奥、無明山満月寺の裏手に、桜吹雪に囲まれた一基の美事な新墓が建っている。正面に名娼満月之墓と金字を彫り、裏に宝暦二年仲秋行年二十一歳と刻(きざ)んである。
- 【参考】谷崎潤一郎 「春琴抄」:見るとひと叢(むら)の椿(つばき)の木かげに鵙屋家代々の墓が数基ならんでいるのであったが琴女の墓らしいものはそのあたりには見あたらなかった。むかし鵙屋家の娘(むすめ)にしかじかの人があったはずですがその人のはというとしばらく考えていて「それならあれにありますのがそれかも分りませぬ」と東側の急な坂路になっている段々の上へ連れて行く。知っての通り下寺町の東側のうしろには生国魂(いくたま)神社のある高台が聳(そび)えているので今いう急な坂路は寺の境内(けいだい)からその高台へつづく斜面(しゃめん)なのであるが、そこは大阪にはちょっと珍(めずら)しい樹木の繁(しげ)った場所であって琴女の墓はその斜面の中腹を平らにしたささやかな空地(あきち)に建っていた。光誉春琴恵照禅定尼、と、墓石の表面に法名を記し裏面に俗名鵙屋琴、号春琴、明治十九年十月十四日歿、行年(ぎょうねん)五拾八歳(ごじゅうはっさい)とあって、側面に、門人温井(ぬくい)佐助建之と刻してある。琴女は生涯(しょうがい)鵙屋姓(せい)を名のっていたけれども「門人」温井検校(けんぎょう)と事実上の夫婦(ふうふ)生活をいとなんでいたのでかく鵙屋家の墓地と離(はな)れたところへ別に一基を選んだのであろうか。
- 【参考】長谷川時雨 「お墓のすげかえ」: 藤木家一族の墓石は幾十基かならんでいるが、その中に、特によい位置をしめて、四角四面、見上げるほど高く、紋をつけた家根まで一ツ石でとってある、石の質も他のとは違うゆいしょありげな一基は、ずっと前の徳川将軍に昵懇(じっこん)していた女性の墓だということだった。
- 【参考】石川啄木 「菊池君」: インキが半分もなくならぬうちに凍って了う、葉書一枚書くにも、それは/\億劫なものであった。
- 【参考】尾崎紅葉 「金色夜叉」: 僅(わずか)に一枚の端書(はがき)をもて途中の無事と宿とを通知せるに過ぎざりき。
- 【参考】菊池寛 「青木の出京」: それに対して一通のハガキさえ来なかった。
- 【参考】石川啄木 「鳥影」: 信吾の不意に発(た)って以来、富江は長い手紙を三四度東京に送った。が、葉書一本の返事すらない。そして富江は相不変(あいかわらず)何時でも噪(はしゃ)いでいる。
- 【参考】菊池寛 「父帰る」: 杉田さんが見たというのもなんぞの間違いやろ。生きとったら年が年やけに、はがきの一本でもよこすやろ。
- 【参考】田山花袋 「蒲団」: ゆくりなく受取った百合(ゆり)の花の一葉の端書、それがこうした運命になろうとは夢にも思い知らなかったのである。
- 【参考】国枝史郎 「北斎と幽霊」: 融川は俯向き首垂(うなだ)れていた。膝からかけて駕籠一面飛び散った血で紅斑々(こうはんはん)、呼息(いき)を刻む肩の揺れ、腹はたった今切ったと見える。 「無念」 と融川は首を上げた。下唇に鮮やかに五枚の歯形が着いている。喰いしばった歯の跡である。……額にかかる鬢の乱れ。顔は藍(あい)より蒼白である。 「そ、そち誰だ? そち誰だ?」
- 【参考】魯迅 井上紅梅訳 「阿Q正伝」: 鄒七嫂が阿Qの処から買った一枚のお納戸絹(なんどぎぬ)の袴は古いには違いないが、たった九十仙だった。
- 【参考】作者不詳 「義経記」: 加賀〔の〕上品五十疋、女房の方より罪障懺悔の為にとて、白袴一腰、八花形に鋳たる鏡、
- 【参考】紫式部 与謝野晶子訳 「源氏物語 総角」: 薄紫の細長一領に、三重襲(かさね)の袴(はかま)を添えて纏頭(てんとう)に出したのを
- 【参考】津村信夫 「挿頭花」: 風雪の跡はあつても、依然として閑雅な京風の趣がある。二株ばかりある萩の花はもう散り初めてゐた。 少女は一寸地蔵眉をよせると、萩の小枝を二本、頭の上に翳(かざ)して、「萩の花はおきらひ?」と尋ねかけた。
- 【参考】中里介山 「 大菩薩峠 鈴慕の巻」: 雪に照り映(は)えている自分の一枚の白衣(びゃくえ)が、鶴の羽のようにかがやくのを認めました。
- 【参考】坂口安吾 「もう軍備はいらない」: 二月十五日だかの銀座のバクゲキ、三月十日の下町の熱地獄以来、四月と五月には私自身の頭上や身辺に落ちてきた焼夷ダンやバクダンだけでも何百発もあった。豪雨の夜中に近所の工場の上に照明ダンをたらして二百機が入れ代り立ち代り二時間にわたってバクゲキし、その半分がそれダマになって何百匹のカミナリが私の周囲をかけめぐるようなバクゲキがつづいた晩は息がつまったね。
- 【参考】海野十三 「爆薬の花籠」: 国籍不明の爆撃機一機が一直線に北進中。その針路は、午後八時において、雷洋丸の針路と合う。
- 【参考】平田晋策「昭和遊撃隊」: こちらには、九△式迫撃砲と歩兵砲が、○百門、ずらりと砲門をならべて、狙(ねらい)をつけているのだ。
- 【参考】宮本百合子「打あけ話」: 白菜は一株について四十銭ですよ。どうぞそのおつもりでお香物もあがって下さい。
- 【参考】種田山頭火「其中日記 (十一)」: 白菜一玉八銭、これも漬物にして天下一品。
- 【参考】宮沢賢治「黄いろのトマト」: 私の町の博物館の、大きなガラスの戸棚(とだな)には、剥製(はくせい)ですが、四疋(ひき)の蜂雀(はちすずめ)がいます。
- 【参考】小林多喜二「防雪林」: 教室は二十程机をならべたのが一室しかなかった。一年から六年生迄の男の子も女の子も、そこに一緒だった。教室には地図もかゝっていたし、理科用の標本の入っている戸棚もあったし、(その中には剥製の烏が一羽いた。)
- 【参考】海野十三「蠅男」: そこは十五坪ほどある洋風の広間であり、この主人の好みらしい頗(すこぶ)る金の懸った、それでいて一向垢(あか)ぬけのしない家具調度で飾りたて、床には剥製(はくせい)の虎の皮が三枚も敷いてあり、長椅子にも、熊だの豹だのの皮が、まるで毛皮屋に行ったように並べてあった。
- 【参考】海野十三 「海野十三敗戦日記」: 宿所附近二百メートルのところに爆弾一発落下し、畠に大きな穴をあけたが、
- 【参考】海野十三「地球盗難」: 爆弾は邸内には落ちず、一弾また一弾、邸の外側に落ちては、盛んに爆発するのであった。
- 【参考】寺田寅彦「浅間山麓より」: 池に家鴨(あひる)がただ一羽いる。それが何だか淋しそうである。家鴨は群れている方が家鴨らしく、白鳥は一、二羽の方が白鳥らしい。
- 【参考】小熊秀雄「小熊秀雄全集-14 童話集」: やがて羽音高くトムさんの頭の上の青空を一群の白鳥が南の湖の方へとんで行きました、
- 【参考】寺田寅彦「凩」: 窪んだ眼にまさに没せんとする日が落ちて、頬冠りした手拭の破れから出た一束の白髪が凩(こがらし)に逆立(さかだ)って見える。
- 【参考】泉鏡花「黒百合」: ただこれ一条の大瀑布(ばくふ)あって地の下に漲(みなぎ)るがごとき、凄(すさま)じい音が聞えるのである。
- 【参考】国枝史郎 「神州纐纈城」: 断崖が左右から寄せて来た所に、一条の瀑布(たき)が落ちていた。
- 【参考】木暮理太郎 「黒部川を遡る」: 雨が疎(まばら)になると谷が明(あかる)くなって、正面に向い合った奥鐘山の絶壁から、忽ち一条二条続いて五、六条の大瀑布が、虚空を跳って滾々(こんこん)と崩落するのを木の間越しに望んだ。
- 【参考】木暮理太郎 「黒部峡谷」: 大雨の際には其壁面に数条の大瀑布が出現して一時の奇観を呈する。
- 【参考】大町桂月 「層雲峡より大雪山へ」: 間もなく渓壑(けいがく)迫りて、薬研(やげん)を立てたるようになり、瀑布連続す。水姓氏は四、五貫の荷物を負えるに、危険なる処に至れば、先んじて登攀して、後より来る者を引き上ぐ。余一行に尾す。急がずして余力を存し、かつ静かに風景を味う也。一瀑を登りしに、また一瀑あり。その間の渓流の中に、孤巌頭を出し、その巌尖に一蛇とぐろを巻く。
- 【参考】夏目漱石「坊っちゃん」: 山嵐の机の上は白墨(はくぼく)が一本竪(たて)に寝ているだけで閑静(かんせい)なものだ。
- 【参考】牧野信一 「闘戦勝仏」: 皇后を焼こうとした火は忽ち大王の群に覆いかぶさった、麒麟山百万の化物は一匹も残らず焼け死んでしまった。
- 【参考】中島敦 「悟浄出世」: それゆえすこぶる懐疑的な悟浄自身も、ついにはそれを信じておるふりをせねばならなんだ。が、実をいえば、すべての妖怪(ばけもの)の中で渠(かれ)一人はひそかに、生まれかわりの説に疑いをもっておった。
- 【参考】夏目漱石 「三四郎」: 「その金をなくなしたんだからすまない」と与次郎が言っている。じっさいすまないような顔つきでもある。どこへ落としたんだと聞くと、なに落としたんじゃない。馬券(ばけん)を何枚とか買って、みんななくなしてしまったのだと言う。
- 【参考】織田作之助 「競馬」: 馬の片脚五円ずつ出し合って四人で一枚の馬券を買う仲間を探しているのだった。
- 【参考】金子ふみ子 「父」: それから、赤い紙を貼った三銭か五銭かの羽子板が一枚、それだけがその中から出て来た。
- 【参考】喜田川守貞 「守貞謾稿 巻之五(生業 下)」: 鮨売り 三都ともに自店、あるいは屋体見世にてこれを売るあり。《中略》京坂にては、方四寸ばかりの箱の押しずしのみ。一筥四十八文は鳥貝のすしなり。【編集注】「守貞謾稿(もりさだまんこう)」は、天保8年(1837)から慶応3年(1867)まで、30年間にわたって書かれた江戸時代後期の風俗史。 []
- 【参考】曽呂利新左衛門 口演「滑稽大和めぐり」: 握鮓(にぎりずし)でも、出来(でき)にやア箱鮓(はこずし)でも巻鮓(まきずし)でも可(い)いが、チヨイと二切(ふたきれ)か三切(みきれ)程(ほど)持(も)ツて来てんか 【編集注】「滑稽大和めぐり」は、大阪生まれの上方噺家、二世曽呂利新左衛門(にせ そろりしんざえもん、天保13年10月15日 - 大正12年・1923年7月2日)の口演を、丸山平次郎が速記し、明治31年・1898年に出版されたもの。 []
- 【参考】中里介山 「大菩薩峠 年魚市の巻」: その一方には、木刀をさした、やはりお仲間風なのが、これは、白昼に、箱提灯を二張(ふたはり)つらねて、先へ立つと、その後ろに、ことし、はじめて元服したらしい、水々しい若衆が一人と、それにつき添うて、前髪立ちの振袖の美少年が、二人ともに盛装して、歩むともなく佇むともなく立っていると、その後ろには、挟箱(はさみばこ)がおともをしているといったような尋常一様の御祝儀のお供ぞろいみたようなものです。
- 【参考】永井荷風「冬の夜がたり」: 繁つた枳殻(からたち)の生垣に沿ひ、二頭立の立派な箱馬車が一台駐つてゐるのを見て、わたくしは目をまろくした。その時分辺鄙な山の手の、このあたりに馬車を見るのは絶えて無かつたことである。
- 【参考】永井荷風「深川の唄」: 往来(おうらい)の右側、いつでも夏らしく繁(しげ)った老樹の下に、三、四台の荷車が休んでいる。二頭立(だて)の箱馬車が電車を追抜けて行った。
- 【参考】永井荷風「十九の秋」: 父は官を辞した後(のち)商となり、その年の春頃から上海の或会社の事務を監督しておられたので、埠頭に立っていた大勢の人に迎えられ、二頭立(だて)の箱馬車に乗った。母とわたくしも同じくこの馬車に乗ったが、東京で鉄道馬車の痩せた馬ばかり見馴れた眼には、革具(かわぐ)の立派な馬がいかにも好い形に見えた。
- 【参考】小島烏水「火と氷のシャスタ山」: かつて桑港(サンフランシスコ)の古本屋で見たその頃の石版画に、シャスタ火山が、虚空(こくう)に抛(な)げられた白炎のように、盛り上っている下を、二頭立ちの箱馬車が、のろくさと這(は)いずって、箱の中には、旅の家族とおぼしい女交りの一連が、窮窟そうにギッシリ詰まっているが、屋根の上にはチョッキ一枚になって、シガアを燻(くゆ)らしている荒くれ男たちが、不行儀に、臀(しり)や脛(すね)をむき出しに、寝そべっているところを描いたのがあったが、延(の)んびりとした大陸性の、高原に引く一筋路を、澄み切った大空の下に、おそらく、ガタピシと石ころに蹴(け)つまずきながら、走って行く一台の馬車は、漂泊の姿そのもののように、一抹(いちまつ)の旅愁を引くのに充分であった。
- 【参考】コナンドイル 三上於莵吉訳「入院患者」: 私はその狭い部屋に疲れていたので、喜んでそれに同意した。私たちは三時間ばかり、一しょに、フリート・ストリートや川の岸などを、さまざまな生活相を眺めながらぶらついて廻った。ホームズの細かい鋭い観察力を持った、そしてまた推理の深い力を持った独特な話は、私を楽ませ少しも飽きさせなかった。そうして私たちがベーカー街に帰って来たのは十時すぎだった。――と、入口のそとに一台の一頭だての箱馬車がとまっていた。
- 【参考】林芙美子 「屋久島紀行」: このカジ屋さんは、日高さんと言って、十六歳の頃から鋏ばかりつくっていると聞いた。手づくりなので、一日十挺くらいつくるのが関の山だということである。
- 【参考】夢野久作 「超人鬚野博士」: そこでその副手から鋭利なゾリンゲン製の鋏(はさみ)を一挺借りて、
- 【参考】宮沢賢治 「チュウリップの幻術」: こちらが八銭(せん)、こちらが十銭、こちらの鋏は二丁(ちょう)で十五銭にいたしておきましょう。
- 【参考】木村荘八「柳橋考」: この橋は、痩せても枯れても江戸から東京へかけて、この良い響きなり匂いの名をもつ名橋はこの一本の他には無く、柳橋から小舟で急がせ山谷堀……と幕末の唄にいうイキなやなぎばしの沽券は、末始終こゝだけのことである。
- 【参考】木村荘八「柳橋考」: そこに古くから架る元柳橋は、難波橋と呼ばれていたものが、いつか元柳橋となった。薬研堀にかゝる橋は昔はこの一橋に止まらず、尼が橋というものもあって「乞食の尼此の橋詰に居て往来の人に憐を乞ひし故」そんなのもあったと記されるが、これは明和の埋立にすでに消滅して、明治時代まで残ったのは、元柳橋一つである。
- 【参考】長塚節「草津行」: 而して其矮松叢生して相連る。唯登ること能はざるを憾みとなす。之を過ぎて一橋あり、其盡くる所一屋あり、浴舍なり。橋上流の上をみれば、近く噴氣の絶えず上騰するをみる。
- 【参考】吉川英治「三国志 赤壁の巻」: 「さりとは腑(ふ)がいなき味方の弱腰。いかに張飛に天魔鬼神の勇があろうと、この大軍と丞相の威光を負いながら、追い崩されて帰るとは何事だ。いで、われこそ彼奴(きゃつ)を――」 と、諸将は争って、橋のこなたまで殺到した。 そこの一橋こそ、河をへだてた敗敵にとっては、恃(たの)みの一線である。
- 【参考】泉鏡花「星あかり」: 土橋(どばし)が一架(ひとつ)、並(なみ)の小(ちい)さなのだけれども、滑川(なめりがは)に架(かゝ)ったのだの、長谷(はせ)の行合橋(ゆきあひばし)だのと、
- 【参考】永井荷風「深川の散歩」: 仙台堀と大横川との二流が交叉(こうさ)するあたりには、更にこれらの運河から水を引入れた貯材池がそこ此処(ここ)にひろがっていて、セメントづくりの新しい橋は大小幾筋となく錯雑している。
- 【参考】押川春浪 「海島冐檢奇譚 海底軍艦」: 峽上(けいじょう)には一筋(ひとすじ)の橋(はし)があって、それを渡(わた)ると又(ま)た鐵(てつ)の扉(とびら)だ。
- 【参考】国枝史郎 「名人地獄」: 呟きながら銀之丞は、堀に沿って右手へ廻った。すると意外にも眼の前に、刎ね橋が一筋かかっていた。
- 【参考】永井荷風 「深川の唄」: 行書で太く書いた「鳥」「蒲焼(かばやき)」なぞの行燈(あんどう)があちらこちらに見える。忽(たちま)ち左右がぱッと明(あかる)く開けて電車は一条(ひとすじ)の橋へと登りかけた。
- 【参考】永井荷風 「上野」: この溝渠には曾て月見橋とか雪見橋とか呼ばれた小さな橋が幾条(いくすじ)もかけられていたのであるが、それ等旧時の光景は今はわずかに小林清親の風景板画に於てのみ之を見るものとなった。
- 【参考】村井弦斎「食道楽 春の巻」: 西洋料理屋へ行った時鱚(きす)のフライが出たから給仕に箸を一膳ずつ貸してくれといったら妙な顔をしていた。
- 【参考】海野十三 「敗戦日記」: ◯きょうの買物 ヘアピン 二十四本 六円 鍋穴直し 一円 箸 二組 三円六十銭 カレー粉 三袋 五円二十銭(一円八十銭宛) 薬(エーデー五百粒) 三十七円五十銭 みかん 十二個 十円 雑誌三冊、絵本一冊 二円九十銭
- 【参考】林芙美子 「新版 放浪記」: 一、拾参円の内より 茶ブ台 壱円。 箱火鉢 壱円 シクラメン一鉢 参拾五銭。 飯茶わん 弐拾銭。 二個。 吸物わん 参拾銭。 二個。 ワサビヅケ 五銭。 沢庵 拾壱銭。 箸(はし) 五銭。 五人前。 茶呑道具 盆つき 壱円拾銭。 桃太郎の蓋物 拾五銭。 皿 弐拾銭。 二枚。
- 【参考】「吾妻鏡 貞応三年(1224)二月二十九日」(新訂増補国史大系): 又銀匙一。鋸一。箸一雙。[動物骨也。]櫛。[以皮造之。櫛袋入之。]
- 【参考】「吾妻鏡 建長四年(1252)三月十九日」(新訂増補国史大系): 櫃飯廿五具。[具別飯一櫃。雑菜三種。]大瓶一荷。折敷卅枚。[土器百。大小箸百廿前。]
- 【参考】林芙美子 「新版 放浪記」: 飲食店にはいって、ふっと、箸立(はした)ての汚ない箸のたばを見ると、私には卑しいものしかないのを感じる。人の舌に触れた、はげちょろけの箸を二本抜いて、それで丼飯(どんぶりめし)を食べる。
- 【参考】寺田寅彦 「さるかに合戦と桃太郎」: 手ぬぐい一筋でも箸(はし)一本でも物は使いよう次第で人を殺すこともできれば人を助けることもできる
- 【参考】正岡子規 「病」: 三、四艘の艀(はしけ)は我々を載せて前後して本船に帰ってから、まだ幾分時もたたぬに、何やら船中に事が起ったらしい。
- 【参考】久生十蘭 「顎十郎捕物帳 遠島船」: 備えつけの二艘の艀舟(はしけ)は苫屋根(とまやね)の両がわに縛りつけられたままになっている。
- 【参考】吉川英治 「鳴門秘帖 船路の巻」: 土佐堀口の御番所(ばんしょ)で四国屋の藍船(あいぶね)が、積荷しらべをうけている間に、許されて、その親船を離れた一艘(そう)の艀(はしけ)は、幾つもの橋の下をくぐって、阿波座堀(あわざぼり)の町を両岸に仰いでいる。
- 【参考】モーリス・ルプラン 菊池寛訳 「奇巌城」: 窓から見下(みおろ)すと、一挺の梯子(はしご)が階下の二階に立て掛けてあった。
- 【参考】国枝史郎 「娘煙術師」: その狭い露路の宙を飛んで、捕り物用特殊の投げ梯子(ばしご)が、二挺風を切って飛んで来たが、悲鳴は起こらなかった。
- 【参考】野村胡堂 「錢形平次捕物控 戀患ひ」:「八、手を貸せ――いや、二人ぢやむづかしいだらう。梯子(はしご)を二三梃、四人くらゐの人手が要るが」
- 【参考】ジョナサン・スイフト 原民喜訳「ガリバー旅行記」: 大将は私の意味がよくわかったとみえて、さっそく、命令して、私の横腹に、梯子を五六本かけさせました。
- 【参考】国枝史郎 「仇討姉妹笠」: いかさま廊下の欄干ごしに、一筋の梯子が懸かっていて、それが地にまで達していた。
- 【参考】夏目漱石 「坑夫」: ただ登り切って、もう一段も握る梯子がないと云う事を覚(さと)った時に、坑の中へぴたりと坐った。
- 【参考】ハンス・クリスチアン・アンデルセン 森鷗外訳 「即興詩人」: 忽ち街の角を曲らんとする馬車二三輌あるを認めて頭を回しゝに、かの覆面したる翁と娘とを載せたる車は我側に来りぬ。
- 【参考】田山花袋 「田舎教師」: 動物園の前には一輌(りょう)の馬車が待っていた。白いハッピを着た御者(ぎょしゃ)はブラブラしていた、出札所(しゅっさつしょ)には田舎者らしい二人づれが大きな財布から銭(ぜに)を出して札を買っていた。 路には榛(はん)のまばらな並木やら、庚申塚(こうしんづか)やら、畠(はた)やら、百姓家やらが車の進むままに送り迎えた。馬車が一台、あとから来て、砂煙(すなけむり)を立てて追(お)い越(こ)して行った。
- 【参考】竹久夢二 「砂がき」: ある時代に空想したように一輛の馬車に、バイブル一卷、バラライカ一挺、
- 【参考】与謝野寛、与謝野晶子 「巴里より」: 上陸した十余人の旅客(りよかく)は三井物産支店長の厚意で五台の馬車に分乗し、小崎(をざき)用度課長の案内で見物して廻つた。
- 【参考】小島烏水「火と氷のシャスタ山」: 高原に引く一筋路を、澄み切った大空の下に、おそらく、ガタピシと石ころに蹴(け)つまずきながら、走って行く一台の馬車は、漂泊の姿そのもののように、一抹(いちまつ)の旅愁を引くのに充分であった。
- 【参考】夏目漱石 「明暗」: 眼に入(い)る低い軒、近頃砂利(じゃり)を敷いたらしい狭い道路、貧しい電灯の影、傾(かた)むきかかった藁屋根(わらやね)、黄色い幌(ほろ)を下(おろ)した一頭立(いっとうだて)の馬車、――新とも旧とも片のつけられないこの一塊(ひとかたまり)の配合を、なおの事夢らしく粧(よそお)っている肌寒(はださむ)と夜寒(よさむ)と闇暗(くらやみ)、
- 【参考】永井荷風 「深川の唄」: 三宅坂(みやけざか)の停留場は何の混雑もなく過ぎて、車は瘤(こぶ)だらけに枯れた柳の並木の下をば土手に沿うて走る。往来(おうらい)の右側、いつでも夏らしく繁(しげ)った老樹の下に、三、四台の荷車が休んでいる。二頭立(だて)の箱馬車が電車を追抜けて行った。
- 【参考】尾崎紅葉 「金色夜叉」: 啣楊枝(くわえようじ)して好き衣(きぬ)着たるは誰が子、或(あるい)は二頭立(だち)の馬車を駆(か)る者、結納(ゆいのう)の品々担(つら)する者、雑誌など読みもて行く者、五人の子を数珠繋(ずずつなぎ)にして勧工場(かんこうば)に入(い)る者、
- 【参考】岡本綺堂 「綺堂むかし語り」: ぞっとしたのは、その一刹那である。単に投げ出されただけならば、まだしも災難が軽いのであるが、私の車のまたあとから外国人を乗せた二頭立ての馬車が走って来たのである。
- 【参考】久生十蘭 「ノンシャラン道中記 南風吹かば ――モンテ・カルロの巻――」: まっ先に登場したのは、「王室の象(エレファント・ロワイヤル)」と名づけし、ミラノの自動車王グラチアニ夫妻の花馬車。四頭の白馬にひかせた四輪馬車(ファイトン)の上には、白色のフランス大薔薇と珍種の蘭をもって作りたる巨象をすえ付け、その背には、薄紗(うすしゃ)の面怕(ヤシマック)をつけたアフガニスタンのバレエム王女が乗っている。その次に立ち現われたのは、族館「地中海宮(パレエ・ド・ラ・メディティラネ)」の「大鳥籠(ヴォリエール)」と名付けし二輪馬車(ヴィクトリヤ)。
- 【参考】坂口安吾 「街はふるさと」: ずいぶん派手に、買いこんでやがら。パジャマ三枚もってやがら。人をバカにしてやがるよ。コチトラ、シュミーズの着代えもありゃしないよ。ズロースもね。
- 【参考】芥川龍之介 「葬儀記」: 霜よけの藁(わら)を着た芭蕉(ばしょう)が、何本も軒近くならんでいる。
- 【参考】島木健作 「黒猫」: 私の借家の庭には、柏やもみじや桜や芭蕉や、そんな数本の立木がある。
- 【参考】長谷川時雨 「チンコッきり」: 両国橋にむかって右側に、「芭蕉(ばしょう)」という大きな薬種屋があって、芭蕉の葉が一葉大きく青く彫刻した看板が棟にあげてある店だった。
- 【参考】菊池寛「乱世」: そのうちに大工は、銘々一枚の板と二本の柱とを揃えると、板の両端へ一本ずつの柱を当てがった。
- 【参考】平林初之輔 「現下文壇と探偵小説」: とうとう時計は真夜中の十二時をうった。その時話し手は、うしろにある柱暦を一枚めくって、「今日は四月一日だね」というのがあった。むろん四月一日といえばエイプリル・フールと言って、どんな嘘でもつき放題という日なのだ。
- 【参考】矢田津世子 「茶粥の記」: 清子は立って外し忘れた柱暦を一枚めくった。それからまた立って行って、玄関にたった一つ残っている白いセトモノの帽子かけにさわってみた。どこにも良人の俤があった。
- 【参考】喜田川守貞 「守貞謾稿 巻之五(生業 下)」: 暦売り 京師の暦は、大経師 降屋(ふるや)内匠(たくみ)これを製す。《中略》とじ暦一冊、価大略三、五十文、大小一紙八文。京坂にては売り詞、「大小柱暦、巻暦」と云う。小板に両柱ありてこれを巻くを、巻暦と云う。江戸にはこれを巻かず。江戸にては「来年の大小柱暦、とじ暦」。閏月ある暦は、上の詞に続けて「閏あって十三ヶ月の御調法」と云う。【編集注】「守貞謾稿(もりさだまんこう)」は、天保8年(1837)から慶応3年(1867)まで、30年間にわたって書かれた江戸時代後期の風俗史。 []
- 【参考】豊島与志雄 「蓮」: 私は蓮が好きである。泥池の中から真直に一茎を伸して、その頂に一つ葉や花や実をつける、
- 【参考】豊島与志雄 「蓮」: 田舎の広々とした蓮田には及びもつかないが、一二株の蓮の生長には充分らしかった。
- 【参考】豊島与志雄 「蓮」: 美事な紅蓮の一鉢を植木屋から届けて来た。
- 【参考】谷譲次 「踊る地平線 海のモザイク」: 何日もかかって出来上った大小幾十個の荷物を、この旅行免状一冊のためにすっかり引っくり返さなければならないことになった。
- 【参考】石井研堂 「東京市騒擾中の釣」: 普通の釣師は、三日四日の辛抱にて、「跳ッ返り」一本挙げてさへ、尺璧(せきへき)の喜びにて、幾たびか魚籃(びく)の内を覗き愛賞(あいしょう)措(お)かざるに、尺余の鯉を、吝気(おしげ)もなく与へて、だぼ沙魚(はぜ)一疋(ぴき)程にも思はざるは、西行法師の洒脱にも似たる贅沢無慾の釣師かなと感じき。聴けば、一人にて、七八本を貰ひたる者も少からずといふ。
- 【参考】田中貢太郎 「蟇の血」: 小学校の教師か巡査かとでも云う物ごしであった。彼はその脚下(あしもと)に置いてある魚籃を覗いて見た。そこには五六尾の沙魚が入っていた。
- 【参考】中里介山 「大菩薩峠 不破の関の巻」: 頭上に高く松の木の亭々たるその幹に一本の白旗が結びついて、静かに垂れているのを認める。
- 【参考】夏目漱石 「趣味の遺伝」: フロック・コートは承知したがズックの白い運動靴をはいて同じく白の手袋をちょっと見たまえと云わぬばかりに振り廻しているのは奇観だ。そうして二十人に一本ずつくらいの割合で手頃な旗を押し立てている。大抵は紫(むらさき)に字を白く染め抜いたものだが、中には白地に黒々と達筆を振(ふる)ったのも見える。
- 【参考】吉川英治「私本太平記 帝獄帖」: 行宮(あんぐう)はなお上にあった。その行宮の南面の廊の角に一竿(かん)たかく、錦の旗が、大和、山城、河内の山野を望みつつ、へんぽんと山風を呼んでいる。
- 【参考】夏目漱石 「趣味の遺伝」: 将軍の馬車の上に紫の旗が一流れ颯(さっ)となびくのが見えた。
- 【参考】作者不詳 「源平盛衰記(国民文庫)」: 五月九日卯刻に、源氏六千余騎、白旗三十流指上て、喚叫で般若野に推寄たり。 巳時ばかりに礪並山の北の麓に著て、日宮林に旗三十流打たてたり。倶梨伽羅山と云は加賀と越中との境也。
- 【参考】菊池寛 「俊寛」: 見ると、船の舳(へさき)には、一流の赤旗がへんぽんと翻(ひるがえ)っている。平家の兵船だと思うと、その船に赦免(しゃめん)の使者が乗っていることが三人にすぐ感ぜられた。
- 【参考】吉川英治 「上杉謙信」: 信繁は、信玄の弟だ。中軍二十一流の旗の下に、信玄の嫡子の太郎義信などの一族とともに進んでいた。
- 【参考】芥川龍之介 「蜜柑」: 唯一旒(いちりゅう)のうす白い旗が懶(ものう)げに暮色を揺(ゆす)っていた。
- 【参考】菊池寛 「勲章を貰う話」: ポーランド王スタニスワフの古王宮たるヴィヌラフ宮殿の上に、一旒(りゅう)の赤十字旗が、初夏の風に翻(ひるがえ)っているばかりであった。
- 【参考】小栗虫太郎 「黒死館殺人事件」: 昨夜は秘(こっ)そり甲冑武者を担ぎ上げて、二旒(りゅう)の旌旗(せいき)で問題の部分を隠したと云う訳なんですよ。ねえ田郷さん、確かこれだけは、風精(ジルフェ)が演じたうちで、一番下手な廷臣喜劇(コーティア・プレイ)でしたね
- 【参考】吉川英治「私本太平記 帝獄帖」: 大衆論議の場とされている大講堂の輪奐(りんかん)は、はや論議のない甲冑(かっちゅう)と刀箭(とうせん)に埋まり、ただ見る階廊の角に、一旒(りゅう)の錦の旗が、露をふくんで垂れていた。
- 【参考】有島武郎 「星座」: 柿江は話の都合上、自分は一枚の珍らしい旗を持っている。その旗の持主がまた珍らしい人なのだと前置きをして、その夜の修身を語りはじめたのだった。
- 【参考】谷譲次 「踊る地平線」: 無産の牛酪(バタ)一片(きれ)——厚さ二分弱一寸四方——五十哥(カペイカ)
- 【参考】マロ 楠山正雄訳 「家なき子」: おとなりへ行って乳(ちち)を一ぱいもらい、もう一けんからバターを一かたまりもらって来て、
- 【参考】中里介山 「大菩薩峠 市中騒動の巻」: 私共なんぞも雨降り揚句なんぞにそこへ行ってみると、奥の方から押し流された砂金を見つけ出して拾って来ることが度々ありまして、なにしろ金のことでございますから、それを取って貯めておくと一代のうちには畑の二枚や三枚は買えるのでございます。
- 【参考】伊藤左千夫 「姪子」: 村のはずれへ出たらもう畑一枚先の人顔が分るようになった、
- 【参考】金田千鶴 「夏蚕時」: 古い家とその屋敷地と畑一枚とそして大きな柿の木二本が遺された。それは当然お絹が我が子として育て上げた清司が相続するものとお絹自身もきめていたのだが、
- 【参考】泉鏡花 「神鷺之巻」: 畠(はたけ)二三枚、つい近い、前畷(まえなわて)の夜の雪路(ゆきみち)を、狸が葬式を真似(まね)るように、陰々と火がともれて、人影のざわざわと通り過ぎたのは――真中(まんなか)に戸板を舁(か)いていた。
- 【参考】坂口安吾 「禅僧」: ある時村へ一人の旅人がきた。隣字の温泉へ行くつもりのものが生憎と行暮れて、この字では唯一軒の旅籠(はたご)兼居酒屋の暖簾をくぐったのである。
- 【参考】島崎藤村 「夜明け前 第一部上」: 吉左衛門は金兵衛と一緒に雪の中を奔走して、村の二軒の旅籠屋(はたごや)で昼じたくをさせるから国境(くにざかい)へ見送るまでの世話をした。
- 【参考】吉渡辺温 「絵姿 The Portrate of Dorian Gray」: 善美を尽した宴と、香わしい夜の部屋と、変装の冒険と、波止場の怪しげな旅籠の一室とにドリアン・グレイの不思議な生活は続いた。
- 【参考】木村荘八 「私のこと」: ぼくは少年のころによくそのくぼみへはいっては、そこだけに珍らしく生えている雑草を楽しんだものでしたが――これに高い一竿の旗ざおが立ち、朝夕、白地に「牛鳥いろは」と朱で書いた小旗をこれへ上げ下げしました。
- 【参考】葛西善蔵 「子をつれて」: 眼を醒まして見ると、彼は昨夜のまゝのお膳の前に、肌襦袢一枚で肱枕して寝ていたのであった。身体中そちこち蚊に喰われている。
- 【参考】岡本綺堂 「両国の秋」: 白い肌襦袢一枚の肌もあらわになって、お絹はがっかりしたようにそこに坐ると、附き添いの小女(こおんな)が大きい団扇(うちわ)を持って来てうしろからばさばさと煽(あお)いだ。
- 【参考】種田山頭火 「鉄鉢と魚籃と ――其中日記から――」: 午後は近在行乞、家から家へ歩きまわっているうちに、何だか左胸部が痛むようなので、二時間ばかりで切りあげた。それでも米八合あまり頂戴している。さっそく炊いて食べる。まことに「一鉢千家飯」、涙ぐましくなる。
- 【参考】田山録弥 「谷合の碧い空」: 三枚の衣、一鉢の飯、さうした行を聖者は行した。衣食問題は大きな問題ではあるが、そこまで行けば、立派に世間の貧、苦、乏を解くことが出来る。
- 【参考】芥川龍之介 「女」: 雌蜘蛛(めぐも)は真夏の日の光を浴びたまま、紅い庚申薔薇(こうしんばら)の花の底に、じっと何か考えていた。 すると空に翅音(はおと)がして、たちまち一匹の蜜蜂が、なぐれるように薔薇の花へ下りた。
- 【参考】寺田寅彦 「蜂が団子をこしらえる話」: 同じ薔薇の反対の側へ廻ってみると、そこにも一疋の蜂が居た。そして何かしらある仕事をしているのであった。
- 【参考】酒井嘉七 「京鹿子娘道成寺」: 衆人環視の、歌舞伎の舞台でそれも、造りものの鐘の中で、姿なき者の手によって遂行されて殺人現場に残された物的証拠は、象牙の撥、ただの一本。
- 【参考】小栗虫太郎 「黒死館殺人事件」: そう云って熊城は、寝台の下から銀製の大皿を取り出した。直径が二尺近い盞形(さかずきがた)をしたもので、外側には露西亜(ルッソ)ビザンチン特有の生硬な線で、アイヷソウフスキーの匈奴(フン)族馴鹿(トナカイ)狩の浮彫が施されていた。皿の底には、空想化された一匹の爬蟲類が逆立(さかだち)していて、頭部と前肢(まえあし)が台になり、刺の生えた胴体がくの字なりに彎曲して、後肢(あとあし)と尾とで皿を支えている。
- 【参考】夢野久作 「難船小僧」: 万一見付かって首になっちゃ詰まらねえ。事によるとあの二挺(ちょう)のパチンコで穴を明(あ)けられちゃ叶(かな)わねえと思って、そのまんまにしといたんです。
- 【参考】海野十三 「軍用鼠」: そのとき彼女の身体の下から、二十日鼠が飛びだした。そしてその二匹の二十日鼠が、チョロチョロと向うへ逃げてゆく、二匹の二十日鼠と書くと読者は、彼作者が寝呆けて一の字を二の字に書いてしまったと思うかもしれない。
- 【参考】夢野久作「オンチ」: 又野が突然にアグラを掻いて、真剣な態度で三好の方向に向き直った。バッタが驚いて二三匹草の中から飛上った。
- 【参考】直木三十五「死までを語る」: 店先には「ぱっち」(股引の事)二三足と、汚い古着が、四五枚釣ってあっただけだったので、びっくりした。と、よく話していたが、これが、そもそも貧乏の始めである。
- 【参考】北原白秋「木曾川」: 丘陵の上、また水辺(みなべ)に反照する鮮明なる洋風建築、このダムこそ東洋一の壮観だとせられる。その堰堤の高さ百八十尺、長さ一千尺コンクリート、貯水量十億立方尺、堰堤上流三里十二町、面積百七十一町、水量流域百二十三方里、発電機四台、励磁機(れいじき)二台、電力四万二千九百キロワット。惜しむらくは下流に立ってこれを仰視し得(う)る機会を得なかったことである。
- 【参考】九鬼周造 「「いき」の構造」: 「江戸の花」には、命をも惜しまない町火消(まちびけし)、鳶者(とびのもの)は寒中でも白足袋(しろたび)はだし、法被(はっぴ)一枚の「男伊達(おとこだて)」を尚(とうと)んだ。
- 【参考】江戸川乱歩 「怪人と少年探偵」:五分ほどして、二台のパトロール・カーが、やってきました。警視庁の本部から無電の命令をうけて、ちかくの町から、かけつけたというのです。話しているところへ、また一台、また一台、つごう四台のパト・カーがあつまったのです。
- 【参考】宮本百合子 「獄中への手紙 一九三七年(昭和十二年)」: きょうは水曜日です。私はいつも水曜日木曜日などという日は特別な感情で朝テーブルの上を見る。けさ、眼鏡をまだかけないで下へ降りてテーブルを一寸見たら、心待ちにしている例の封緘がなくてハトロン封筒が一枚あり。何だろうと思って手にとって見て、ハア、とうれしく、それでも実に実に珍しくて丁寧に鋏で封を切ってそのまま一通りよんで、又よんで、食事の間じゅうくりかえして出したりしまったりしました。可笑しいのね、何と可笑しいのだろう、一通の手紙でも見る毎に何かいいものが出て来そうな、何かよみ落しているような、もっと何かあるような気がして、まるで宝の魔法箱でも眺めるように飽きないのだから。この分量だけ手紙を下さるのにあなたがとって下すったいろいろの手数はよく分るので一層うれしゅうございます。
- 【参考】太宰治 「葉桜と魔笛」: どんなに小さいことでもよい。タンポポの花一輪の贈りものでも、決して恥じずに差し出すのが、最も勇気ある、男らしい態度であると信じます。
- 【参考】牧野富太郎 「植物知識」: 多くの年数を経(へ)た古い牡丹にあっては、高さが一八〇センチメートル以上にも達して幹(みき)が太くなり、多くの枝(えだ)を分かち、たくさんな葉を繁(しげ)らし、花が一株上に数百輪(りん)も開花する。
- 【参考】幸田露伴「花のいろ/\」: もゝの花は、八重なる、一重なる、ともに好し。ことに八重の淡紅(うすくれない)に咲けるが、晴れたる日、砂立つるほどの風の急(にわか)に吹き出でたるに、雨霰と夕陽(ゆうひ)さす中を散りたるなど、あわれ深し。名も無き小川のほとりなる農家の背戸の方に一本(ひともと)二本(ふたもと)一重なるが咲ける、
- 【参考】正岡子規「病牀六尺」: 草花の一枝を枕元に置いて、それを正直に写生して居ると、造化の秘密が段々分って来るような気がする。
- 【参考】芥川龍之介 「商賈聖母」: 白衣の聖母? いや、わたしは知っている。それは白衣の聖母ではない。明らかに唯の女人である。一朶(いちだ)の薔薇(ばら)の花を愛する唯の紅毛の女人である。
- 【参考】太宰治 「竹青 ――新曲聊斎志異――」: 岸の平沙(へいさ)は昼のように明るく柳の枝は湖水の靄(もや)を含んで重く垂れ、遠くに見える桃畑の万朶(ばんだ)の花は霰(あられ)に似て、微風が時折、天地の溜息の如く通過し、いかにも静かな春の良夜、
- 【参考】蒲原有明 「『聊斎志異』より」: かの花の芽はやうやう肥え太りて、晩春のころ丈二尺にあまりたり。 黄生の故里に帰りたるひまは、道士そをあづかりて、朝夕の培養にこころがけにき。 次年四月、黄生来りて見るに、花一朶、つぼみふくらかに、枝撓みて折れなむばかりなり。
- 【参考】徳富蘆花 「思出の記」: 一朶何十ルーブルと云ふ珍花の花束を持って来る
- 【参考】小島烏水 「梓川の上流」: 白馬岳の又の名を越後方面では大蓮華山といっている、或人の句に「残雪や御法(みのり)の不思議蓮華山」とあるからは、これも一朶の白蓮華、晶々たる冬の空に、高く翳(かざ)されて咲きにおうから、名づけられたのかも知れない。
- 【参考】夏目漱石 「子規の画」: 思うに画と云う事に初心(しょしん)な彼は当時絵画における写生の必要を不折(ふせつ)などから聞いて、それを一草一花の上にも実行しようと企(くわだ)てながら、彼が俳句の上ですでに悟入した同一方法を、この方面に向って適用する事を忘れたか、または適用する腕がなかったのであろう。
- 【参考】高村光太郎 「山の春」: 又カタクリのかわいい紫の花が、厚手の葉にかこまれて一草一花、谷地(やち)にさき、時として足のふみ場もないほどの群落をなして、みごとなこともある。
- 【参考】樋口一葉 「あきあはせ」: 垣根(かきね)の朝顔やう/\小さく咲きて、昨日今日葉(は)がくれに一花(ひとはな)みゆるも、そのはじめの事おもはれて哀れなるに、松虫すゞ虫いつしか鳴(なき)よわりて、
- 【参考】樋口一葉 「水の上」: 杉の枝一つ二つ、撫子の花を一花二花摘(つ)み取ると、師君も田中ぬしも運に肖(あやか)りたいと真似して折りました。
- 【参考】牧野富太郎 「カキツバタ一家言」: 一つの枝に四、五輪かないし七、八輪かの花が付いて咲いていなければ都合が悪いが、カキツバタの花はたとえその茎頂にある鞘苞中に二花ないし三花が含まれてはいるとしても、しかしその花は順を追って新陳代謝し一日に一花ずつしか咲かないから、それは決して数葩すなわち数花が開くとは言えないのである。
- 【参考】室生犀星 「故郷を辞す」: 床の間の竹筒には二花の白い木槿にわれもこうの花をつん抜かして生けてあった。
- 【参考】芥川龍之介 「追憶」: 蘭はどこでも石の間に特に一、二茎(けい)植えたものだった。
- 【参考】夏目漱石 「子規の画」: 子規はこの簡単な草花を描くために、非常な努力を惜しまなかったように見える。わずか三茎(みくき)の花に、少くとも五六時間の手間(てま)をかけて、どこからどこまで丹念に塗り上げている。
- 【参考】夏目漱石 「草枕」:ある時は一弁(いちべん)の花に化し、あるときは一双(いっそう)の蝶(ちょう)に化し、あるはウォーヅウォースのごとく、一団の水仙に化して、心を沢風(たくふう)の裏(うち)に撩乱(りょうらん)せしむる事もあろうが、
- 【参考】小熊秀雄 「詩集(4)小熊秀雄詩集2」: ヴォルガよ、 春はこゝに一片の花を押し流して 岸辺、岸辺に、その花を寄せ、 また岸から引離して
- 【参考】魯迅 井上紅梅訳 「不周山」: 慌(あわただ)しく手を押して、山の上から上空へと延べている紫藤(むらさきふじ)の一株を引き抜き、咲いたばかりの大きい藤の花の一房々々を打ち振れば、藤の花は地上に落ち、半紫半白の花弁が一面に散り敷いた。
- 【参考】柴田流星 「残されたる江戸」: こうなっては折角の花菖蒲も散々で、人は園内の切花を高い銭出して買うのが嫌さに、帰り路の小流れのほとり、百姓の児どもなぞが一把三銭の五銭のと客を見て吹ッかけるやつを、また更に値切りたおして、隣近所へまでのお土産、これで留守して貰った返礼をもすますようになって江戸以来の名所も台なしにされた形である。
- 【参考】鈴木三重吉 「女の子」: 自分はそれにも飽きると、首を出してとなりの南天の葉に溜る白い雨の雫を見る。縁側へ出て立てば、ナスタシヤムの一団の色が際立って綺麗である。
- 【参考】宮本百合子「粗末な花束」: 両手には、持たせられた花を二束ずつ持ちあげたまま、むきな、真面目極る顔を心持うな垂れて、のろのろ歩く。
- 【参考】正岡子規「病牀六尺」: 茄子(なす)の漬物に舌を打ち鳴らしたる夕餉(ゆうげ)の膳おしやりあえぬほどに、向島(むこうじま)より一鉢の草花持ち来ぬ。
- 【参考】泉鏡花 「ピストルの使い方 ――(前題――楊弓)」: ――土耳古の鼻を舐(な)めた奴だ、白百合二朶(ふたつ)の花筒へ顔(つら)を突込(つっこ)んで、仔細(しさい)なく、跪(ひざまず)いた。
- 【参考】泉鏡花 「ピストルの使い方 ――(前題――楊弓)」:もとの処に、これ、細い葉を二筋と、五弁の小さな花が彫ってある。
- 【参考】横光利一 「榛名」: 森の中に生えている丈長い蘆。白い樹間を絡りながら流れる煙。淡紅色に塊った花魁(おいらん)草の花の一群。
- 【参考】横光利一 「春は馬車に乗って」: 海浜の松が凩(こがらし)に鳴り始めた。庭の片隅(かたすみ)で一叢(ひとむら)の小さなダリヤが縮んでいった。
- 【参考】森鴎外 「文づかい」: 九月はじめの秋の空は、きょうしもここにまれなるあい色になりて、空気透(す)きとおりたれば、残るくまなくあざやかに見ゆるこの群れの真中(まなか)に、馬車一輛とどめさせて、年若き貴婦人いくたりか乗りたれば、さまざまの衣の色相映じて、花一叢(そう)、にしき一団、目もあやに、立ちたる人の腰帯(シェルペ)、坐りたる人の帽のひもなどを、風ひらひらと吹きなびかしたり。
- 【参考】国枝史郎 「娘煙術師」: その岩から外へはみ出して、一叢(ひとむら)の花が咲いていたがその中の純白の大輪の花が、得ならぬ芳香をあげながら、
- 【参考】長塚節 「開業醫」: 低い四つ目垣には白い草莢竹桃の花の一簇がさいて居る。娘は金盥の水を手の先で草莢竹桃の根へ掛けた。更に葉から花へ掛ける。
- 【参考】正宗白鳥 「花より団子」: 今の私は、三分咲きから五分咲き、満開と、忙しく咲き続け、咲きほこつてゐる一団の桜花を、私の部屋の正面に見ながら、桜は花の王であり、鯛は魚の王であると、早くから教へられたことを思浮べてゐる。
- 【参考】寺田寅彦 「映画芸術」: 花を生ける人の潜在意識の中に隠れたテーマがあってこそ一瓶(ひとかめ)の花が生け上げられるのである。
- 【参考】与謝野晶子 「婦人指導者への抗議」: 「起き上り小法師(こぼし)」を材料は手前持ちで千個作って、得る所の賃銀は纔(わず)かに壱円二十銭です。また麻を心にして布をくけ附ける下駄の鼻緒は百足作って十六銭の賃銀が与えられるだけです。一千個の「起き上り小法師」、百足の鼻緒、それは大分の熟練をつまねば、家庭の婦人の手で一日に仕上げることは出来ないものでしょう。
- 【参考】太宰治 「人間失格」: お弁当箱に食べ残しのごはん三粒、千万人が一日に三粒ずつ食べ残しても既にそれは、米何俵をむだに捨てた事になる、とか、或いは、一日に鼻紙一枚の節約を千万人が行うならば、どれだけのパルプが浮くか、などという「科学的統計」に、
- 【参考】林芙美子 「新版 放浪記」: 御飯杓子 参銭。 鼻紙一束 弐拾銭。 肌色美顔水 弐拾八銭。
- 【参考】太宰治 「乞食学生」: 私は、やはり池の面を眺めたままで、懐中の一帖の鼻紙を、少年の膝のほうに、ぽんと抛ってやった。
- 【参考】夏目漱石 「吾輩は猫である」: 「いくら舐めたって五六円くらいなものだ」と主人は平気な顔で鼻毛を一本一本丁寧に原稿紙の上へ植付ける。肉が付いているのでぴんと針を立てたごとくに立つ。
- 【参考】二葉亭四迷 「平凡」: 千載一遇の好機会も松に邪魔を入れられて滅茶々々になって了ったが、松が交って二つ三つ話をしている中(うち)に、間もなく夕方になった。
- 【参考】伊藤左千夫 「隣の嫁」: 兄の生(き)まじめな話が一くさり済むと、満蔵が腑抜(ふぬ)けな話をして一笑い笑わせる。
- 【参考】泉鏡花 「木の子説法」: 以下の一齣(ひとくさり)は、かつて、一樹、幹次郎が話したのを、ほとんどそのままである。
- 【参考】種田山頭火 「其中日記(九)」: 早く夕飯を食べて、新開作のNさんを訪ねるつもりで出かけたが、途中、Kさんの家庭に立寄る、雑談しばらく、本を借りてそのまゝ帰つた。…… 夜、Kさんはまた来庵、無駄話一くさりで、さよなら。 虫が鳴きしきり月がよかつた、だいぶ更けるまで読書した。
- 【参考】二葉亭四迷 「浮雲」: ここにチト艶(なまめ)いた一条のお噺(はなし)があるが、これを記(しる)す前に、チョッピリ孫兵衛の長女お勢の小伝を伺いましょう。
- 【参考】岡本綺堂 「青蛙堂鬼談」: まずその夢の一条を話すと、妻も不思議そうな顔をして聞いていた。そうして、こんなことを言った。
- 【参考】幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」: ただしかように申しますと、非常に広い問題になりまして、どうも一席の御話には尽す事が出来ないのでござりまする。
- 【参考】正岡子規 「夏の夜の音」: 上野の森に今迄鳴いて居た梟ははたと啼き絶えた。 最合井の辺に足音がとまつて女二人の話は始まつた。 一口二口で話が絶えると足音は南の家に這入つた。
- 【参考】太宰治 「葉」: 三日ほどまえから、黄昏(たそがれ)どきになると一束の花を持ってここへ電車でやって来て、
- 【参考】菊池寛 「勲章を貰う話」: リザベッタは、必ず二つの花束を持っていた。一つはイワノウィッチが贈ったものであったが、
- 【参考】太宰治 「喝采」: 卓上、山と積まれたる水菓子、バナナ一本を取りあげるより早く頬ばり、ハンケチ出して指先を拭い口を拭い一瞬苦悶、
- 【参考】中島敦「虎狩」: 鞄(かばん)の中からバナナを一房取出して私にも分けてくれた。
- 【参考】林芙美子 「新版 放浪記」: 夜は御飯を炊くのがめんどうだったので、町の八百屋で一山十銭のバナナを買って来てたべた。
- 【参考】木内高音 「水菓子屋の要吉」: 一山いくらのお皿(さら)の上には、まっ黒(くろ)くなったバナナだの、青かびのはえかけたみかんだの、黒あざのできたりんごだのがのっていました。
- 【参考】柴田流星「残されたる江戸」:やがて出されたは黒塗りの見事な膳部に誂えの品々、別に鉢植えの茄子に花鋏一挺が添えてある。
- 【参考】中里介山「大菩薩峠 お銀様の巻」:抜打ちにした小森の面(かお)をめがけて、一挺の花鋏(はなばさみ)を投げつけた旅人風体(りょじんてい)の男。笠を冠って合羽を着て草鞋(わらじ)に脚絆なのが、桟敷の下を潜(もぐ)って身を隠したその素早(すばや)いこと。
- 【参考】寺田寅彦 「備忘録」: 実際この線香花火の一本の燃え方には、「序破急」があり「起承転結」があり、詩があり音楽がある。
- 【参考】北原白秋 「木曾川」: 薄明(はくめい)がいよいよ暮つくして短い夏の夜(よ)に入(い)ってからの花火の壮観はすばらしかった。菊花壇(きくかだん)、菊先乱発(きくさきらんぱつ)、二尺玉、三尺玉、大菊花壇、二百発三百発の早打(はやうち)、電光万雷、銀錦変花(ぎんにしきへんか)、菊先錦群蝶(きくさきにしきぐんちょう)、青光残月、等等等。燦爛(さんらん)たる孔雀玉の紫と瑠璃(るり)と、翡翠(ひすい)と、青緑(せいりょく)。紅(べに)と緑の光弾、円蓋(えんがい)、火箭(ひや)、ああ、その銀光の投網(とあみ)、傘下(からかさおろ)し、爆裂し、奔流(ほんりゅう)し、分枝(ぶんし)し、交錯し、粉乱(ふんらん)し、重畳(ちょうじょう)し、傘下(からかさおろ)し、傘下し、傘下し、八方に爛々(らんらん)として一瞬にしてまた闇々(あんあん)たる、
- 【参考】中里介山 「大菩薩峠 お銀様の巻」: 裏庭で一発の花火が揚りました。それを合図に烏帽子(えぼし)直垂(ひたたれ)の世話役が出て来ました。
- 【参考】立原道造 「夏秋表」: その花は橙色に近い黄の花びらを一枚一枚ずうずうしい位に厚ぼったくふくらませ、一茎に幾花もむらがっていた。
- 【参考】ハンス・クリスティアン・アンデルセン 楠山正雄訳 「雪の女王」: ゲルダは赤い花びらをひとひら、そっとどけると、そこに日やけしたくびすじが見えました。
- 【参考】夏目漱石 「永日小品」: 崖から出たら足の下に美しい薔薇(ばら)の花弁(はなびら)が二三片散っていた。
- 【参考】高山樗牛 「瀧口入道」: 滝口は、あわやと計り松の根元(ねもと)に伏転(ふしまろ)び、『許し給え』と言うも切(せつ)なる涙声、哀れを返す何処の花ぞ、行衛も知らず二片三片(ふたひらみひら)、誘う春風は情か無情か。
- 【参考】夏目漱石 「幻影の盾」: クララは顔を背(そむ)けて紅(くれない)の薔薇の花を唇につけて吹く。一弁(ひとひら)は飛んで波なき池の汀(みぎわ)に浮ぶ。一弁は梅鉢の形ちに組んで池を囲える石の欄干に中(あた)りて敷石の上に落ちた。
- 【参考】魯迅 井上紅梅訳 「不周山」: 慌(あわただ)しく手を押して、山の上から上空へと延べている紫藤(むらさきふじ)の一株を引き抜き、咲いたばかりの大きい藤の花の一房々々を打ち振れば、藤の花は地上に落ち、半紫半白の花弁が一面に散り敷いた。
- 【参考】堀辰雄 「幼年時代」: 私は寝呆(ねぼ)けたように、その真ん中に坐ると、急に怒ったように、そこいらに散らばっていた花札を一つずつ襖(ふすま)の方へ投げつけ出した。
- 【参考】直木三十五 「大衆文芸作法」: この額風呂の庭には植込もかなり多いので、離れの一棟も母屋からは見透されません。
- 【参考】国枝史郎 「猿ヶ京片耳伝説」: 主屋と離れ、崖の中腹に、懸け作りになっている別館(はなれ)が一棟、桜や椿や朴(ほお)の木に囲まれ、
- 【参考】泉鏡花 「星女郎」: その時分には、当人大童(おおわらわ)で、帽子も持物も転げ出して草隠れ、で足許が暗くなった。 遥(はる)か突当り――崖を左へ避(よ)けた離れ座敷、確か一宇(ひとむね)別になって根太(ねだ)の高いのがありました、……そこの障子が、薄い色硝子(いろがらす)を嵌(は)めたように、ぼうとこう鶏卵色(たまごいろ)になった、灯(あかり)を点(つ)けたものらしい。
- 【参考】夏目漱石 「文鳥」: 文鳥は白い翼(つばさ)を乱して騒いだ。小い羽根が一本抜けても、自分は文鳥にすまないと思った。
- 【参考】森鴎外 「柵草紙の山房論文」: 孔雀の羽のいろ/\はその翰(ね)より受くる養(やしなひ)おなじきに、色彩の變化は一本(ひともと)ごとに殊なり。その相殊なる色彩の合(がつ)して渾身の紋理をなすは、先天の理想にはあらざるかと。
- 【参考】泉鏡花 「革鞄の怪」: すなわち人間界における天人の羽衣の羽の一枚であったのです。
- 【参考】エドガー・アラン・ポー 森林太郎(森鷗外)訳 「うずしお」: 僕の見た所では、仮令(たとい)最も大きい戦闘艦でも、この恐ろしい引力の範囲内に這入った以上は、丁度一片の鳥の羽が暴風(あらし)に吹きまくられるように、
- 【参考】芥川龍之介 「枯野抄」: 一椀の水と一本の羽根楊子とは、既にこの老僕が、用意して置いた所である。彼は二品をおづおづ主人の枕元へ押し並べると、思い出したように又、口を早めて、専念に称名(しょうみょう)を唱え始めた。
- 【参考】服部之総 「黒船来航」: 攘夷派にも同じく封建支配者の攘夷と人民の攘夷の二派があった。前者の例は生麦(なまむぎ)で薩摩(さつま)の武士がイギリス人を斬った、いわゆる生麦事件に代表されるものであり、後者はたとえば対馬(つしま)が占領されたとき最後まで反抗した対馬の住民であった。民間から攘夷に参加した紀州の浜口梧陵(はまぐちごりょう)、尾張の林金兵衛(はやしきんべえ)あるいは天狗党にはせ参じようとした河野広中(こうのひろなか)、その他文久年間の過激攘夷決行派のなかに大ぜいおった。武士でなく当時の人民の生産力を代表する若いブルジョアジーの攘夷が後者を代表する。これら四派がきり結ぶなかに明治維新へと歴史は進んでいく。
- 【参考】森鷗外 「護持院原の敵討」: 十一日にりよは中奥目見(なかおくめみえ)に出て、「御紋附黒縮緬(くろちりめん)、紅裏真綿添(もみうらまわたそい)、白羽二重一重(しろはぶたえひとかさね)」と菓子一折とを賜(たまわ)った。
- 【参考】清澤洌 「暗黒日記」: 暸とともに畠に着手。井出君のところに馬鈴薯のタネイモと堆肥をもらいに行く。僕は大八車を曳いて帰る。途中で馬糞を一つ拾う。生憎く拾いとるものがないので、手でつかんで車に入れる。女学生が通るので、さすがに手づかみにするのが恥かしく、近くの紙きれを使う。だが、女学生たちも紳士の馬糞拾いは珍しくないらしく、振りかえっても見ない。
- 【参考】吉川英治 「三国志 草莽の巻」: 高順の三万騎が、ここへ着いたのは翌る日だった。みれば、草はみな風雨に伏し、木は折れ、河はあふれて、人馬の影はおろか、陣地の跡に一塊の馬糞もなかった。
- 【参考】芥川龍之介 「魔術」: 私は遠慮(えんりょ)なく葉巻を一本取って、燐寸(マッチ)の火をうつしながら、
- 【参考】芥川龍之介 「歯車」: 巻煙草はなぜかエエア・シップだった。(僕はこのホテルへ落ち着いてから、いつもスタアばかり吸うことにしていた)人工の翼はもう一度僕の目の前へ浮かび出した。僕は向うにいる給仕を呼び、スタアを二箱貰うことにした。
- 【参考】夢野久作 「鉄鎚」: 温泉行(ゆき)以来、音も沙汰もしなかった伊奈子が、何と思ったかお化粧も何もしない平生着(ふだんぎ)のまま、上等の葉巻きを一箱お土産に持って日暮れ方にヒョッコリと遣って来た。
『日葡辞書』は、1603年・慶長8年 [ ] に発行された、日本イエズス会宣教師の編による日本語・ポルトガル語辞典で、昭和55年・1980年に邦訳版が『邦訳 日葡辞書』として岩波書店から出版された。
【知識】「貝類の八つ以上を一折、一鉢と書く」と松沢老泉(まつざわろうせん)著の『品物名数抄(ひんぶつめいすうしょう)』(文化七年・1810年)にある。『諸貝(しょばい):貝類七つまでは員数を書く。八つ以上は一折、一鉢と書くべし。蚫は一杯二杯と書いてよし。蛤は何に入れても一籠と書くなり』
※編集注:「品物名数抄」に示されている「折」「鉢」などは、『書く』『書くべし』などの表現から推して、進物に添える書状や目録などでの書き方を指南したものか。
《付録》 『蛤』の家紋- 【参考】正岡子規 「闇汁図解」: 一、鳴雪翁は別に蛤一箇宛を椀に入れて各に配る。之に湯を注げば蛤自ら開きて昆布、辻占、麩、鰕など躍り出る仕掛なり。
- 【参考】佐藤垢石 「にらみ鯛」: 蛤(はまぐり)は一箇の代銀二厘六毛、貝の縦の長さ二寸が標準であった。小鳥は、十羽の代が銀一分七厘三毛。蕨は、一把五十本束代銀五厘二毛、などというのであった。
- 【参考】「北野社家日記第四」: 一、今日近衞殿様へ祇候、天野一荷・蛤一折・串柿一束進上、有御對面、御酒有御座、 一、同梅龍軒へ罷出、天野一荷・海老一折・鯛二枚随身、寒酒祝言計在之、
- 【参考】三好十郎「浮標 」: 一切れのハムを十度噛めば十カロリー、百度噛めば一万カロリーだ。
- 【参考】アントン・チェーホフ 神西清訳「妻 」: 彼は私の皿にハムを一片とってくれ、私は謹んで食べた。
- 【参考】宮沢賢治 「よだかの星」: 夜だかは巣から飛び出しました。雲が意地悪く光って、低くたれています。夜だかはまるで雲とすれすれになって、音なく空を飛びまわりました。 それからにわかによだかは口を大きくひらいて、はねをまっすぐに張って、まるで矢のようにそらをよこぎりました。小さな羽虫が幾匹(いくひき)も幾匹もその咽喉(のど)にはいりました。
- 【参考】蘭郁二郎 「鱗粉」: それは、あの美しくも酷(むご)たらしい一齣の場面だけであって、その原因とか、解決とかいった方には、その後(ご)報ぜられた新聞記事と同様、まるでブランクといってもよかった。
- 【参考】海野十三 「ヒルミ夫人の冷蔵鞄」: そんなわけで、モニカの千太郎は愛用のハーモニカ一挺(ちょう)とともに失踪人の仲間に入ってしまった。
- 【参考】泉鏡花 「日本橋」: 「刃物を持ってるか。」 「むむ、持たんことがあるもんだか。」 「二口(ふたふり)あるか、二挺(ちょう)持ってるか。」 「どうするだい。」 「一口(ひとふり)渡せ、一挺貸せ。――持たんのか。一本しかない刃物なら、暗撃(やみうち)にしろ。離れて狙え。遠くから打て。前に廻って、名告(なのり)掛けて、生命の与奪(やりとり)をすると云うに、敵(かたき)の得ものを用意しない奴があるものか、はははは、馬鹿だな。」
- 【参考】岸田國士 「ある夫婦の歴史」: かういふ焦点の合はぬ夫婦の気持が、次第に二つの波紋となつてひろがつて行くのは当然であつた。そして、それは、意外な行動の出発点へ二人を運んだ。
- 【参考】宮本百合子 「雨と子供」: 浅い池のような水の面に一つ、二つ、あとつづけてまた柿の花がこぼれる。一つの花からスーと波紋がひろがる。こちらの花からもスーと。二つの波紋がひょっと触り合って、とけ合って、一緒に前より大きくひろがって行く。
- 【参考】高祖保 「希臘十字」: けふも湖のほとりにあつて、追はれるもののごとく、右顧左眄(とみかうみ)しながらわたしは思ひ索める。二本のマストは微風を呼んで、湖面に二個の波紋を放つてゐる。あの下に、汽船はとらへ難い空を追ひながら、青い睡りを貪つてゐるであらう。
- 【参考】江戸川乱歩 「パノラマ島綺譚」: 千代子がこの雄大な景色に見とれている間に、廣介が何かの合図をしたらしく、ふと気がつくと、いつどこから現れたか、非常に大きな二羽の白鳥が、誇りがなうなじを上げ、その豊かな胸のあたりに、二筋三筋のゆるやかな波紋を作って、しずしずと、二人の立つ岸辺をさして近づいて来るのでした。
- 【参考】久生十蘭 「顎十郎捕物帳 丹頂の鶴」: 「それについて、ひとつ、お願いがございます」 「申して見よ。身にかのうことならば、どのようなことでもきいてとらせる」 「どうか、乗継(のりつぎ)の早駕籠を一挺」 「早駕籠を、どうする」
- 【参考】佐々木味津三 「旗本退屈男」: 不審に存じまして見調べに参りましたら、七八人の黒い影が早駕籠らしいものを一挺取り囲みまして、逃げるように立去ったそのあとに、ほら――ごらん下さりませ。この脇差とこんな手紙が落ちていたのでござります。
- 【参考】佐々木味津三 「右門捕物帖 毒を抱く女」: うなりをたてながら飛び出していったかと思うまに、伝六得意の一つ芸、たちまちそろえたのは替え肩六人つきの早駕籠二丁です。
- 【参考】種田山頭火 「其中日記 (十一)」: 大根はうまいかな、大根はあらゆる点で日本蔬菜の王だ。 白菜一玉八銭、これも漬物にして天下一品。
- 【参考】魯迅 井上紅梅訳 「幸福な家庭」: すると、彼の背後の本棚の脇には已(すで)に一山の白菜置場が出現している。下層は三株、真中が二株、上が一株で、彼に向ってはなはだ大きなA字を畳み上げている。
- 【参考】種田山頭火 「一草庵日記」: さらにまたポストへ、また一杯ぐうつとひつかけました!鈍栗庵の愛息が自転車で栗飯を持つて来てくれる、さつそく御馳走になる、感謝々々。 白菜二把六銭、すぐ洗つて漬ける。
- 【参考】牧野富太郎 「寒桜の話」: そこで熱海でしかるべき地を相して、寒桜を各方へ分散して植えずにこれを一区域へ列植して一群の林を作る。
- 【参考】国木田独歩 「武蔵野」: 萱原の先きが畑で、畑の先に背の低い林が一叢(むら)繁り、その林の上に遠い杉の小杜(こもり)が見え、
- 【参考】国木田独歩 「武蔵野」: 畑とても一眸(いちぼう)数里に続くものはなく一座の林の周囲は畑、一頃(いっけい)の畑の三方は林、というような具合で、
- 【参考】中谷宇吉郎 「由布院行」:この附近に、平家(へいけ)の落武者(おちむしゃ)の墓があったといわれている一叢(ひとむら)の林があったので、伯父が見に行って見たら、それが全部白檀の林だったのだそうである。
- 【参考】吉川英治 「鳴門秘帖 船路の巻」: 船手組取次(ふなてぐみとりつぎ)の早状(はやじょう)が一通、近習(きんじゅう)の手をへてかれの前へ届けられた。
- 【参考】芥川龍之介 「十本の針」: わたしはこの世の中にある人々のあることを知っている。それらの人々は何ごとも直覚するとともに解剖してしまう。つまり一本の薔薇(ばら)の花はそれらの人々には美しいとともにひっきょう植物学の教科書中の薔薇科(しょうびか)の植物に見えるのである。現にその薔薇の花を折っている時でも。……
- 【参考】ハンス・クリスチアン・アンデルセン 森鷗外訳 「即興詩人」: 口に聖母(マドンナ)の御名(みな)を唱えて、瓶裡(へいり)の薔薇一輪摘み、そを唇に押し当てつゝ心には猶アヌンチヤタが上を思えり。
- 【参考】寺田寅彦 「夢」: 欄干の隅の花鉢に近づいてその中から一輪の薔薇(ばら)を取り上げてみると、それはみんな硝子(ガラス)で出来ている造花であった。
- 【参考】種田山頭火 「其中日記(六)」: 私だけ学校へ、鋸と鎌とを借りて、葵一茎、白薔薇一枝を貰ってくる。
- 【参考】芥川龍之介 「商賈聖母」: 白衣の聖母? いや、わたしは知っている。それは白衣の聖母ではない。明らかに唯の女人である。一朶(いちだ)の薔薇(ばら)の花を愛する唯の紅毛の女人である。
- 【参考】横光利一 「旅愁」: 薄化粧をした千鶴子の顔も少し青ざめていたが、一株の薔薇の見える小径をおもはゆげに笑い、横を向きつつも千鶴子の足はだんだん早くなって来た。
- 【参考】林芙美子 「瑪瑙盤」: 静物に買った、薔薇の一束を部屋から持ち出すと、まるで泣いた後のような涼しい気持になって街に急いだ。
- 【参考】谷譲次 「踊る地平線 Mrs. 7 and Mr. 23」: 彼女は、二つの角砂糖のあいだへ食卓の花挿(はなさ)しから薔薇(ばら)の花びらを一枚採って挟みながら、言いはじめたのである。
- 【参考】牧野信一 「青白き公園」: 咲きこぼれたる薔薇の花弁(はなびら)は 白く 青く またはほのしろくも くれないに―― 一片(ひとひら) 二片(ふたひら) 三片(みひら)……
- 【参考】山科言継「言継卿記(ときつぐきょうき)(天文三年〈1534年〉一月廿六日)」:手綱、腹帯一懸つゝ
- 【参考】大庭武年 「旅客機事件」: 窓は開放せられ、そこに取りかたづけられてありし座褥型落下傘(ざじょくがたパラシュート)一個紛失
- 【参考】小出楢重 「油絵新技法」: 私はどうすることかと見ていると二人はパラシュートを持って飛んだのだ。一つは赤で一つは白だった。
- 【参考】芥川龍之介 「続澄江堂雑記」: 僕は菊池(きくち)と長崎へ行った時、汽車中大いに文芸論をした。そのうちにふと気がついて見ると、菊池はいつか両手の間にパラソルを一本まわしている。僕は勿論「おい、君」と言った。すると菊池は苦笑(くしょう)しながら、鄰(となり)にいた奥さんにパラソルを返した。
- 【参考】佐左木俊郎 「駈落」: 全くそれは、長い間心の中に潜められていた切(せつ)なる要求であった。もうみんな、既に二本のパラソルさえ持っている人があるのに、菊枝はまだ、死んだ母が遺(のこ)して行った古い蝙蝠傘(こうもりがさ)を持っているだけであった。明日の、六社様(ろくしゃさま)のお祭りのことを思うと、彼女はどうしても一本のパラソルがほしかった。
- 【参考】永井荷風 「海洋の旅」: 自分は幼(ちいさ)い時乳母(うば)から、或お姫様がどう云う間違からか絹針を一本お腹(なか)の中へ呑込んでしまった。
- 【参考】夏目漱石 「虞美人草」: 縫うて行く糸の行方(ゆくえ)は、一針ごとに春を刻(きざ)む幽(かす)かな音に、
- 【参考】太宰治 「誰も知らぬ」: 母の物問いたげな顔にも気づかぬふりして、静かに坐り、縫いかけの袖(そで)を二針三針すすめました。
- 【参考】徳冨蘆花 「小説 不如帰」: 彼女(かれ)なり。彼女(かれ)なり。彼女(かれ)ならずしてたれかあるべき。その縫える衣の一針ごとに、あとはなけれどまさしくそそげる千行(こう)の涙(なんだ)を見ずや。その病をつとめて書ける文字の震えるを見ずや。
- 【参考】三遊亭圓朝 鈴木行三校訂編纂 「真景累ヶ淵」: 一時凌(いっときしの)ぎに其の後(のち)五日ばかり続いて参ります。すると一番しまいの日に一本打ちました鍼が、何(ど)う云うことかひどく痛いことでございましたが、是は鍼に動ずると云うので、
- 【参考】海野十三 「赤外線男」: 幾野課長の頸(くび)の真(ま)うしろに一本の銀鍼(ぎんばり)がプスリと刺さっていた。
- 【参考】夏目漱石 「野分」: 周囲一尺もあろうと思われる梁の六角形に削(けず)られたのが三本ほど、楽堂を竪(たて)に貫(つら)ぬいている
- 【参考】豊島与志雄 「白血球」: 刑事は押入の隅の一枚の張板に、全身でしがみついていた。金槌と釘抜とでそれをはがした。
- 【参考】夢野久作 「梅津只圓翁伝」: この明治二年前後は、能楽師が極度の窮迫に沈淪していた時代であった。現家元六平太氏が家元として引継がれた品物は僅かに張扇(はりおうぎ)一対というのが事実であったから、能静氏も表面は立派な邸宅に住みながら、内実は余程微禄した佗しい生活に陥って居られたものであろう。
- 【参考】夢野久作 「梅津只圓翁伝」: そのうちに利彦氏の腰付が心気の疲労のためいよいよ危くなって来ると、とうとう翁が癇癪(かんしゃく)を起して、張扇を二本右手に持ってヒョロヒョロと立上って来た。
- 【参考】宮沢賢治 「風野又三郎」: 電信ばしらの針金を一本切ったぜ、それからその晩、夜どおし馳けてここまで来たんだ。
- 【参考】石川啄木 「天鵞絨」: 此間から見えなかった斬髮機(バリカン)が一挺、此職人が何處かに隱し込んで置いた
- 【参考】中里介山 「百姓弥之助の話 第一冊 植民地の巻」: 昔三十年も前に東京でこれをやって見た事がある、その時はバリカン一挺(いっちょう)三円以上もして然もあんまり工合がよくなかった事を覚えて居る、このバリカンというやつにも当りはずれが相当にある、
- 【参考】宮本百合子 「婦人と文学」: 「いでや是より糊口的文学の道をかへてうきよを十露盤の玉の汗に商ひといふことはじめばや。」歌の会などの折にと、とってあった一二枚の晴着まで売りはらって、七月十七日に下谷龍泉寺町、大音寺前とよばれているところに間口三間奥行六間、家賃一円五十銭の家を見つけて、引越した。
- 【参考】岸田國士 「俳優倫理」: その国の文化が高いということの一つのバロメーターになるのは、俳優の中に学識のあるものが沢山いるということです。現代人として最も高い教養をもった人達が、俳優の中に沢山いるということが、その国の文化が高いということのバロメーターです。
- 【参考】竹久夢二 「砂がき」: ゴムのかわりに使うパンを三斤ほど食っただけでよしてしまった。
- 【参考】種田山頭火 「其中日記 (八)」: 米は買えないから(一升三十二銭)食パンを買う(一斤十四銭)、そして行乞はしないのだ、こゝにも私のワガママがあるけれど、それが私のウマレツキだから、詮方もない。
- 【参考】梶井久 「臨終まで」: 朝は大抵牛乳一合にパン四分の一斤位、バターを沢山付けて頂きます。
- 【参考】夢野久作 「ドグラ・マグラ」: すぐ足の爪先の処に、今の騒動のお名残りの三切れのパンと、野菜の皿と、一本のフォークと、栓(せん)をしたままの牛乳の瓶とが転がっている。
- 【参考】押川春浪 「海島冐檢奇譚 海底軍艦」: 今(いま)、一片(いっぺん)のパンも一塊(いっかい)の肉(にく)もなき此(この)みじめな艇中(ていちゅう)を見廻(みまわ)して、
- 【参考】豊島与志雄 「風景」: 彼等は襤褸をまとい、小さな包みを提げ、ポケットに一片のパンを持ってるのみであるが、前途には洋々たる希望がある……。
- 【参考】穂積陳重 「法窓夜話」: 債権者は債務者の門前に座を占めて居催促をなし、債務が弁済されるか、担保が提供されるまでは、一塊の麺麭(パン)、一杯の水をも口にしないで、餓死を待つのである。
- 【参考】二葉亭四迷 「平凡」: 其翌日の昼過ぎ本郷の一友人を尋ねて、嘘(うそ)八百を陳(なら)べ立て、其細君を誘(そその)かして半襟を二掛見立てて買って来て貰った。
- 【参考】泉鏡花 「婦系図前篇」: すぐにお蔦が、新しい半襟を一掛(ひとかけ)礼に遣って、その晩は市が栄えたが。
- 【参考】樋口一葉 「にっ記」: 彼女に別れの品として駒下駄一足を貰いました。私の方からは花向けにやるようなものがなかったので、有り合わせの半襟を一かけ贈りました。
- 【参考】萩原朔太郎「散文詩・詩的散文」: おん身の兄はおん身を愛することによりて、おん身に一ダースの鉛筆と一(ひと)かけの半襟を買うことにすら、尚かぎりなき愛惜の涙を、われとわれの真実至聖の詩篇に流さんとする者である。
- 【参考】小栗虫太郎 「紅毛傾城」: 大陸の東海岸に近いある町で、偶然フローラは、一枚の木版画で日本という国を知ったのであった。
- 【参考】小出楢重 「大切な雰囲気」: セーヌ河の古本屋、五階下の様なガラクタを売る店で、今日は面白いフランスの名所絵の銅版画の色ズリを四枚買って来たよ。
- 【参考】芥川龍之介 「本の事」: 本文(ほんもん)にはさんだ、三葉(さんよう)の銅版画(どうばんが)の中には、
- 【参考】横光利一 「時間」: 竹林ではもう十人ほどが三本の番傘の下に塊って皆の来るのを待っていたが、一同の荷物をまとめて金に換えに質屋へ行った肝心の木下という男がなかなか戻って来ない。
- 【参考】岡本かの子「伯林の降誕祭」: 猫の毛でつくった日本の細筆三本、五色のつまみ細工の小箱一つ、桜の縫いのしてあるハンカチ一枚――あとで考えても、おかしな贈物でした。
- 【参考】小酒井不木 「謎の咬傷」: 両手は左右にまっ直にのばされて居たが、右の手には一枚の絹手巾(ハンカチ)がもしゃもしゃにまるめて握られていたので、
- 【参考】岸田國士「泉」: 黒岩万五は、やがて大通りを右に折れて、トタン屋根を青く塗つた、建坪二十坪に足りない一棟のバンガロウの門の中へ、するすると自転車を乗り入れた。
- 【参考】永井荷風 「江戸芸術論」: 一枚の板木(はんぎ)にて緑色(りょくしょく)及び紅色(こうしょく)二度摺の法を案出するや、
- 【参考】片岡義男 「頬よせてホノルル」: パンケーキを三枚、それにシロップとバターをたっぷりとかけ、ソーセージを二本、そしてハーフ・ア・グレイプフルート。
- 【参考】菊池寛 「奉行と人相学」: 調書で見ると白状している罪科は、十数件に余っている。窃盗が、十件あまりと、スリが五、六件である。が、一件の金額が十両以上のものはなかった。その頃の成文法及び慣習法に依ると、その人間の盗んだ金額が、総額がいくらに上ろうと、一件の金額が、十両に上らない場合は、死罪を免れることになっている。
- 【参考】菊池寛 「奉行と人相学」: 「お奉行そりゃいけません。二度でも、三度でも同じことです。生かして置いて下さると、またやります。同じでございます。どうぞ、スッパリとやって下さいませ。その方が、私も気持がよろしゅうございます」
- 【参考】久生十蘭 「あなたも私も」: 「空巣だけなら、十犯かさねたって、死刑になることはないからな」
- 【参考】夏目漱石 「道草」:半紙廿枚ばかりへ隙間なく細字(さいじ)で書いたものの、五分の一ほど眼を通した後(あと)、彼はついにそれを細君の手に渡してしまった。
- 【参考】宮沢賢治 「とっこべとら子」: それは竹へ半紙を一枚はりつけて大きな顔を書いたものです。 その「源の大将」が青い月のあかりの中でこと更顔を横にまげ眼を瞋(いか)らせて小吉をにらんだように見えました。
- 【参考】永井荷風 「夏の町」: たしか中学を卒業する前の年の事かと記憶する。どういう訳か逗子へ半月ばかり行っていた時の事を半紙二帖(にじょう)ほどに書いたものが、今だに自分の手篋(てばこ)の底に保存されてある。
- 【参考】岡本綺堂 「半七捕物帳 女行者」: 俳優(やくしゃ)の河原崎権十郎にそっくりだというので、権十郎息子というあだ名をつけられて、浮気な娘なんぞは息子の顔みたさに、わざわざ遠いところから半紙一帖ぐらいを伊勢屋まで買いに来るようなわけで、
- 【参考】三遊亭圓朝 鈴木行三校訂・編纂「怪談牡丹灯籠」: 水道町の花屋へ行って、目出度く何か頭付(かしらつ)きの魚を三枚ばかり取って来い、序でに酒屋へ行って酒を二升、味淋(みりん)を一升ばかり、それから帰りに半紙を十帖(じょう)ばかりに、煙草を二玉に、草鞋(わらじ)の良いのを取って参れ
- 【参考】芥川龍之介 「温泉だより」: 差出し人萩野半之丞(はぎのはんのじょう)の小包みを一つ受けとりました。嵩(かさ)は半紙(はんし)の一しめくらいある、が、目かたは莫迦(ばか)に軽い、何かと思ってあけて見ると、
- 【参考】幸田露伴 「蒲生氏郷」: 親父殿も晩酌の一杯ぐらいは楽んでいられて、
- 【参考】菊池貴一郎(四代目歌川広重)「絵本江戸風俗往来」: スワ火事のしらせ、半鐘一点響くや、妻たるもの夫の身支度に力を添え、早きを専ら、夫の家を出づるやこれ今今生の別れの覚悟は、さながら武士の戦場へ向かうと同じき光景は、
- 【参考】南部修太郎 「S中尉の話」: 「おい、夜が明けるぞ……」 と、口の惡いMは叫びました。 「まあ待てよ……」 やがてグラスを取り上げて、ベルモットに咽喉(のど)をうるほしたS中尉は、てれ隱しにバスの聲を一聲かう張り上げたかと思ふと、勿體らしく話し始めました。が、その顏には當惑らしい苦笑が絶えませんでした。 「どうも戀物語と云つちやあ、僕のは少し可笑しいんだ。」 「結構、結構……」 と、一人が囃し立てました。 「さう半疊を入れるなよ。とに角まだ一月ばかり前のほやほやな話なんだ。何でも四谷の大番町にゐる友達を訪ねて、僕が大通りから九段兩國行の電車に乘つたのは丁度夜の八時過ぎだつたと思ひ給へ。中は好い工合に空いてゐて、釣革にぶら下がつてゐる人もなかつたので、僕は直ぐ中程の座席の隙へ腰を降したんだ。友達の家で飮んだ酒の醉ひはまだ醒めてゐなかつた。處でひよいと顏を上げて筋向うの座席を見ると、馬鹿に綺麗な女がゐるぢやあないか。而もその途端に向うも此方(こつち)を見て、ぱつと視線がぶつかつたのさ……何しろその時、僕ははつと思つたよ。二十三四の女盛りで、艶艶した庇髪の陰から覗く、黒味勝ちな眼に馬鹿に charm があるんだ。何と云ふのか知らないが、服裝(なり)も素敵に凝つてゐたよ。」
- 【参考】野村胡堂 「錢形平次捕物控 一番札」: 「尤も清太郎といふのは、評判のよくない男でしたよ。藤屋の娘のお筆と許婚(いひなづけ)とか何んとか言はれてゐますが、道樂が強くて浮氣で、金費ひが荒くて――」 「まるで八五郎見たいだ」 平次は時々こんな半疊を入れるのでした。 「冗談で、――兎も角近頃は叔父にもすつかり愛想を盡かされて、遊ぶ金にも詰まり藤屋の遠縁で、奉公人代りに働いてゐる、お若といふ澁皮(しぶかは)の剥けたのと懇(ねんご)ろにしてゐるといふ噂があつたさうですよ。死んだ者の惡口をいふわけぢやないが」
- 【参考】島崎藤村 「伊豆の旅」: 丁度駿河湾の方から進んで来た汽船が、左の高い岩の上に翻る旗を目掛けて入つて来て、帆船の一艘碇泊して居るあたりで止った。吾儕は一緒に成った漁夫と共に、この汽船へ移った。A君は船が大嫌いだ。酔はなければ好いが、と思って皆な心配した。
- 【参考】小島烏水 「天竜川」: 八反帆を南風に孕ませた上り船が、白地に赤く目じるしを縫いつけて、二帆三帆と、追っかけ追っかけ、上って来る、
- 【参考】徳冨蘆花 「小説 不如帰」: 不動祠(ふどうし)の下まで行きて、浪子は岩を払うて坐(ざ)しぬ。この春良人(おっと)と共に坐したるもこの岩なりき。その時は春晴うらうらと、浅碧(あさみどり)の空に雲なく、海は鏡よりも光りき。今は秋陰暗(あん)として、空に異形(いぎょう)の雲満ち、海はわが坐す岩の下まで満々とたたえて、そのすごきまで黯(くろ)き面(おもて)を点破する一帆(ぱん)の影だに見えず。
- 【参考】山本周五郎「秋の駕籠」: 店の土間には五人ずつ並べる飯台が四つ、坐って飲むための四帖半の小座敷が一つあった。二方の壁には品書などはなく、片方に桜井秋山の山水、片方に師宣の肉筆の風俗画が懸けてある。
- 【参考】太宰治 「正義と微笑」: 暑い、暑い。ごめんこうむって、パンツ一枚の姿で日記をつける。
- 【参考】太宰治 「トカトントン」: 空気を掻き分けて進むというような奇妙な腕の振り工合で、そうしてまっぱだかにパンツ一つ、もちろん裸足(はだし)で、大きい胸を高く突き上げ、
- 【参考】泉鏡花 「栃の実」: 留守に念も置かないで、そのまま駕籠を舁出(かきだ)した。「おお、あんばいが悪いだね、冷えてはなんめえ。」樹立(こだち)の暗くなった時、一度下(おろ)して、二人して、二人が夜道の用意をした、どんつくの半纏(はんてん)を駕籠の屋根につけたのを、敷かせて、一枚。一枚、背中に当(あて)がって、情(なさけ)に包んでくれたのである。
- 【参考】岡本綺堂 「綺堂むかし語り」: 其の葛籠(つづら)をあらためると、小新しい双子(ふたこ)の綿入れが三枚と羽織が三枚、銘仙の着物と羽織の揃ったのが一組、帯が三本、印半纏が四枚、ほかに浴衣が五枚と、それから現金が七十円ほどありましたよ。
- 【参考】宮沢賢治 「イギリス海岸」: その時、あの下流の赤い旗の立ってゐるところに、いつも腕に赤いきれを巻きつけて、はだかに半纒(はんてん)だけ一枚着てみんなの泳ぐのを見てゐる三十ばかりの男が、一梃(ちゃう)の鉄梃(かなてこ)をもって下流の方から溯(さかのぼ)って来るのを見ました。
- 【参考】小林多喜二 「北海道の「俊寛」」:雪が足駄の歯の下で、ギユンギユンなり、硝子が花模様に凍てつき、鉄物が指に吸いつくとき、彼等は真黒になつたメリヤスに半纏一枚しか着ていない。そして
- 【参考】野村胡堂 「奇談クラブ〔戦後版〕」: 話変って真物(ほんもの)の出雲守頼門は、腐った半纏を一枚着せられて、夜っぴて山の中を歩き廻りましたが、五千尺の烏帽子岳の中腹を、何処(どこ)を何(ど)う歩いたか、まるっ切り見当もつきません。
- 【参考】黒島伝治「武装せる市街」: 着のみ着のまゝの彼等の服装は、もう着破って、バンド一条さえ残っていなかった。
- 【参考】服部之総「Moods cashey」: これは教会側の記録ですが、と言って、取出したものに、小さなパンフレットがあった。裏を返すと昭和四年発行、大浦天主堂とあり、一部五銭であった。
- 【参考】坂口安吾「島原の乱雑記」: さしあたってはハリス公館のおかれた下田港で誕生したであろうが、そのための一冊のパンフレットができるまで体系化されるのは、なんといっても横浜の居留地が開かれたのちのことである。
- 【参考】宮沢賢治「ビジテリアン」: 今朝私どもがみなさんにさしあげて置いた五六枚のパンフレットはどなたも大抵お読み下すった事と思う。
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