. ショパンとは ショパンの簡単な伝記と超有名な代表曲の試聴
ショパンとは ショパンの簡単な伝記と超有名な代表曲の試聴
ショパンとは ショパンの簡単な伝記と超有名な代表曲の試聴

ショパンとは ショパンの簡単な伝記と超有名な代表曲の試聴

ショパンとは ショパンの簡単な伝記と超有名な代表曲の試聴

「ピアノの詩人」ショパンの「この曲聞いたことある!」有名曲の紹介と、生い立ちなどショパンを簡単に知る記事。

更新:2021年12月17日 公開:2021年12月10日

  • この曲がショパンの曲なのか!とわかる
  • ショパンの代表曲が分かる、聞ける
  • ショパンの生い立ちがわかる
  • この記事を読めば「ショパン知ってる」といえるようになる
  • クラシック音楽が少しわかるようになる

目次

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祖国ポーランドへの望郷の念を曲に込めたピアノの詩人繊細で叙情的で孤独で、華やかでありながら切ない、情緒感に溢れる音楽ピアノ音楽を変革に導いたロマン派の音楽家

名前フレデリック・フランチシェク・ショパン(Frédéric François Chopin)通称「ピアノの詩人」音楽ジャンルロマン派代表楽器ピアノ活動した場所ポーランド出身フランス・パリで活動主な活動内容・ピアニスト・作曲家生年1810年3月1日没年1849年10月17日(39歳)代表曲A 「幻想即興曲」即興曲第4番 嬰ハ短調 作品66(1834年)A 「別れの曲」練習曲第3番 ホ長調 作品10-3(1832年)A 「ノクターン第2番」 変ホ長調 作品9-2(1831年)A 「小犬のワルツ」ワルツ第6番 変ニ長調 作品64-1(1846年)B 「革命のエチュード」練習曲第12番 ハ短調 作品10-12(1831年)B 「華麗なる大円舞曲」ワルツ第1番 変ホ長調 作品18(1833年)B 「英雄ポロネーズ」ポロネーズ第6番 変イ長調 作品53-6(1842年ー1843年)B 「24の前奏曲第7番」前奏曲第7番 イ長調作品 28-7(1831ー1838年?)B 「雨だれの前奏曲」前奏曲第15番 変ニ長調 作品28-15(1831ー1838年?)C 「幻想ポロネーズ」ポロネーズ第7番 変イ長調 作品61(1846年)C 「葬送行進曲」ピアノソナタ第2番 変ロ短調 作品35 第3楽章(1837年)C 「舟歌」嬰ヘ長調 作品60(1846年)C 「遺作」夜想曲(ノクターン)第20番 嬰ハ短調 作品(1830年)A:誰でも知ってる超有名曲B:聞いたことがある有名曲C:なんとなく知ってる気がする名曲※クラシック音楽にあまり触れたことがない人が聞いた場合の目安です。関係者フランツ・リスト:同じ天才ピアニストとしてライバルであり友人でもあった。ウジェーヌ・ドラクロワ:フランスロマン派の画家でありショパンの親友。バッハ、ベートーヴェン、モーツァルト:ショパンがとても尊敬していて、ショパンの曲にも影響がみられる。ジョルジュ・サンド:ショパンの恋人で6歳年上。約9年間ともに過ごす。作家、政治活動家、フェミニスト。ジェーン・スターリング:「ショパンの未亡人」とも呼ばれたショパンの支援者にして弟子で秘書。 ショパンの肖像写真 1849年に撮影。ショパン39歳ごろ、死の直前に撮影された貴重な写真。 ウジェーヌ・ドラクロワ『フレデリック・ショパンの肖像』1838年、ルーヴル美術館ショパンの友人でもあったロマン派の代表的画家ドラクロワが描いたショパンの肖像画ちなみにこの作品にはショパンの恋人でもあったジョルジュ・サンドも共に描かれていたが、後に切り離さた。ドラクロワはショパンの死後「辛すぎてパリにいたくない」というほどに親交を深めていた。

ショパンについて簡単に

「ピアノの詩人」として知られるショパンは、ピアニストでありロマン派の作曲家でもありました。ショパンの作品はほぼすべてがピアノ曲です。

ショパンの祖国ポーランドは当時ロシアに支配されていて、ウィーンやパリで活動していたショパンはポーランドに帰ることができませんでした。ショパンはパリの社交界でピアニスト・作曲家として有名になり活躍しますが、望郷の念を募らせるも叶うことはなく、結核により39歳の若さで亡くなりました。

ショパンの名曲は誰もが聞いたことがある有名な曲が多く、みな知らず知らずのうちにショパンの名曲を聴いています。

ショパンはとても内向的な性格で、大勢の前で演奏するよりも、小さな会場で限られた少ない聴衆を相手にすることを好みました。ショパン自身の演奏も風が鍵盤を撫でているかのような小さく優しい演奏だったようです。派手なパフォーマンスや技巧を誇る演奏よりも、音楽に流れる内面を繊細に表現する音楽家でした。

そして、人見知りで孤独な人物。当時の友人たちがショパンのことを「天使のような人」と表現するほど穏やかで繊細で魅力に溢れた人物だったようですが、ときに激しさをあらわすこともあったようです。一方で、ロマン派としては珍しく信仰心が薄かったようですが、聖職者や教会が嫌いなだけで自分の中に神はいたように思います。

現在ポーランドではショパンを記念した「ショパン国際ピアノコンクール」が5年に1度開催されています。ショパン音楽コンクールは世界三大音楽コンクールのひとつとして、世界的なピアニストが多く誕生しています。

ショパンの名曲・代表曲

ピアノの詩人」ショパンには、超有名な誰でも聞いたことがある名曲がたくさんあります。この記事はクラシック音楽が大好きな人や詳しい人向けの記事ではなく、クラシック音楽やショパンにちょっと興味がある程度の方を対象としていますので、ショパン本人やクラシック音楽界にとって重要であるかどうかではなく「あ、この曲聞いたことある!」という一般人視点での曲紹介となります。

A:誰でも知ってる超有名曲B:聞いたことがある有名曲C:なんとなく知ってる気がする名曲※クラシック音楽にあまり触れたことがない人が聞いた場合の目安です。

ショパンの曲名にある「ワルツ」「エチュード」などは、日本語にすると次のような意味になります。

エチュード「練習曲」とは、楽器の演奏技巧を習得するための曲。プレリュード「前奏曲」とは、組曲などの導入として演奏される小器楽曲。ワルツ「円舞曲」とは、主にサロンで演奏されエレガントさが特徴。ノクターン「夜想曲」とは、主にサロンの夜会で演奏される。アンプロムプテュ「即興曲」とは、主にピアノ独奏用に自由に展開する曲。即興で演奏するわけでなはい。バスカロール「舟歌」とは、ヴェネチアのゴンドラで船頭が口ずさむ歌を模したもの。バラード:文学や物語の詩を曲に乗せて演奏する。

ポロネーズ:ショパンの故郷であるポーランドの民族舞曲。なかでも高貴なもの。マズルカ:ショパンの故郷であるポーランドの民族舞曲。なかでも素朴なもの。

A:「幻想即興曲」即興曲第4番 嬰ハ短調 作品66(1834年)

ショパンの全作品のなかで最も有名で人気がある曲でありながら、ショパンの生前には発表されず死後に友人により発表された曲。ショパン自身は「即興曲」とだけ名付けていた。ショパンが発表しなかった理由は、本作がベートーヴェン『月光ソナタ』に似ているから、あるいはモシェレスの『即興曲 作品89』に似ているから、とも言われています。ピアノを習いショパンを弾き始めた人が、いつか弾けるようになりたい!と思う憧れの曲。

・浅田真央のフリースケーティング曲のほか、さまざまな映画・アニメ・ドラマ等に使われている。

演奏・著作権:https://imslp.org/wiki/Fantaisie-impromptu%2C_Op.66_(Chopin%2C_Fr%C3%A9d%C3%A9ric) Creative Commons Attribution 3.0, Martha Goldstein (piano), Pandora Records/Al Goldstein Archive

A:「別れの曲」練習曲第3番 ホ長調 作品10-3(1832年)

「練習曲作品10」は12曲あり、本作はそのうちの3番目。練習曲作品10は、ショパンの友人であり良きライバルとなるフランツ・リストに捧げられました。どんな曲でも弾きこなすリストが初見では弾けなかったとか、リストが弾くのを聴くショパンが「リストの演奏の仕方を盗みたい」と言ったという逸話がある曲集です。作品10の3の通称「別れの曲」は日本のみの愛称で、ショパンを描いたドイツの伝記映画(1934年)の邦題から来ています。

・平原綾香による同名のアレンジ曲のほか、さまざまな映画やドラマに使われている。

演奏・著作権:https://imslp.org/wiki/%C3%89tudes%2C_Op.10_(Chopin%2C_Fr%C3%A9d%C3%A9ric) Creative Commons Attribution 4.0, Harald Vetter (Piano), Harald Vetter

A:「ノクターン第2番」 変ホ長調 作品9-2(1831年)

もっともショパンらしいとも言える「ノクターン」は「ピアノで歌う」音楽。本作『作品9の第2番』は最も有名で人気のある曲のひとつです。曲の最後にクライマックスの盛り上がりがあるほかは、ずっと穏やかで甘い曲が続く。

・auのCM曲などさまざまな作品で利用されている

演奏・著作権:https://imslp.org/wiki/Nocturnes%2C_Op.9_(Chopin%2C_Fr%C3%A9d%C3%A9ric) Creative Commons Attribution 4.0, Harald Vetter (Piano), Harald Vetter

A:「小犬のワルツ」ワルツ第6番 変ニ長調 作品64-1(1846年)

ダンスミュージックで当時のポップスだったワルツ。ワルツは流行でもあったので、生活のため、作曲家として売れるために、書かざるを得ない曲だったようです。本作は36歳ごろ、恋人であったサンドの犬が走り回っている姿を描いたと言われています。作品64−2も有名で最も人気のあるワルツのひとつ。

演奏・著作権:https://imslp.org/wiki/Waltzes%2C_Op.64_(Chopin%2C_Fr%C3%A9d%C3%A9ric), Creative Commons Attribution 4.0 , Olga Gurevich, Palo Alto: Musopen.

B:「革命のエチュード」練習曲第12番 ハ短調 作品10-12(1831年)

「革命」として親しまれている曲。ワルシャワがロシアに滅ぼされたことを知ったショパンの嘆きと怒りが込められた作品と言われています。

演奏・著作権:https://imslp.org/wiki/%C3%89tudes%2C_Op.10_(Chopin%2C_Fr%C3%A9d%C3%A9ric), Creative Commons Attribution-NonCommercial-NoDerivs 3.0, Simone Renzi (Piano), Simone Renzi

B:「華麗なる大円舞曲」ワルツ第1番 変ホ長調 作品18(1830年〜1831年、1834年出版)

当時のポップスであったワルツはショパンにとって成り上がるためのツールのひとつでした。まだ若いショパンはポーランドに帰れない孤独の中、貴族や上流階級の人々に人気を得るために必死でした。そんなショパンの孤独と軽妙なポップスが融合して出来たのが本作です。明るいながらも刻々と曲が変化していく人気曲です。

演奏・著作権:https://imslp.org/wiki/Grande_valse_brillante%2C_Op.18_(Chopin%2C_Fr%C3%A9d%C3%A9ric), Creative Commons Attribution 4.0 , Olga Gurevich (piano), Palo Alto: Musopen.

B:「英雄ポロネーズ」ポロネーズ第6番 変イ長調 作品53-6(1842年ー1843年)

ポロネーズはポーランドの民族舞曲のうち宮廷でも歌われた高貴な音楽。本作「英雄」はポロネーズの中でも最も華やか。ショパンの曲想指示も「堂々と」とひとことだけ。演奏開始30秒からがとても有名で人気のある曲。

演奏・著作権:https://imslp.org/wiki/Polonaise_in_A-flat_major%2C_Op.53_(Chopin%2C_Fr%C3%A9d%C3%A9ric) Creative Commons Attribution-NonCommercial-NoDerivs 4.0, Peter Bradley-Fulgoni (piano), Peter Bradley-Fulgoni

B:「24の前奏曲第7番」前奏曲第7番 イ長調作品 28-7(1831ー1838年?)

1分に満たない短い曲。「雨だれ」と同じ曲集の中の1曲。

・太田胃散のCM曲などで利用されている

演奏・著作権:https://imslp.org/wiki/Preludes%2C_Op.28_(Chopin%2C_Fr%C3%A9d%C3%A9ric) Creative Commons Attribution-ShareAlike 4.0, Mississippi College Piano Pedagogy (piano),MississippiCollegePianoPedagogy, 2017.

B:「雨だれの前奏曲」前奏曲第15番 変ニ長調 作品28-15(1831ー1838年?)

ショパンは練習曲でもある前奏曲の24の曲集で、マジョルカ島への旅行中(1938年)に完成。パリを離れ孤島そして修道院で過ごしたショパンの叫びが込められている。前奏曲集のうち最も親しまれている曲。

演奏・著作権:https://imslp.org/wiki/Preludes%2C_Op.28_(Chopin%2C_Fr%C3%A9d%C3%A9ric), Creative Commons Attribution-NonCommercial-NoDerivs 4.0, Peter Bradley-Fulgoni (piano), Peter Bradley-Fulgoni

C:「幻想ポロネーズ」ポロネーズ第7番 変イ長調 作品61(1846年)

ショパンの全作品の中でも最も叙情的で哀しみが溢れ感動的な作品。

演奏・著作権:https://imslp.org/wiki/Polonaise-fantaisie%2C_Op.61_(Chopin%2C_Fr%C3%A9d%C3%A9ric),Creative Commons Attribution Non-commercial No Derivatives 3.0, Jonathan Biss (piano), Boston: Isabella Stewart Gardner Museum

C:「葬送行進曲」ピアノソナタ第2番 変ロ短調 作品35 第3楽章(1837年) ↑有名なところからスタート

若くして「死」を意識していたショパンの中期の作品で、ショパンの曲のなかでも男性的で文学的なわかりやすい作品。ピアノソナタ第2番自体は1939年に完成。

演奏・著作権:https://imslp.org/wiki/Piano_Sonata_No.2,Op.35(Chopin,_Fr%C3%A9d%C3%A9ric)Creative Commons Attribution-NonCommercial-NoDerivs 4.0,Peter Bradley-Fulgoni (piano),Peter Bradley-Fulgoni

C:「舟歌」嬰ヘ長調 作品60(1846年)

ショパン晩年の傑作で、ショパンのすべてが詰まっているとも称される名曲。

演奏・著作権:https://imslp.org/wiki/Piano_Sonata_No.2,Op.35(Chopin,_Fr%C3%A9d%C3%A9ric) Creative Commons Attribution 4.0,Olga Gurevich (piano),Palo Alto: Musopen.

C:「遺作」夜想曲(ノクターン)第20番 嬰ハ短調(1830年) (Nocturne in C-sharp minor, B.49)

「遺作」はショパン死後に発表されたという意味。ショパン20歳のころ(1830年)に姉の練習用に作曲された曲で、1875年に出版された。

・映画「戦場のピアニスト」・平原綾香「ノクターン」

演奏・著作権:https://imslp.org/wiki/Nocturne_in_C-sharp_minor%2C_B.49_(Chopin%2C_Fr%C3%A9d%C3%A9ric), Creative Commons Attribution-NonCommercial-NoDerivs 4.0, Rami Bar-Niv (piano),AndreA

ショパンの生涯

1810年3月1日、ショパンはポーランドの首都ワルシャワの近くにある「ジェラゾヴァ・ヴォラ」という村で生まれ、生後まもなくワルシャワへ引っ越しワルシャワで育ちました。当時のポーランドはワルシャワ大公国というナポレオンの傀儡国家となっていましたが、ショパン幼少期にナポレオンが没落して、ロシアに支配されたポーランド王国となっていました。

ショパンは物心つく前から母親からピアノを習い、6歳になると音楽家の先生に教わるようになります。みるみるとピアノが上達したショパンは、7歳で「ポロネーズ第11番ト短調」を作曲をするほどの天才ぶりを発揮しましたが、少年らしいところも多く、漫画を描くことと、モノマネが大好きな少年でした。

15歳のときにはロシア皇帝から指輪を賜るほどに名声も高まっていました。当時のポーランドはロシア・オーストラリア・プロイセンの三国に分割支配されていて、独立運動をおこなうポーランド人は虐待や拷問を受けていました。

19歳でワルシャワ音楽院を卒業したショパンは多くの作曲や演奏会をおこないながらも、ポーランドの伝統的な音楽に夢中になり、ポーランドの音楽はショパンの曲に大きな影響を与えました。また、音楽の都であるウィーンでおこなった演奏会も大成功となりました。

翌年、本格的にウィーンで活動をしようとしてショパンは再度ウィーンに行きますが、独立運動が盛んとなっていたポーランドの人間は支配国であったオーストリアでは受け入れられず、失意のショパンはパリに行くことになります。このとき祖国ポーランドのワルシャワでは、「ポーランドの反乱」と呼ばれる独立運動が起こりますが失敗し、ロシア軍によりワルシャワは焼け野原となり壊滅していて、ショパンは帰ることができませんでした。ショパンがこのときに作った曲が「革命のエチュード」です。

21歳になったショパンはパリにいましたが、お金に困るようになっていました。そんなショパンに手を差し伸べたのが、同じくポーランド出身のラジヴィウ公爵です。公爵の勧めによりピアノの教師となったショパンのもとには、多くの貴族が集まりショパンの弟子となりました。公爵の2人の娘もショパンからピアノを教わります。

ヘンリク・シェミラツキ『ショパンコンサート』1887年真ん中でピアノを弾くのがショパン。中心やや右側の貴族がアントニ・ヘンリク・ラジヴィウで多くの芸術家のパトロンとなった人物。ショパンのほかベートーヴェン、メンデルスゾーンなどが彼に曲を捧げた。

次第に裕福になったショパンは、いい服を着て贅沢な暮らしをし、演奏会には多くの芸術家が集まるようになりますが、不治の病であった結核を患ってしまい、病はショパンを生涯苦しめることになります。

26歳になったショパンが演奏会で出会ったのが、ジョルジュ・サンドという2人の子どもを持つ女性でした。何人もの男性と付き合い、男物の服を着た奔放なサンドですが、次第にショパンと愛し合うようになりました。28歳の冬、サンドとサンドの子どもたちとともにショパンは、寒いパリから暖かいスペインのマヨルカ島へと滞在します。病に参っていたショパンの身体ににとっては、温暖な気候と豊かな自然は適していましたが、なにもない島にショパンはなじめず、結核によりひどい咳をして血を吐くショパンは島の人たちから嫌がられ、修道院へと移ることになります。ショパンは自然のある田舎暮らしよりも、音楽の溢れるパリをなつかしむ暮らしでした。

翌年からショパンは、フランスの田舎にあるノアンにあるサンドの別荘に行くことになりました。夏の間はノアンの別荘で、冬はパリで過ごす生活を続けます。サンドはショパンの病気を献身的に看護しました。

37歳になったショパンは、サンドど別れることになりました。サンドの子どもたちのことや、生活のこと、介護のこと、いろいろなことが2人の仲を裂いていきました。

1848年のパリでは「二月革命」が勃発していて、音楽を楽しめるような社会状況ではなく、パリで活動することが難しくなったショパンはイギリスへと演奏旅行に行くことになりました。このイギリス旅行を手配したり、ショパンの代理人や秘書として働いたり、物心両面でショパンを支えたのがショパンの弟子のジェーン・スターリングという女性でした。

イギリスでショパンの体調はどんどん悪くなり、自分の命が長くは無いことを悟ったショパンは、友人たちの勧めもありパリに戻りました。パリに戻る前、ロンドンでおこなった演奏会がショパン最後の演奏会となりましたが、それはポーランド難民のための慈善演奏会でした。

ショパンが死ぬ前に一目会いたいと願った姉のルドヴィカとは、スターリングのおかげて会うことができました。スターリングはイギリス旅行の費用や姉のルドヴィカの旅行費用などすべてを支払い、周囲からはショパンの婚約者だと思われていました。

その後しばらくした1849年10月17日、ショパンは息をひきとりました。ショパンの葬儀ではモーツァルトのレクイエムが演奏され、親友のドラクロワが付き添い、約3,000人が参列しました。葬儀の1年後、スターリングはルドヴィカに送ってもらった一握りのポーランドの土を、ショパンのお墓にまきました。故郷に帰りたいと願ったショパンの心臓は、スターリングの手配により姉のルドヴィカと共にポーランドに戻り、ワルシャワにある聖十字架教会に安置されています。

ポーランドの独立がなされたのは、ショパンが亡くなってから何十年もあと、ロシア帝国が滅亡した1918年でした。

ポーランドの画家Teofil Kwiatkowskiにより描かれた『死の床のショパン』1849年〜1850年スターリングの手配によって描かれた絵画で、左の女性はショパンの姉ルドヴィカ、真ん中の女性はショパンを支え続けたラジヴィウ家の娘マルツェリーナ。男性はショパンの友人たち。

ショパンの活躍した時代と音楽家たち

ショパンはロマン派の音楽家ですが、そもそも「ロマン派」とはなんでしょうか。

哲学や思想史では、啓蒙主義への反発としてロマン主義が生まれました。科学が発展することで、すべてを「神」で説明できた時代が終わり、科学と理性の時代「啓蒙主義の時代」がやってきます。それに反発して、感情や目に見えないものも大切である、としたのがロマン主義です。

ロマンとは、ラテン語などの共通語で話すのではなく、各民族がその時代ごとに個人的な感情を語る口語をロマンス語といったことに由来します。

絵画でもロマン派の特徴のひとつに民族性がありますが、時代の潮流に翻弄される人々の魂が芸術として昇華した、ということもできます。ショパンの親友であるドラクロワの代表作『民衆を導く自由の女神』は1830年の作品ですが、フランス市民革命を描いています。ドイツロマン派のC.D.フリードリヒはナポレオンの支配による抑圧とそれからの解放が作品に大きな影響を与えていますし、イギリスロマン派のターナーは産業革命による社会の変化を描きました。ロマン派の作品は、時代背景を知ることでより理解ができるようになります。

西洋絵画の基礎知識10 西洋近代絵画「ロマン主義」

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ショパンが生まれた1810年は、ほかにも多くの音楽家が生まれ活躍していた時代です。偉大な先達ベートーヴェンは1827年逝去。古典からロマン派音楽への橋渡しをした人物です。ショパンはベートーヴェンと会ったことはありませんが、ショパンの友人であったフランツ・リストは11歳の時の演奏を52歳であったベートーヴェンに絶賛された、という真偽が怪しい逸話がありますが、リストはベートーヴェンの孫弟子にあたります。

同年代にほぼ同じ場所で活躍していた音楽家も多いですが、友人であったリストを除き、内向的であったショパンはあまり関わることはなかったようです。

ショパンより先輩の音楽家

・モーツァルト(1756年〜1791年)・ベートーヴェン(1770年〜1827年)・ロッシーニ(1792年〜1868年)・シューベルト(1797年〜1828年)

ショパンと同年代の音楽家

・フランツ・リスト(1811年〜1886年)・メンデルスゾーン(1807年〜1847年)・シューマン(1810年〜1856年)・ワーグナー(1813年〜1883年)・ヴェルディ(1813年〜1883年)

ショパン年表:ショパンと、ポーランド・フランスの同時代の出来事

1789年:フランス革命。人権宣言。1795年:ポーランドが、ロシア帝国・プロイセン王国・オーストリアにより分割統治される。1804年:ナポレオンによるフランス帝国時代はじまる。1807年:ポーランドがナポレオンに支配され「ワルシャワ公国」はじまる。1810年:ポーランドでショパン生まれる。1815年:ナポレオン失脚により、ポーランドが再びロシア帝国・プロイセン王国・オーストリアにより分割統治され、ワルシャワはロシア帝国支配下の「ポーランド立憲王国」となる。1830年:フランス7月革命。ショパン(20歳)はウィーンへ。ポーランド独立運動が過熱し武装蜂起するもロシア軍により鎮圧。1831年:ワルシャワ陥落し、1万5千人を超えるポーランド難民がフランスへ。ロシア皇帝ニコライ1世はポーランドのロシア化政策を推進。ショパン(21歳)はパリへ。「革命のエチュード」「華麗なる大演舞曲」「ノクターン第2番1832年:「別れの曲」。ショパンと同じ歳の音楽家であり音楽評論家であるシューマンが「一般音楽新聞」に「諸君、脱帽したまえ、天才だ!」とショパンを紹介。1834年:「幻想即興曲1835年:ショパン(25歳)。チェコで両親と再会。最後の別れとなる。1837年:「葬送行進曲1838年:ショパン(28歳)、ジョルジュ・サンドと交際を始める。マヨルカ島に滞在する。「雨だれの前奏曲1839年:ショパン(29歳)、パリとノアンの別荘を行き来する生活が始まる。1842年:「英雄ポロネーズ」ショパン(32歳)、スターリングと出会う。1846年:「子犬のワルツ」「幻想ポロネーズ」「舟歌1847年:ショパン(37歳)、サンドと別れる。1848年:フランス2月革命。ショパン(38歳)イギリスへ演奏旅行。1849年:ショパン(39歳)永眠。1918年:ロシア帝国滅亡によりポーランドが独立。1927年:第1回「ショパン国際ピアノコンクール」開催。以降5年に1度(大戦による中断あり)、ショパン命日の前後に開催されている。

フレデリック・ショパン国際ピアノ・コンクール

ショパンの祖国ポーランドが独立を果たしてから約9年後、第一次世界大戦の荒廃から立ち直るため、ポーランドの英雄であるショパンとショパンの音楽の力を借りようと、ショパンの母校でもあるワルシャワ音楽院の教授たちにより始められました。1927年の第1回大会から2021年の第18回大会まで、数多くのピアニストを輩出してきた名コンクールで、現在では世界三大音楽コンクールのひとつであり最古で、最も権威があるコンクールとされています。現在の主催はフレデリック・ショパン研究所。開催は5年に1度(第二次世界大戦やコロナ禍で変動あり)で、ショパンの命日である10月17日をはさみ前後3週間にわたって開催されます。出場資格は16歳から30歳まで。課題曲はすべてショパンの曲です。アルゼンチン出身で日本でも有名なマルタ・アルゲリッチも1965年第7回大会の優勝者です。

フレデリック・ショパン研究所のYouTubeチャンネル

ショパンを聴くならこの演奏

あらゆるピアニストがショパンを弾いてきましたが、今手に入る中でショパンを聴くならサンソン・フランソワがお勧めです。

サンソン・フランソワ

サンソン・フランソワは1924年にドイツで生まれたフランス人で、フランスやアメリカで活躍し、1970年に46歳の若さで亡くなりました。ショパンと同じように5歳ごろからピアノを始め神童と呼ばれた天才で、ショパンと同じく「ピアノの詩人」と呼ばれました。ショパンやラヴェルの演奏が好きで、ベートーヴェンが嫌いだったようです。

サンソン・フランソワの全曲集が発売されています。

【Amazon.co.jp Samson Francois – Complete Recordings (54CD+DVD) 】 記事をシェアする

参考文献

松田亜有子『クラシック名曲全史 ビジネスに効く世界の教養』ダイヤモンド社、2019加藤浩子監修『ビジュアルで楽しむクラシック名曲案内』 学習研究社、2006中川右介『ロマン派の音楽家たちー恋と友情と革命の青春譜』 筑摩書房、2017ひのまどか監修『教科書にでてくる音楽家の伝記』講談社、2017イリーナ・メジューエワ『ショパンの名曲 ピアノの名曲 聴きどころ 弾きどころ2』 講談社現代新書、2021

クラシック音楽の有名音楽家 ショパンとは ショパンの簡単な伝記と超有名な代表曲の試聴    

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